第九話 朝令暮改な男は嫌い

 公爵閣下はどうやらお困りの様子で、廊下をうろうろ歩いていた。

 それをしばらく自室からこっそりと眺めていた私だったが、なんだか見ていられなくなって部屋から出ていくことにした。


(――まあ、どうせ使用人のことでしょうけど)


 そして私の予想は当然ながら当たっていた。


「おいお前。エメリィ、うちの使用人たちがどこにいるか知ってるだろう」


 私が出て行くなり、静かな怒りを孕んだ声で公爵閣下が私を問い詰めてくる。

 ああ、面倒臭い。だがこの家の当主はまだ・・公爵閣下なのだから答える義務がこちらにもあるだろうと思い、口を開いた。


「はい。存じておりますよ」


「どこへやったんだ」


「職務放棄により解雇処分としました。何せ、私の元へ茶の一つも持って来られないのですよ? これが使用人であってたまりますか」


「……ちょっと待て。それは本当なのか?」


 どうやら公爵閣下は使用人たちの職務放棄について一切知らなかったのか、こちらを疑いの目で見てくる。

 一応彼にとっては信頼ある使用人だったのかも知れない。しかし信頼があったからこそ、お飾りの妻が無視されたわけだけれど。


「ええ。ここ数日のドレスは全部自分で着替えましたし、運ばれて来た食事は全て冷めていましたから。こんなの許容できるわけがないでしょう?

 家を整えるのも妻としての役目。なので勝手ではありますがきちんと暇を言い渡しておきました。

 ああ、勘違いしないでくださいね。別に公爵閣下と二人きりになって無理矢理あなたを押し倒そうとか、そんな野蛮なことは考えていませんから。私はあなたに愛を求めません。その代わりこれからも好きにさせていただきますので」


 なるべく丁寧に、誤解されないように私は説明した。

 ……しかしどうやらこの答えはお気に召さなかったらしく、


「好きにしろ、というのは俺に迷惑をかけない範囲での話だ。

 決して、決して! 俺の同伴もなしに貴族どもに挨拶という名の汚名流しをしていいという意味でも、断りもなく使用人たちを解雇していいという話でもない!

 もしも本当に使用人の職務放棄がなされていたとして、なぜ俺に相談しなかった。俺が言ったら改善されたはずだ。言ってくれれば……」


「契約書には『公爵閣下の許可を取った上で』という文言はなかったはずです。ほら」


 私が見せつけるのは、何より大事な契約書。

 これを持っている限り私の自由は守られる。私の、人並み以上の暮らしは安泰なのだ。


「……ぐっ。なら、今からでも書き換えよう。俺の許可の上で、お前は好きにすればいい。悪女と聞いていたがここまでとは思わなかったぞ、エメリィ・フォンスト!」


「公爵閣下、私はもうエメリィ・フォンストではありません。フォンスト家は潰し……ではなく、潰れたのですから。

 この契約書を破こうとしても無駄ですよ。もしそれを実行なさるようなら、あなたが私を愛さないと言い、使用人たちに虐げさせていたことを言いふらします。

 ……できればそんな手荒な真似はしたくないので、ここは大人しく引いてください、公爵閣下。私、朝令暮改な男は嫌いなのです」


 絶対に違えないからこその契約だ。

 もしも破るようなことがあれば報いがあるのは当然の話。公爵閣下が私の手から無理矢理に契約書を奪えば、不利になるのは彼自身。

 それがわかっているからこそ、私は強気でいられるわけだけれど。


「異論はありますか、公爵閣下。一応お聞きしますよ?」


「お前は、自分の立場がわかっているのか。社交界では味方のいない悪女。実家はなくなり、お前の後ろ盾はもはやどこにもない。離婚すれば――」


「私は平民に堕ちます。しかしその代わり、公爵閣下の名にはたっぷり泥が塗られることにはなりますね。それでもよろしかったらそうされたらいかがです?

 挨拶回りの時に聞きました。あなたはまだお若いから、公爵でありながら周囲の貴族に見下されているのでしょう? それがさらに評判が悪くなったらどうなるか……見ものですね。

 まあもっとも、その時私はこの屋敷にはいないのですが」


 悪女っぽい笑みを見せ、私はくすくすと笑った。

 公爵閣下はまだ気づかないのだろうか。私に向かって『好きにしろ』と言い放ってしまった己の過ちを。


 私が本当に噂通りの悪女だとして、好きにしろだなんて言葉は絶対言ってはいけなかったのだ。ましてや契約を結んだのは愚策でしかない。

 そんなことすらわからない公爵閣下は、そりゃあ当然周りからの信頼もないはずだ。私は妙に納得した。

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