第三十六話 悪女は初恋の人を落としたい

「契約、ですからな。無事貴女は条件を揃えた。エメリィ嬢の活躍っぷり、本当にお見事でした。

 私は契約を履行し、あなたと息子との婚約を許可しよう」


「では侯爵様のことをまた『お義父様』とお呼びしてよろしいでしょうか?」


「それはまだ時期尚早でしょう。それよりも先にやることがあるのでは?」


「そうですね。では、失礼します」


 私はまたもやウィルソン侯爵家にやって来ていた。

 もちろん目的はアルト・ウィルソンとの婚約の許可を得るため。そして私は無事、契約通りにそれを果たすことができた。

 やっと。やっとだ。ここからが私にとっては本番。今までの戦争だの何だのは、おまけでしかない。本当の私の戦いは、この想いを成就させることだから。


 最近忙しなく移動し過ぎて、疲労が溜まっているのがわかる。しかしこんなのは実家でこき使われている時に比べればマシだと思えば、まだまだ動くことができた。

 私は立ち上がり、そのままアルトの元へ向かう。彼の部屋をドアをノックすると、すぐに扉が開いた。


「誰だい……って、エメリィ?」


「そうです。私ですよアルト。ようやく面倒ごとを片付けて、あなたの前に姿を現すことができました。

 インフェ王国の勝利を祝して一緒にお食事でもしようと思ってお誘いしに来たのです。お嫌でしたか?」


 アルトの顔がこわばるのを見て、彼が私を警戒しているのだと知る。

 当然だ。明らかにここ数日の私の動きがおかしいのはわかっていただろうし、私なんて信用できる点が一つもない。

 でも、それでも私は諦めない。今日ここで彼をデートに誘うために――。


「嫌じゃ、ない。だけど」


「嫌じゃないならついて来てください。今日はお祝いです。国中歓喜で包まれていますよ。部屋で閉じこもっているなんてもったいないじゃありませんか。それとももう他のひととお出かけする予定でも? それなら失礼なことをしてしまったでしょうか」


「そんなことない。君以外の人となんて……」


「なら、ついて来ていただけますね?」


 アルトは無言で頷いた。

 少し強引な手ではあるが、恋は時に強引さが必要なのである。多分。


「嬉しいです。では早速、準備をしてください」


「君は?」


「もちろんとっくのとうに済ませているに決まっているじゃありませんか。私はずっとこの日を待ち侘びていたのですよ?」


「…………あんな戦禍の中で僕のことを考えていたのか。どうかしているよ、君は」


 私にそう言って、気まずげに視線を逸らすアルト。しかしその頬がほんの少し赤くなっていたことに私は気づいていた。


(ああ、こんな私を好きでいてくれているなんて。本当に、優しい人)



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 インフェの国旗が街中に揺らめき、老いも若きも楽しげに喋ったり踊ったりしている。

 それを見つめながら馬車に揺られる私も、彼らに負けないくらいに昂っていた。だってすぐ隣には、触れられそうな距離で初恋の人がいるのだ。ドキドキしないわけがない。楽しくないわけがない。


「……平和だね」


「そうですか? 平和というよりはお祭り騒ぎに見えますけど。でもまあ、確かに戦時中のピリピリした感じは全然ありませんね。今回の戦争は国民の犠牲は最小限にできましたし、平民たちとしても喜ばしい勝利なんじゃないんでしょうか」


「本当に全部君が仕組んで、君が終わらせた戦争だったのか」


「ええ。と言っても元々はフロー公爵令嬢と隣国の皇太子が企んだことでしたが。

 でもこうなればもうあちら側も攻め込んで来ることはないでしょう。やはり結果的には私がこの国を救ったことになりますよ」


(もっとも、私が落としたいのは国ではなくあなたの心ですけれど)


 そう言おうとして、しかし私は口をつぐむ。

 ちょうど馬車が目的地に到着したからだ。


 着いたのは、アロッタ公爵家別邸だった。


「え……これは一体? 僕たち、料理屋に向かっているはずじゃあ」


「何を言っているんです? 料理はもちろん私の手作りですよ。不安ならば私が毒味をしてあげます。一緒に勝利を祝して乾杯しましょう、アルト?」


 呆けたアルトの顔が面白くて、私はくすくすと笑った。

 ジルのように体で男を誘うつもりはない。だから私は私なりのやり方で好きな人を落とす。

 彼の胃袋を鷲掴みにして虜にしてやろうという作戦である。今まで十分頑張ったのだから、それくらいは許されるはずだ。


「君は……とんだ悪女だね」


「お褒めいただきありがとうございます。ふふっ」


 そう言いながら私は、彼を屋敷に招き入れた。

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