第十九話 戦争勃発
フロー公爵令嬢とアルトの婚約は、侯爵家側から無事に破棄された。
公爵家は爵位剥奪の上、娘の愚かな行動に怒ったフロー公爵が屋敷に火をつけて焼身自殺。フロー公爵令嬢は逃げたのか行方不明となり、現在捜索中とのことである。
「……うまくいったようですね」
私は一人、ほくそ笑んだ。
真面目な宰相だったという評判のフロー公爵が犠牲になったのは申し訳ないが、娘をきちんと躾られなかったのだからこうなっても仕方ない。
だが困った。まさかフロー公爵令嬢に逃げられるとは。王国の騎士たちは何をしているのだろうか、罪人の身柄くらいしっかり確保してほしいものだ。
しかし贅沢は言っていられない。
これでひとまず公爵令嬢を排除できたわけだから、早速次の段階に移ろう。
本音を言えば今すぐにでもアルトの元へ行きたいが、それは早まり過ぎだ。
これからやって来る難関――戦争を乗り越えないとその未来は訪れないのだから。
戦争は主にジェネヤード帝国との争いになるだろう。帝国の属国などはあるが小さいので戦力に数えなくてもいいだろう。
こちらの国土を狙う帝国、そしてそれに抗う王国という構図になるに違いない。そして帝国側にはおそらく取り逃したフロー公爵令嬢がつく。
王族の婚約者ではなかったから妃教育を受けていないのは幸いだが、それでもフロー公爵令嬢には王国の内情をある程度知られているわけだから戦争はこちらの方が圧倒的に不利だ。問題は、その中で私がどのように立ち回るかということ。
(癪ではありますが、この辺りで適当に公爵閣下を呼び戻しておいた方がいいかも知れませんね。以前どうやって別れたのか覚えていないのが困り物ですが、まあ、なんとかなるでしょう。彼にも少しは役に立ってもらわないと)
私はアロッタ公爵がいるであろう公爵家別邸へ馬車で赴くことを決める。
疲弊しきった彼に適当な甘言を囁けばきっと喜んでついてくるはずだ。非常に頼りなくはあるけれど、少しでも使えそうな手駒は全て使う――それが私のやり方だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お前……なんでここに」
「私、心を改めました。公爵閣下が反省していらっしゃるのなら、帰ってきていただいてもよろしいのではないかと。以前は少し取り乱してしまい、正常な判断力を失っていたのです。公爵閣下には私のような悪女を娶っていただいた御恩を返さないといけませんでしょう?」
公爵家別邸の客間で公爵と会い、一言二言交わした。
そこに立ち会っていた使用人たち全員は私を心底嫌そうな態度で見てきたが、肝心の公爵はといえば縋るような目をしている。私のことを調査し、全ての悪行をジルが行っていたと知って私に対して警戒感が薄れているのだろう。
……まあ、初恋を叶えるためなら戦争を起こしても構わないと考えている私の方がジルなんかよりよほど悪女なのだけれど。
「考えを改めてくれたか。そうか、それは良かった。
じゃあ今すぐ屋敷に戻る用意をするから待っていろ」
「ありがとうございます」
意気揚々と言う公爵は、またもや謝罪の一つもしなかった。
まあいい。彼といい関係を築かなければいけないわけでもないのだし、たとえ謝罪されたとしても私は彼を多分許せないだろうから。
頭を下げながら私は、これからしばらくは夫を愛する従順な妻を演じた方がいいかも知れないと考える。
戦争になった際には公爵家を守るために公爵閣下には頑張ってもらうことになる。その時に私が、今までのように好き勝手を表立ってしていると公爵の反感を買いかねないので面倒臭い。
後々のことを考えると、公爵邸は死守してもらわなければ困るのだ。
「……まあ公爵閣下を使い潰せば後はまた自由にやればいいだけですし」
「何か言ったか?」
荷物をまとめに行っていたアロッタ公爵が戻って来た。
私は「なんでもないです」と首を振り、彼と一緒に馬車に乗った。
別邸は適当な時期を見て売り払い、使用人も解雇しよう。そんなことを私が考えているとはすぐ隣に座る公爵閣下は思わなかっただろう。
やたらと私に話しかけてきて、「悪かった。これからは……」とありもしない未来の話ばかりしている。
気持ち悪い。一刻も早く、アルトに会いたかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
公爵を連れ戻してからの数日はとても居心地が悪かった。
公爵閣下と一緒に食事を摂りたいと言われて食堂で食べるようになったが、だからと言って何か話すわけでもなく気まずい沈黙が落ちるばかり。女嫌いだという公爵閣下の噂は本当で、ろくに異性と喋ったことがないせいで私と何を話していいのかわからなかったのだと思う。
私は一応公爵が気に入りそうな言動を心がけてはいたが、内心気分良くはない。でもこれも少しの辛抱だ。そう思って耐えて、五日後にようやく鐘が鳴った。
ゴーン、ゴーンと遠くから響く重く冷たい鐘の音。
どこからともなく聞こえるその音は、この王国――インフェと、隣国ジェネヤードとの戦が幕を開けたという知らせであった。
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