第十話 若公爵は出入り禁止 〜sideジェード〜
「認めないぞ。俺は認めないぞ。出て行くのはお前だ。ここは俺の屋敷なんだからな。ああ、悪女なんか娶らなければ良かった……」
俺は呻くように言って、目の前の女を睨みつけていた。
銀髪に菫色の瞳の痩せこけたその女の名は、エメリィ。男遊びがひどいわわがままを言って食事を一切摂ろうとしないわ家族を虐げるわの悪虐三昧、貴族の誰もが認めるであろう悪女の中の悪女――それが彼女について事前に聞かされていたことだった。
だがここまでとは思わないだろう、普通。せいぜい散財して屋敷の外で男遊びに耽る、その程度だと想定して結婚したのだ。
まだ俺と彼女は結婚して七日目だ。
結婚と言っても、周りの老いぼれ貴族どもが未婚だと俺を見くびるので偽装結婚したまでの話。
俺は元々女が嫌いである。俺を見るなり媚びた視線を向け、ドレスの胸元をそれとなく広げながら誘ってくる女どもが吐き気を催すほど嫌だった。
それは俺の母親が尻軽であり、父親に隠れて色々な男に体を晒していたせいもあったのだろう。その現場を幾度となく見てきたせいで俺の女嫌いはさらに悪化して、今では女性に触れられただけで気分が悪くなるのだ。
だから俺はエメリィが嫁いできた時、『愛することはない』と宣言した。
それは清楚で病弱なジル嬢ではなく悪女エメリィが嫁いできたことへの八つ当たりのような気持ちもあったが、第一に関係を求められても無理だという拒絶の意思表明でもあった。
しかしそれがいけなかったのだろうか。
その日は大人しくしていた悪女だったが、翌朝から、彼女は予想外の悪女っぷりを発揮し始めたのだ。
お飾りの妻とはいえ、貴族連中に知らしめる必要はある。
だから俺は近日中に貴族たちへ顔見せをするつもりだった。だというのに、エメリィは俺に断りもなしに馬車を出し、それをたった一人きりで済ませてしまったという。
信じられない話だった。しかも、御者に聞く限りはただそれだけで、男遊びをした様子もないらしい。しかしこの不可解な行動の真意は二日も経たないうちにわかることになる。
フォンスト伯爵家が潰れたと聞かされた時、俺は危うく泡を吹きそうになった。
せっかく娶ったというのに、妻の実家の者たちが罪人になってしまったら、俺はますます老いぼれ貴族たちに白い目で見られることになる。
なんてことしてくれたんだ。俺はエメリィを怒ったが、彼女は素知らぬ顔。
彼女の悪行はそれだけに留まらない。
長年俺を献身的に支え続けてくれていた使用人たちを力づくで追い出した。優しかった侍女も、まだ俺が子供だった頃、多忙だった父親に代わって色々と指導してくれた執事も。悪女の手によって紹介状すらないまま屋敷を締め出されたのである。
こうなったらもう黙認してはおけない。
離婚して、この悪女を傷物にしてやろう。俺は短慮な結論に至り、そう口にしたがエメリィはあくまで静かに言った。
『私は平民に堕ちます。しかしその代わり、公爵閣下の名にはたっぷり泥が塗られることにはなりますね。それでもよろしかったらそうされたらいかがです?』
男遊びばかりして、伯爵家の金を食い潰していただけの悪女。
その評判を疑ってしまいたくなるほど、彼女は貴族然としていた。
自分が何を言ったら相手が困るのか、的確に理解している。
その上で俺を脅し、自分の好き放題にしようとしているのだ。あわよくばこの家の実権を握ろうと考えているに違いない。
こんな女、早く追い出さないとまずいことになる。わかっている。わかっているのに、この悪女に対抗すべく言葉を俺は持っていなくて、呻きながら恨み言を言った。
「追放だ。お前なんか、追放してやる……」
「やれるものなら実行してみてくださっても私は一向に構わないのですよ? 公爵閣下。ああそうそう、フォンスト伯爵家は潰しましたがあれは実質乗っ取られただけなので、私は犯罪者の中に含まれていません。罪のない女をあなたは見捨てる覚悟があるのであれば、どうぞご勝手に」
そうだ。そこが厄介なのだ。
エメリィがフォンスト伯爵家の不正や犯罪の数々に関与していないことは明らかになっている。金の無駄遣いをしていたのがジル嬢であり、エメリィは虐げられていたのだという話まで持ち上がっているらしい。
だが、そんなのは嘘に決まっている。事実彼女の態度を見ればわかることだ。エメリィは実家を貶めたいがため、どうやったかは知らないがありもしない嘘を真実と思わせるように仕組んだのだ。きっと、アロッタ公爵家に嫁いできてからたった一日で。
「契約破棄だ。お前のような悪女はもう野放しにはしておけない! 俺が責任を持って、お前を教育し直す。どんな手を尽くしても」
もちろん暴力に頼るつもりはない。が、これはあまりにも酷すぎる。
厳しめの家庭教師を用意して、この女をまともな人間にしよう。そうすれば周りから文句も言われず、かつ立場がわからせられるはずだ――。
そんな風に考えていた、その時だった。
「あら、公爵閣下ともあろう方が乱暴なことを。私の自由はこの契約書によって守られていると言っているでしょう。勝手に破棄することは許されませんとも、先ほど言ったはずです。
簡単に約束を違えるのは尊敬できませんね。それに私の行動を制限されるのは嫌なので、しばらくあなたを出入り禁止にさせていただきます」
エメリィがあまりに理解不能なことを言って。
かと思えば俺は次の瞬間、たまたま開いていた窓から放り出されていた。
「――!?」
「心から反省したら帰って来てくださってよろしいですよ。公爵閣下なら別邸がおありでしょう? そこでしばらくはお仕事するなり遊ぶなりしてください。私たちはあくまで愛のない書類上の夫婦なのですから離れても問題ありません。
心配せずとも私は大丈夫ですので、さようなら」
庭に投げ出された俺は、上から降ってくるその声をただ聞きながら、あまりのことに気絶してしまったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
……気がつくと俺は顔面に書類が被せられた状態で地面に寝転がっていた。
どうやら公爵としての執務に最低限必要なものだけ俺と一緒に捨てられたらしい。場所は変わらず公爵家の庭だ。気を失ったのはせいぜい二、三時間程度らしかったが、起き上がると背中が痛かった。
「あの、女」
あれはとんでもない悪女だ。
公爵家当主である俺を、公爵家本邸から追い出すなんて。
無論俺はすぐに屋敷の中に入ろうと試みたが、どこも戸締りがされており、いざという時のための秘密の脱出経路すら塞がれていた。
いつの間にあの女は屋敷の構造を把握したのだろう? さっぱりわけがわからず、ただただ唖然となる俺がいた。
この時になって、俺はようやく思い知らされる。
――エメリィ・フォンスト改めエメリィ・アロッタなる彼女を、己がどれほど見くびっていたのかを。
――彼女を今まで縛り付けてたであろう箍を外したのが、他ならぬ俺であるということを。
(噂を信じ込まず、もう少しエメリィについて調べておけば良かった。いくら共に過ごすつもりがなかったからとはいえ、俺はなんと迂闊な真似を……)
後悔してももう遅いというやつである。
全ては俺の油断が生んだことであり、そのせいで安泰だったはずの地位はぐちゃぐちゃになり頼れる使用人たちもいなくなってしまったのだ。認めたくはなかったが紛れもない事実なのだ。
「……はぁ」
ため息が漏れる。
俺はそのままの足でトボトボと別邸に向かって歩き出すしかなかった。
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