第二十一話 夫を送り出す妻を演じて
「戦争だなんて……このお屋敷、どうなってしまうのでしょうか」
私は何も知らないふりをして公爵閣下に言った。
彼は開戦が知らされて以降、ずっと顔を顰めながら手紙ばかり書いている。多分貴族たちと連携を取るつもりなのだろうが、そんなので間に合うとでも思っているのか。
「アスティーン侯爵家、オロン侯爵家、シュジュ侯爵家、バディエ伯爵家、ルーク伯爵家、シエッタ子爵家に協力要請してみる。彼らと共に手を組めばこの屋敷は守られる」
「でも、その前に帝国の兵が攻めて来たらどうなるんです? 王家の次に力のあるアロッタ公爵家はきっと狙われやすいでしょう。私、こんなところで死ぬのは嫌です」
これは心からの本音だった。
この屋敷があっさり潰されて、公爵と共に殺されるなど御免だ。
「ですから公爵閣下、ここで勇気を見せてくださいませんか」
「……?」
「公爵閣下自ら剣を取り、戦っていただきたいのです。私も何か力になりたいですが、所詮は無力な女。ですが公爵閣下が前線に出てくだされば、きっと領民たちも勇気を持てるでしょう」
もちろん、彼一人が戦場に出たところで何か大きく変わるわけではない。だが公爵領の領民は多少の支持を得られるだろうし、それに彼が前線に向かえば追従する貴族も多いはずで、多少なりとも戦況が好転するかも知れない。
……それに本音を言ってしまえば、ここらでサクッと厄介払いしておきたかったのもある。
しばらく何を考えていたのか押し黙っていた公爵閣下だったが、彼は頷き、顔を上げた。
「確かに不安な領民を力づけることにはなるだろう。そして戦争に勝てば今より名声を得られるし老害どもを見返してやることもできるぞ。……エメリィ、お前は策士だな」
策士というほどのことでは全然ないし、公爵は私の真意に気づいていないのだろうが構わない。
「ありがとうございます」と適当に微笑んでおいた。
こんなにすんなりと話が進むとは思わず拍子抜けだ。ここ数日耐えて耐えて耐え続けたおかげか、彼はすっかり私のことを信用し始めているようだった。
女嫌いで有名なくせにチョロ過ぎやしないだろうか。これでよく公爵が務まったなと逆に感心してしまう。
「では、エメリィには執務を代理してもらうことになるから今から教えよう。それから戦に出る準備をする」
「執務代理ですか」
そうだった。公爵がいなくなるということは、私が面倒ごとを引き受けなければならないのだった。
ああ面倒臭い。本当なら全てのしがらみを投げ出して好き勝手にしたいが、これも自分の望みを叶えるためだと歯を食いしばる。
「わかりました。では早速教えてください」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
公爵としての執務は――と言っても最低限レベルのものではあるが――そこまで難しくないようだ。
幼少期に母に叩き込まれた教養や知識が功を奏し、領地経営などを理解するのも大して時間は掛からなかった。
「呑み込みが早いな。調査したところによると七歳からの十年間、一切貴族としての教育はされなかったと聞いたが」
「はい。でも母が女伯だったので、幼い頃に色々と教えてもらっていたのです。その時のことがこうして役に立つとは思えませんでしたけど」
母はとても賢い女性であった。
本来であればウィルソン侯爵家に嫁いで侯爵夫人となるはずだった私にも、知識をつけていて損はないと言ってたくさんのことを学ばせてくれた。
母には本当に感謝しかない。今は亡き母に思いを馳せていると、「この屋敷を頼んだぞ」という公爵閣下の声がした。
「もう行かれるのですか」
「ああ。実際に戦線へ向かって出発するのは明日になるが、色々と根回ししておかなければならないこともあるのでな。ところでエメリィ、話があるんだが」
「……?」
首を傾げる私に、ほんの少し気まずそうに視線を逸らした公爵閣下が言った。
「俺が無事に戻って来たら結婚してほしい」
「私たち、もう結婚していますよ」
「違う。確かに書面上はそうだが、まだ結婚式の一つだって挙げていないだろう。だから二度目にして本当の結婚式をやりたいと思っているんだ」
なぜか自信満々な公爵閣下の言葉。
私は思わず噴き出しそうになるのをなんとか堪えた。
(なんと愚かな人なのでしょう。可笑し過ぎます)
たとえ剣を嗜んでいたとして、長年屋敷に閉じこもっていた男が勝てるはずないのに。
それとも恥ずかしげもなく逃げ帰って来るつもりなのだろうか。もしそうなら呆れるしかない。
だが、そんな内心は一切表に出さない。最後まで『夫を送り出す妻』を演じ切るのだ。
「期待していますね。では閣下、いってらっしゃいませ」
「行ってくる」
公爵閣下は私に背を向け、屋敷の玄関扉を開けて外へと歩き去っていく。
そのどこか頼りない後ろ姿を見つめながら私は悪女っぽくニヤリと口角を吊り上げる。そして完全に彼が見えなくなってから、ポツリと呟いた。
「さようなら、お元気で。――きっとあなたとはもう二度と会わないでしょうけれど」
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