第四十三話 悪女にヒーローは要らない?

 あまりのことに、先ほどまであれほど騒いでいた観客たちも、兵士も、そして皇太子ですら声を上げられない。

 私に思いもよらない方法で口を塞がれたフロー元公爵令嬢は目を白黒させ、「あがっ、あっ」と呻きながら必死で抵抗しようとした。


「私は力のない女です。でも同じ女で、武器を持たないあなた一人にならば勝つことができる。

 さてケヴィン・ジェネヤード皇太子、状況はわかりますね? 私は彼女を人質に取りました。彼女がどうなってもよければ、躊躇わず私を斬り殺すといいでしょう。いかがいたしますか?」


「姑息な真似を! シェナは関係ないだろう」


「そんなことはありません。彼女も私を誘拐したうちの一人でしょう? 無関係とは言わせませんよ」


「ぐぬっ」


 勝敗が決するのなんて、一瞬のこと。

 戦争のように大規模なものであれば作戦を練り、多くの兵を動かす必要があるが今は違う。ただ一人を人質としただけで、戦況は一転するのだ。

 私が木刀をさらに押し込めば、フロー元公爵令嬢は間違いなく死に至る。そしてこの愚かな皇太子は、己の勝利のために恋人を捨てる選択ができるとは思えない。


 そしてその考えは正しく、皇太子は動けなくなってしまっていた。


「方法はともあれ、戦意を喪失した時点で勝負はついているでしょう。降伏さえしていただければ彼女を害したりいたしません」


「…………」


「ですから武器を」


 捨ててください、と続けようとした、その時だった。



「帝国兵たち、彼女を――エメリィを捕らえなさい!」



 今まで黙って観客席に控えていたジルが突然声を上げたのは。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ジルの怒声に兵士たちは戸惑い、動くに動けずオロオロしている。

 ジルは皇太子たちと手を組んでいるとはいえ完全なるよそ者。そんな者に従う軍人などいないだろう。

 なのになおもジルは叫び続ける。


「わたしの言うことが聞けないの! 早くあの女をやりなさいと言っているのよ。

 仲間を殺された恨みがあるでしょう。軍人として戦争に負けた悔しさを晴らしたいでしょう!」


「何だ貴様! 馬鹿なことを言うでない。あの女はシェナの命を握っているのだぞ!?」


「彼女は悪女なのですわ、皇太子殿下! たとえ言い分を聞いてもシェナ嬢が助かる保証はありません。それどころか彼女の言葉を鵜吞みにしては事態は悪化するだけ。そもそもこの決闘を受けた時点でこうなることはわかっておりましたでしょうに。

 ほら何を躊躇っているの、さあ早く!」


 反論する皇太子の言葉もろくに聞き入れず、兵に命令をし続けるジル。

 そのまま事態は膠着するかと思われたが、なんと兵士のうち数人がノロノロとではあるがこちらへと歩き出した。剣を抜き、躊躇いがちにではあるが、確実に一歩一歩近づいて来る。


(……ジルに買収されているのですか)


 金を売ったか体を売ったか、どちらにせよ彼らはジルの言いなりになっているのだろう。

 今ここでフロー公爵令嬢を殺すこともできるが、それはさすがに気が咎める。私は悪女だ。だがアルトに嫌われるようなことは……人殺しだけはしたくない。

 だから、


「ケヴィン皇太子。これが最後です。武器の放棄、そして降伏を求めます。今すぐにご決断を」


 皇太子を焦らせ、答えを求めた。


「……わかった。承知した。武器は捨てる。だからシェナを放せ」


「力のない女一人ごときに怖気づいているのですか? 先にそちらが降伏の意思を示してください」


「皇太子殿下、騙されてはいけませんわ! シェナ嬢のために全兵力を持ってあの女を殺すべきなのです!」


 ジリジリ、ジリジリと迫り来る兵。

 それと比例するように徐々に木刀をフロー公爵令嬢の喉奥へ押し込んでいく私。


 そして皇太子の出した答えは。


「忠実なる兵は、我が命に従わぬ愚兵どもを抑えよ。余はエメリィ・アロッタに降伏を宣言する」


「あら、素直でありがたいですね。ですがあなたのそのお言葉、証明する物がありません。契約書を書いてお渡しくださいね。契約を違えた時、それが帝国の終わり――」


 私が微笑みながらそう語るうち、ジルに買われた兵と皇太子に命令された兵士のぶつかり合いが起こる。

 しかし多勢に無勢。ジルが買収した者たちはすぐに殺されてしまう。かと思えば「出て来なさい!」というジルの一声で第二軍がどこからともなく登場し、闘技場はもはや私と皇太子の戦いでなく、わけのわからない血みどろの殺し合いに変わっていった。


「おい、その邪魔な女を殺せ! 余に逆らうその女を許すな!」


「皇太子殿下、どうかわたしの言葉を聞いてください。このままではお義姉様に、エメリィに逃げられてしまいます! 皇太子殿下、ああもうクソ皇太子ッ!!」


 そんな叫び合いと共に、いつの間にか周囲をぐるりと囲まれていたジルが残りの警備兵たちに取り押さえられる。


「なんで!? 今度こそはうまくいくと思ったのに。殺せると思ってたのに。ずるいっ! お義姉様はいつもそうやって。大嫌い、大っ嫌いよ! あんたのせいでいっつも台無しじゃない! 何もかも持ってるくせにわたしを見下して嘲笑う。楽しいの? ねぇ楽しいの!? お義姉様なんかクズ皇太子とまとめて死ねばいいんだわ。死ねばいいのに、もがき苦しんで苦しんで死ねばいいのに――!」


 心の中にある毒を全て吐露する勢いで、ジルは私に向かって吠える。しかし吠えるだけで他に彼女に何かできるはずもないので私は応えず、ただじっと眺めていた。

 そのままずるずると引き摺られていくその姿はなんとも哀れで滑稽であった。


 さて、皇太子を降伏させ、フロー元公爵令嬢は私の手の中、ジルは退場させられたわけだ。

 これ以上ここにいる必要はないだろう。


「……では私は、この間にお暇でもしましょうか。契約書は後で郵送しいただくとして」


「いいや、その必要はないと思うよ」


「そうですか? それならこの場で受け取るとしましょうか――――え?」


 この混乱に紛れてフロー元公爵令嬢を適当に置いて帰ろうかと思案していた時、ふとそんな声が聞こえて私は素っ頓狂な声を漏らした。

 私の背後、そこに立っていたのは一人の青年。いつの間に背後に回っていたのだろう。鎧を着ているせいで兵士にしか見えない彼だったが、私はその声に聞き覚えがあった。


「アルト……? もしかしてアルトなのですか」


「そうだよ。助けに来た。ただ、すでにどこかの悪女が派手にやった後だったようだけど」


 その柔らかな声に、私がどれほど歓喜したかわからない。

 全身が喜びに震える。これは都合のいい夢なのではなかろうか。そんな風に思ってしまうくらい信じられないことであり、思わず泣き出したいほどに幸せな気持ちになった。


「嬉しい。嬉しいです」


 フロー元公爵令嬢のことなどどうでも良くなり、木刀と共に床に放り出す。

 そして私は勢いよく彼に抱きついた。


「悪女にヒーローは要りません。でも、愛する人がいるの心強いのが乙女心というものでしょう? さあアルト・ウィルソン侯爵令息。この悪女を王国に連れ帰ってくださいませんこと?」

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