第二十二話 ジェード・アロッタの初恋 〜sideジェード〜

 俺は馬車に揺られながら、エメリィのことを想っていた。


 最初は痩せぎすでまるで気づかなかったが、あれほどの美人を他に見たことがない。

 本当に美しい。麗しい。社交界の華と有名だったフロー公爵令嬢にすら見劣りしない。いいや、あんな女よりも何倍もいい。

 ここ数日一緒に過ごして、自分の女嫌いが少しずつ薄まっていっているのを感じていた。それでも接触行為は少し嫌悪感を感じてしまうが、きっとじきにできるようになるはずだ。


 だからこの戦争から帰ったら、エメリィと再度結婚し、本当の夫婦として過ごそう。

 俺はそう決めていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 エメリィに本邸を追い出されてからのことを思い返す。

 あれからは本当に激動の毎日だった。俺と共に投げ捨てられていた少ない書類と別邸に残してあった資料だけで公爵としての執務をやりくりしながら、エメリィについての調査を行ったのである。

 公爵家が代々利用している密偵を雇っただけではなく、俺自らの足で様々な人物に聞いて回った。あの女が俺の知る悪女エメリィと同じには思えなくて、それを調べたかったからだ。


 するとすぐに証拠が出てきた。

 エメリィが冤罪をでっち上げて潰したと俺が思い込んでいたフォンスト伯爵家の人間たち――ジル嬢や伯爵夫人、フォンスト伯爵――の罪が本物であったこと。

 実際に悪女としての名を広めていたのはエメリィに扮したジル嬢であり、本当のエメリィは十年間フォンスト伯爵邸に軟禁状態だったということ。


(なら俺は、虐げ続けられてきた被害者に対して『悪女』などと悪様に罵り、一方的に嫌っていたのか?)


 その事実を心から恥じると共に、非常に申し訳なく思った。

 アロッタ公爵邸にやって来てからエメリィがわがまま三昧していたのも、久々の自由を堪能したかっただけ。そう考えれば、それ邪魔しようとしていた俺を排除した彼女の気持ちも理解できる。

 そういうことなら今すぐ彼女の元に向かわねば。でもどうやって? 俺のせいで夫婦仲はここまで拗れに拗れまくっているのだからそう簡単に屋敷に入れてもらえるはずがない。そこで思いついたのが、近々開かれるという王家主催の夜会に向かうことだった。

 エメリィはきっとそこにいる。夜会でエメリィを見つけ出し、きちんと話そう。きっとわかってくれるはずだ。


 しかしその企みはうまくいかなかった。

 美しくなり見違えるようになっていた彼女は徹底的に俺を拒絶し、かと思えば見知らぬ男に出会うなり親しげにしたのだ。


 あれは確かアルト・ウィルソン侯爵令息。

 俺のことを『公爵閣下』としか呼ばないエメリィが彼のことを名前で呼び、抱きつこうとした姿を見て――俺の胸になんとも言えない感情が湧き上がった。


 これが嫉妬なのだと気づいた時、初めて自分がエメリィを欲しいと思っていることを知った。

 つまり、俺はいつの間にかエメリィに恋してしまっていたのだ。これが正真正銘の初恋だった。

 女にこのような感情を抱く日が来るなんて思ってもみず困惑しつつも、ウィルソン侯爵令息たちと離れ、「どういう関係なんだ」と俺はエメリィを問い詰めた。

 帰って来た答えは「古馴染みです。幼い頃に関係があって。大した仲ではないです」というそっけないもの。


 でも俺は知っていた。ウィルソン侯爵令息はエメリィ・フォンストの元婚約者。

 エメリィの内心を知ることはできないが、少なくとも何かしらの未練はあるのではないかと思われた。


 あいつに奪われる前に、エメリィを俺の物にしなければ。

 俺は焦った。そこでもう一度、夜会が終わる前に強くアピールしてみたがエメリィはどこか冷めた目で俺を見つめ、静止するのも聞かずに帰って行ってしまったのだった。


 ……が、それから数日後。

 なんと彼女の方から俺に会いに来て、さらには「戻って来てほしい」と言い出した。


 こんなことってあるだろうか。

 俺は浮かれた。久々に本邸に帰られる。やっと別邸暮らしが終わるんだと思うと嬉しかったし、何よりエメリィときちんと話せる機会が得られるからだ。


 そしてこれからは俺の手でエメリィを幸せにしてやろう。女嫌いを克服し正しくエメリィの夫になってやるんだと、そう決めた。




 厄介なことにそれからすぐに戦争が起きてしまったが、そんなに悪いことではない。

 俺が貴族連中を率いて敵に勝ち、無事に戻れば、エメリィだって俺の実力を認めてくれるだろう。幸い俺は剣術の心得がある。そう簡単に負ける気はしない。


(おまけに老害貴族どもを見返してやることだってできる。いいことづくめだ。第一、一番の障害だったフロー公爵令嬢はありがたいことに自滅してくれた。これで王家から信頼を得れば、宰相になれるかも知れないぞ)


 結婚してから色々と不幸が続いたが、これからは違う。

 きっと何もかもがうまくいくぞ。ああ、楽しみだ――。


 初恋の熱ですっかり正常な判断力を失っていた俺は、そんな風に考えていた。

 だから自分の思考が根本から間違っているとは思いもしなかった。

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