第十四話 思わぬ人との再会
私は、公爵閣下を冷たくあしらい、その後に縋り付く彼を放っておいて夜会に戻る算段でいた。
少し可哀想な気もするが、そもそも相手が悪いのだ。そもそもその程度で胸を痛めるようではいっぱしの悪女とは言えないだろう。
だから私は公爵閣下を拒絶する。
そのつもりだったのだが、邪魔が入った。
「ねぇ見てくださいまし、ここからの景色。最高ですのよ。街が一望できますわ」
「……そうだね」
何やら話し声が聞こえて来て、かと思えばテラスに新たな人影が現れたのである。
男女二人組だった。声だけでわかる。片方は先ほど話していたフロー公爵令嬢だと。
(……なんて間の悪い)
人がいては公爵閣下に思う存分話すことができない。
私は思わずフロー公爵令嬢をキッと睨みつけるが、薄暗いせいで彼女は私のことに気づかなかったようでテラスの手すりに身を寄せ、おそらく婚約者であろう男性に話し続けている。
(仕方ないですね。この場での説教は諦め、とりあえずテラスを離れましょうか)
公爵閣下に「また後で」とでも言って夜会の方に戻ろう。
元より公爵閣下に付き合っているだけ時間の無駄なわけだしちょうどいい。
だがしかし、その考えすらうまくいかなかった。
フロー公爵令嬢の隣、婚約者の男性がめざとく私たちを見つけ、フロー公爵令嬢に言ったからだ。
「シェナ様、先客がいらっしゃるようですよ」
「まあっ。……あら本当。まあっ、アロッタ公爵夫人。それにアロッタ卿まで。まあっ、お忙しいとお聞きしておりましたけれど、間に合いましたのね。とてもお似合いなお二人ですこと」
よほど驚いたのか、「まあっ」を連発しながら、フロー公爵令嬢が私たちの方へ歩いて来る。
厄介なことになった。私は頭を抱えたくなる。公爵閣下に喋らせると何かと面倒ごとを生みそうだというのに、フロー公爵令嬢は彼に色々なことを根掘り葉掘り訊く気満々だと直感でわかってしまった。
それは私にとって色々と都合が悪い。特に、私が虐げられ続けていたことなど話してほしくはないのだ。
なので、無理矢理話の主導権を私が握ることにした。
「ええ、なんだか時間の都合がついたようで私を迎えに来てくれたのです。本当にありがたいことに。
失礼ですがフロー公爵令嬢、横の男性はどなたです?」
「……ああ、彼のことですの? 彼はわたくしの婚約者ですわ」
それくらいわかるでしょう、と言いたげなフロー公爵令嬢。
きっと彼女の婚約者は有名なのだろう。だが生憎、今日が社交界デビューの私にはさっぱりだ。
なのでにこやかに――と言ってもろくに表情は見えないだろうが――問いかけた。
「ごきげんよう。私、エメリィ・アロッタと申します。フロー公爵令嬢の婚約者様、お名前を伺っても?」
しかし返って来たのは、しばらくの沈黙だった。
何かまずいことでも言ってしまっただろうか。そんな気まずさが流れた後、ようやく青年が口を開いた。
「……エメリィ? もしかしてあなたが、君が、あの有名なエメリィ嬢なのですか?」
「そうですが」
首を傾げる私。
私の見た目が大きく変わったことで不審げに思われているという反応は今までに多くあった。しかし青年の反応はそれらと違ったのだ。
まるで私のことを確かめるような。信じられないような、そんな響きがあって。
「僕は、アルト・ウィルソン。エメリィ嬢、お久しぶりです」
そして次の瞬間告げられた言葉に、私は息を呑むしかなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アルト・ウィルソン侯爵令息。
私と彼は初対面ではなかった。
ジルが演じていたエメリィと、という意味ではない。
本当の意味で、本物の
社交をしたことがなかった私がなぜ彼とそんな思い出を持っているのか。
答えは簡単である。私とアルトは、かつて、婚約者同士だったから――。
「……アルト」
私は思わず呟いていた。
アルトが、かつての婚約者が、こんなところにいるはずがない。
隣にいるアロッタ公爵の存在も、フロー公爵令嬢の存在すらも全て頭の中から吹き飛んでしまった。私はウィルソン侯爵令息を名乗る彼の元へ駆け寄っていく。
「本当にあなた、アルトなんですか? ねえ、顔を見せて」
傍に置かれていた蝋燭を持ち上げ、彼を照らした。
そこにあったのは太陽を思わせる輝かしい金髪に、宝石のような翡翠色の瞳。
忘れるはずがない。彼の顔には確かにアルトの面影があった。彼そのもの、だった。
「おいエメリィ、どうしたんだ」
「アロッタ夫人。何をなさいますの!?」
困惑し切った公爵閣下の声も、フロー公爵令嬢の怒声も私には届かない。
私はただ、ウィルソン侯爵令息……アルトを見つめていた。彼しか見えなかった。
だが、
「エメリィ嬢。そんなに熱い視線で見つめられると、アロッタ公爵閣下に僕が嫉妬されてしまうのでおやめください」
まるで私との日々を忘れたかのように、アルトはそう言って。
はしたなくも抱きつこうとした私の手を振り払った。
普通に考えれば至極当然の話だ。
相手は婚約者がおり、こちらは既婚者。過度の接触は避けるべきなので彼の行動は正しい。
けれど私は拒絶されたことが信じられなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後どうしたのかはよくわからない。
気づいたら夜会は終わっていて、公爵家の馬車に一人で乗っていた。公爵閣下がいないところを見ると適当にあしらったのだろうが、全く覚えていないのだ。
アルトは私の初恋の人だった。
将来を約束し、一緒に過ごして支え合い、幸せな結婚をすることを幼い私は信じて疑っていなくて。
アルトが大好きだった。カッコ良くて優しくて、私の理想の旦那様になるはずだった。
私の母が死んだ時、唯一一緒に悲しんでくれたのも彼だ。
ジルたちに冷遇される私を助けようとしてくれた。残念ながら彼の言葉は及ばなかったけれど、それでも抗ってくれたのが嬉しくて、でも別れなければいけないのが辛過ぎて泣きじゃくったのを思い出す。
――アルトは私のたった一人の味方。
なのにどうして私ではない女をエスコートして、私ではない女と親しげにしているのだろう?
私の感情は身勝手過ぎるものだった。
アルトはとっくの昔に私の婚約者ではなくなってしまっているのだから、私が嫉妬する資格はないこともわかっている。
でもどうしようもなく、フロー公爵令嬢への怒りが胸の中に湧き立つ。
(ああ、どうにかなってしまいそう)
欲しい。
アルトが欲しい。
こんなこと、本当は思ってはいけない。
なのにどうしても、思ってしまう。
幼き日のように「エメリィ」と優しく呼んで、太陽みたいな笑顔を見せてほしい、と。
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