第二十三話 挽回の機会は訪れず 〜sideジェード〜
「私兵団はお貸しできません」
「なんだとっ」
「領地を守るので精一杯なのです。いくらアロッタ公爵からのお言葉とはいえ、従いかねます」
「戦場に出向くなんて無茶な。相手はジェネヤード帝国ですぞ」
「だからどうした。我々の力があれば大したことはないだろう」
「私は王国への忠誠を裏切るつもりはありませんが、だからと言ってアロッタ公爵に賛同する必要はない。お断りいたします」
「……夜逃げ、だと」
「はい。バディエ伯爵様御一家は、わたしたち使用人を残して発たれました」
「どこに行った」
「ごく一部の使用人にしか告げられておりません。そして彼らは伯爵様と共に行ってしまったので、わたしたちにはなんとも」
「お断りいたしますわ。わたくしどもは辺境の別邸へ避難するつもりですのよ。剣を取り立ち向かう? 無理に決まっていますわ。それに協力し、わたくしたちに何か利がありまして?」
馬車で様々な貴族の屋敷を巡った。
どれも普段俺に友好的な家の者たち。彼らに一緒に戦おうと言って手を差し伸べた。
なのにどうしたことだろう。
どいつもこいつも、弱腰で、まるで役に立たない。
俺は公爵なのだ。フロー公爵家亡き今、国内最大の貴族だというのに、侯爵や伯爵ごときがなぜ逆らうのか。
逃げたところでジェネヤード帝国の魔の手が伸びるだけだ。そうなるくらいなら自ら抗おうとは思わないのか。心底呆れる。「それでも貴族なのか」と問い詰めてやりたくなったが、貴族だからこそ保身に走ると言えるのかも知れないと思い、やめた。
第一断られてしまえば俺に強制する権利はない。どうせ後悔するのはお前らなのだと心の中で罵って、俺はその場を立ち去った。
だが問題は、そうなると誰と一緒に戦線へ向かうかということだ。
王国騎士団の力は借りたくない。どうせ彼方の手柄にされるに決まっている。
俺はここ最近ですっかり落ちぶれてしまった名誉を回復させ、周囲に実力を認めさせる必要がある。だが一人では勝てない。
そこまで考えて俺は、ひらめきを得た。
「……そうか。一人では軍勢には勝てないが、逆に身軽だから何でもできる、とも言えるな」
元々この戦争の原因になっているのはジェネヤードの皇太子だ。
そいつの首さえ取ってしまえば後はなんとでもできる。そして幸い、俺は隣国にコネがあり、こっそり密入国するのは容易いことだった。
ジェネヤードの帝城へ忍び込もう。なあに、大したことじゃない。俺にならできるはずだ。そして無能な他の奴らに代わって英雄になってやる――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
久しぶりに足を踏み入れる帝国の地は、空気がまるで違っていた。
殺気というのだろうか。戦争の気配があたりに立ち込め、住民たちは静かに息を潜めている。俺はその中を進んでいった。
公爵家の馬車ではあまりにも目立ち過ぎるので使えないと思い、国境のあたりで乗り捨てて来たが、きちんと帝国貴族の馬車を借りているので問題ない。
なぜそんなことができたかといえば、過去にこの帝国を訪れた際、資金難で没落しかけていた某貴族家に交渉を持ちかけ、救ったことがあるからだ。
フロー公爵家のように密通なんて愚かなことはしていないが、そこそこ親しくしている。
「それがこんなところで役立つとは自分でも思わなかったが。……我ながら有能だな」
これで安心して怪しまれずに城に入れる。戦乱が近づいているせいなのか、帝国の守りはガバガバだ。
その代わりにあちらこちらを兵士らしき人影がうろつきまわり、武器を片手にどこか――おそらく王国の方へ向かっていくのを見るに、闘志は高いようだが。
「エメリィは無事だろうか」
なんとなく彼女なら心配ないような気はするが、それでも不安になる。
もしも俺が戻る前に命を落としていたら? そんな考えがふと脳裏によぎり、俺は慌ててブンブンと首を振った。
さっさと敵の首脳部分を叩き潰してやろう。そうすれば兵はもはや使い物にならないはずだ。帝国兵など恐るに足りない。
そんなことを自分に言い聞かせているうちに、俺はジェネヤード帝国の帝都に入っていた。
帝都の中央、そこに見えるのが帝城だろう。他と違って守りは固く、見上げるほど高い壁が高く聳え立っている。
俺は現在、帝国貴族に扮しているため、誰も俺とは気づかないだろう。
しかもその帝国貴族は身分的には上から数えた方が早い。武器についての商談をしにきた、という口実で入り込む作戦だ。
そして実際、馬車を止められ調べられても誰も俺が偽者であることに気づかぬまま、城内へと通された。
心の中で黒い笑みが広がる。(恨むなら侵入者一人も見抜けない己の無力さを恨むんだな)
そして思わず独り言が漏れた。
「これであとは皇太子とご対面するだけだ。さすがに警備は厳重だろうが、上手いこと言って呼び出しさえすれば――」
「残念でしたわね。わたくしのケヴィン様のお命は、無能公爵ごときに奪わせるわけにはいかないのですわ」
誰もいないはずの城の客間で独りごちた俺の言葉に誰かが応えた。
俺は慌てて声のした方を振り返る。するとそこには、黒髪に金色の瞳の少女が立っていた。
「甘いですわね。わたくしの目を欺けるとでも思っていて? もし本当にそうだとしたらお粗末というものですわ」
そんな声と共に、俺の背中に何かが突き立てられる。
それが一体何なのか、理解するのに数秒かかった。そしてそれがわかってしまった瞬間、俺は激痛に襲われて座っていたソファから転げ落ちた。
「何、を……」
「無謀で愚かな暗殺者を裁いたまでのこと。ケヴィン様を害そうとした悪党はさっさと地獄に落ちなさい」
今まで見たことのない恐ろしい笑みを浮かべる少女の名は、シェナ・フロー。
かつて社交界の華と呼ばれていた裏切り者の姿を捉え、俺は納得した。
ここに来てようやく、俺があまりにも迂闊だったことに気づく。
服の中に隠し持っていた短剣を抜き出そうとするが、もう遅い。手にまるで力が入らなかった。
(ああ、ここで俺は死ぬのだな)という漠然とした死の予感。そして全身から血の気が失われていくのを感じながら、俺はエメリィの顔を思い浮かべていた。
(――最期に彼女に会いたかった)
これが俺、ジェード・アロッタの呆気ない終わりであった。
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