第三十九話 再会の義妹と元公爵令嬢
この手で牢獄の中に追い込み、死刑になったと思い込んでいたジル。
しかしそういえば刑が執行されたという話を聞いていないことを私は思い出した。あれから色々なことがあって、すっかり彼女のことなど記憶の中から忘れ去りかけていたのだ。
「……あなた、生きていたのですか」
「生きてたに決まってるでしょ。まさかわたしが死んでいたとでも? 馬鹿なお義姉様。こっちはあんたのせいで苦労したってのに、その間あんたは公爵邸で呑気に過ごしてたんでしょうよ。いい気なものよねぇ。でもそれも今日までよ、戦勝の女神様?」
見下した態度を隠しもしないジルは、牢獄に置き去りにしたあの日とはまるで別人に見えた。
自分に都合がいい時は他人を嘲笑い、不利になれば涙を見せる。そういう人間だったことを私は思い出す。二度と関わり合いにならないはずだったのに、こんな形で再会してしまうなんて。
屋敷に入り込み、私を襲ったあの集団に指示して誘拐させたのはジルなのだろう。
そうなると自ずと現状の答えは出てくる。どうやってかは知らないが牢獄から逃亡したとすれば、罪人であるジルが頼れる先は限られている。
インフェと敵対関係にある場所。つまり、ジェネヤード帝国だった。おそらくここは帝国のどこか。インフェの勝利に大きく貢献した私をねじ伏せたい帝国側の思惑と、私への私怨のあるジルの思惑が重なった結果に違いない。
(厄介なことになりましたね)
そこまで考え、想像以上に悪い現状に私は嘆息した。
盗賊に捕まった方がまだ良かったと思えるほどだ。アルトとデートを楽しんでいたのにどうしてこんなことにならなければならないのかと、怒りが込み上げた。
あのままだったら夕食を共にし、晩酌をする予定だったのに。全部ぶち壊しだ。
だが、そんなことをいちいち言っていられないほどに今は状況が悪い。私は腹立たしさに歯噛みする。
「ジルもジェネヤードと手を組んでいたとは……。ジル、今すぐインフェ王国に帰らせなさい。帝国が仮にも公爵夫人である私を拉致したとなったら、どれほどの大問題になるかわかっているのですか」
「わかってるわよ、そんなこと」ジルは吐き捨てるように言った。「でもいいの。別国と手を結んででももう一回インフェには戦争を仕掛けるつもりだから。まあ、わたしはそこら辺はよく知らないけどね」
もう一度戦争を仕掛ける?
冗談じゃない。今回は奇跡的に最小規模で済んだだけで、次はどれほどの被害がもたらされるかわかったものではないというのに。
これだけでも私にとっては相当許せない言葉だったが、次の一言で私の怒りは頂点に達することになる。
「どう、悔しい? 殺してしまいたいほどわたしが憎い? ええ、ええ、そうでしょうね。でもわたしはもっとあなたが憎い」
「私が憎い? ふざけないでください。私を十年間いたぶり、やりたい放題振る舞っていたあなたが?」
許せないことを散々したのはジルの方だ。
私は彼女の死だけで全てを精算した。本当なら十年分、私と同じ苦しみを与えても良かったが、あえてそうしなかった。なのに、なのに。
「復讐の幕は開けた。わたしが今までどんな思いをしていたか、たっぷりと教えてあげるわ。だからこれからよろしくね、お義姉様?」
ジルが私に復讐?
ふざけるのも大概にしてほしいと思う。私は幸せになるはずだった。辛い過去と決着をつけて、アルトと幸せな未来を掴もうと決めていた。
だというのに、そんな身勝手な理由で?
この気持ちをどうすればいいのか、私にはわからない。
手足は縛られ、この身の自由は奪われている。反抗的な態度を取ったら殺される、なんてこともあり得るかも知れない。
私は所詮無力な女だ。だが、だからと言ってやりたい放題にされていいのか? 答えは否だ。
後ろ手に縛られた拳を握りしめる。
(脱出の糸口はないでしょうか)
ナイフ一つでもあれば。ジルが変な気を起こして、縄を解いてくれさえすれば。
だがそんな幸運を待っていても仕方がない。今、この状況を自力だけで打破する方法を探すのだ。何か。何かないか。何か何か何か――。
そうして思考を巡らせていた、その時だった。
「気に入らないわ、その目」
「――っ」
ジルのそんな声がして、目の前で火花が散った。
頭に鈍痛が走る。その意味を理解したのはしばらく後だった。
――ジルの女性的な柔らかい脚が私の頭を踏みつけにしていた。
「フォンスト伯爵家の時もそうだったわよねぇ。わたしを見下すような、隙あらば負かしてやろうと考えているお義姉様の顔!
でも大丈夫。この帝国ではね、お義姉様を助けてくれる人なんて誰もいないのよ。わかってる? 賢くて聡明で美しいお義姉様ならわかるでしょう? わたしの欲しい物手に入らない物全部持ってるあんたなら!わかるでしょう!?」
頭を、腕を、足を、蹴られ続ける。
でも私は絶対に呻き声だけは漏らさなかった。悪女はこんなことで負けはしないから。この程度、耐えてみせる――。
「ほら、泣きなさいよ。助けてってみっともなく縋りなさいよ。そして縋っても救われない悔しさを味わえばいいんだわ!
痛いわよね? でもわたしの方がもっと痛かった。お義姉様に陥れられて、殺されるって思った時、どれほど怖かったか……」
ジルの恨み言は続く。
「だからお義姉様も――」
「ジル嬢、何をしていらっしゃいますの? いくら悪人といえ、そう執拗に痛めつけるものではありませんわ。死んでしまいますでしょう?」
それを遮ったのは、ジルのものではない、ひどく落ち着き払ったものだった。
そしてこれもまた聞き覚えがある。この声は確か――。
「フロー、公爵令嬢……」
「あら、覚えてくださっていて光栄ですわ。アロッタ未亡人」
ジルの背後のドアを開け、静かに入って来た黒髪に金色の瞳の少女――シェナ・フロー元公爵令嬢。
彼女の存在を見て私は確信する。やはりここはジェネヤードの帝城で間違いないのだと。
「ジル嬢。あなたのお気持ち、本当によくわかりますわ。わたくしとて彼女に恨みがないわけではありませんもの。でも、拷問だとすればもう少しやり方があると思いますわ。痛めつけるなら効率的に行いませんと、ね?」
「…………」
ジルが悔しげな顔で歯がみしながらも、フロー元公爵令嬢の言葉に頷いた。
暴力の嵐に解放された私は、荒く呼吸を繰り返しながらジルとフロー元公爵令嬢の二人を見つめながら考える。
とりあえずは助かった。だが先ほどより状況は確実に悪くなっている。ただの幼稚な暴力ではなく、拷問が始まったとしたら――考えるだけで恐ろしかった。
(アルト……)
だが、敵を恐れ、来るわけのない助けをいつまでも待つだけではいられない。
帰らないと。アロッタ公爵家別邸に一人で取り残してしまったアルトの元へ。きっと今頃私を心配し、探し回ってくれているであろう優しい彼の元へ。
私なら、悪女エメリィならきっとできる。いくらこの身を傷つけられようと、必ず戻ってやるのだと、私は心に誓った。
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