第四十話 アルト・ウィルソンの決心 〜sideアルト〜

「ん……?」


 厨房の方から何やら激しい音がして、僕は顔を上げた。


 エメリィは夕食を作ると言っていたが、料理にはあんな大きな音が鳴るものなのだろうか? 何を作ってるのか知らない以上、僕にはわからなかった。


(……そんなことより)


 答えを出すのを諦めた僕は、すぐに思考の海へと再び沈んでいく。

 考えているのはもちろん今後のことだ。エメリィと僕についての今後。


 エメリィは本気だ。

 それはわかる。でも、僕の心がまだ受け入れられていない。


 彼女を過去に見捨ててしまったことへの罪悪感。そして、いくら自分で収めたとは言っても、戦争を起こして少なからず人を死なせた――代表的なのは彼女の夫だったアロッタ公爵だろう――ということ。


 今すぐ受け入れたいという気持ちと、エメリィを認められない心が入り混じり、彼女と再会してからというもの、僕は今まで眠れない夜を過ごしてきた。

 しかし今日、それがさらに強くなってしまった。エメリィとの生活を想像して胸が痛む。彼女と暮らせればどんなに幸せだろう。


(ああ、今すぐにでも心を決められたら。こんなにウジウジしていたら彼女に嫌われる。でも……)


 公爵家の未亡人を妻にして金狙いと思われるかも知れない。それに侯爵家次期当主である僕が悪女エメリィ・アロッタを迎え入れたと知られたら。


 そんな余計な心配までしてしまう。

 同じ考えがぐるぐると頭の中を巡り、まるでまとまりがつかない。


 どれほどそうしていただろう。気づけばすっかり夕方になっていた。


「おかしいな」


 ここで僕は遅まきながら違和感を覚える。

 いつまで経っても夕食が出て来ない。というか、厨房から音が聞こえたのはあの一度きりで、それ以来無音なのだ。

 それに気づいた途端、なんだか嫌な予感がして、僕はソファから腰を上げて厨房の方へ向かった。ここはアロッタ公爵家別邸だから彼女に断りもなしに動き回るのは悪いとは思ったが、今はとにかく彼女の顔が見たかった。

 しかし――。


(なんだ、これ)


 使用人が誰一人としておらず、しんと静まり返った厨房には、ガラスの破片が散乱していた。

 窓から差し込む陽光を反射させてキラキラと輝くそれは美しい。だが、そんなことを言っている場合ではなかった。

 エメリィは一体、どこにいる?



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 それから屋敷中を探し回ったが、彼女はいなかった。

 そして僕が辿り着いた結論は一つ。攫われたのだ。おそらく窓から何者かの侵入があったに違いない。窓の外、屋敷の庭についた靴跡を確認すればすぐにわかった。


 僕が同じ屋敷にいながら、なんということだろう。

 あの音がした時にせめて厨房を見に行けば良かった。靴跡から見て少なくとも七、八人の集団だろうと思われたから僕が行っても何にもならなかったかも知れないが、それでももっと早くなんらかの手が打てたかも知れないのに。


 だが後悔していても仕方ない。アロッタ公爵家別邸を飛び出し、馬車に乗り込みながら僕は考える。

 まずウィルソン侯爵家に知らせようか? いいや、それよりアロッタ公爵家本邸に行った方がいい。


「あら、ウィルソン侯爵令息?」

「突然押しかけてしまい申し訳ありません。実は、あなたのお養母はは上……エメリィ・アロッタ様についてお話があり」

「もしかして結婚報告なのかしら? それなら必要ないわ。お二人でどうぞお幸せに」

「いえ、そういうことではなく。実は彼女が……」


 僕を出迎えたジェシー・アロッタ女公爵は最初こそ不審げに僕を見ていたが、エメリィの話が出た途端血相を変えた。


「それならわたくし、思い当たる節があるの。実はお養母かあ様の義妹のジル・フォンスト元伯爵令嬢が脱獄したという噂があって。彼女が指示して誘拐させたに違いないわ」


「……ジル嬢が」


「断定はできないけれど、おそらくは。ともかくわたくし、今から王都の方へ知らせに行きますわ」


「頼みます」


 ただ僕もじっとしているだけではいられない。

 エメリィを探し出さなくては。


 そう決めた瞬間、僕の心は定まった。

 エメリィを失うなんて考えただけでも苦しい。胸をギリギリと締めつけるこの感情を、エメリィへの想いを、もう押さえることなんてできない。彼女の幸せのために身を引くなんて、最初から僕にはできないことだったのだから。

 だから――。


(答えを返そう。例えこの身に不相応なことだったとしても)


 ジル嬢のいるであろう場所は見当がつく。きっとエメリィもそこだろう。

 彼女を必ずこの手で救い出し、それから彼女の告白に応えるんだ。

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