第2話

鉄格子の中から見える景色は味気ない淡泊なもので改めて俺は自分のしてしまったことを悔やんでいた。今更後悔しても遅いと思ったがそれでもあの場では仕方なかったのではないかと自身を正当化させてみる。思わずボサボサとなった頭を掻いてため息をつく。

すると警察官が牢屋の前までやってきて鉄格子の鍵を開けた。淡い希望を一瞬持ったがどうやら取り調べが始まるのでやってきただけらしい。

取り調べ室に行くと部屋の真ん中には小さな机が置かれ、向かい合うよう無造作にパイプ椅子が置かれていた。奥の方に座るよう指示され不服そうな顔をしながら座る。すると程なくしてスーツに身を包んだ若い男が部屋に入ってきて向かい側の椅子に座る。

「こんにちは、この件を担当します菅谷と言います。小阪さん、よろしくお願いします」

「……俺はどうなるんですか」

「そんな緊張しなくても大丈夫です」

菅谷は落ち着いた声色で語りかけるがその視線は俺の一挙手一投足を見るように鋭かった。

「現場の状況とかも鑑みて捜査しますがね、しかし…」

菅谷はこの後の言葉を続けようとしたがその言葉に被せるよう食い気味で発言する。

「分かってます!」

「…まあ、そういうことでしたら早速始めましょうか、さん」

俺は自らのやってしまったことを悔いた。

取り調べが始まると俺は机に置かれた卓上ライトを向けられ事の顛末を思い起こした。



あれは、つい数週間前の話だ。マッチングアプリを登録した俺はまるでトランプで良い札が出るまで引き直しをするような感覚で次々に女性にいいねをしては簡単な自己紹介メッセージを送る作業を繰り返していた。

すると18歳のS.Aという人物からメッセージの返信がきた。

『メッセージありがとうございます。私でよければお話しませんか?』

珍しくメッセージに反応があったことに俺は浮かれてすぐに返事を返した。それが彼女との出会いだった。

それから幾度となくメッセージのやり取りをして1週間が経つ頃には通話アプリで会話をする程仲良くなっていった。そういったやり取りを繰り返して行くうちに俺が言ったのか彼女が言ったのか思い出せないが自然と会う方向に進んでいった。そして、彼女の最寄りの駅で待ち合わせる約束をしたのがあの事件の日だった。


その日、予定の時間を少し過ぎて駅に到着して待ち合わせ場所に向かうと既に彼女が待っていた。

「あー、やっと来た。10分遅刻」

彼女は笑いながら俺の遅刻を指摘すると、グゥ…と彼女のお腹から小さく音が鳴った。不意の空腹の音が鳴り、俺も彼女も笑みがこぼれた。

「俺もお腹減ってるしどこかレストランとか行きます、か」

様子を窺いながら彼女の方を見る。すると先程のお腹の音が恥ずかしいのか、若干頬を赤らめて佇んでいた。その時、肉眼で実物の彼女の顔を初めてじっくりと視界に収めたが写真よりも幼く見えるようで実年齢が本当に18歳なのか疑問が生じた。だが、マッチングアプリで写真と実物が違うなんてことはよくある事なので特段気にすることはなかった。

しかし、そんな俺でも気にかかることがあり彼女に質問を投げかけてみる。

「そういえば、アプリで名乗ってたS.Aってイニシャルですよね。なんか呼びづらいし名前教えてもらえます?」

「q-そういえばそうだった。堺田明梨って言います」

彼女は怪しむことなくあっさりと本名を打ち明けた。

「堺田明梨さんね。改めてよろしくお願いします」

今度はこちらの名前を名乗ることになるかと構えたが、今度は俺の腹の虫が鳴ったので名前の件をおざなりにしたまま、駅前の通りに足を向けた。

「どこに行きますかね~」

後ろにいる彼女に訊くが返答はなく、思わず振り返る。すると彼女から意外な言葉が聞けた。

「…あの今日、私の家でご飯用意してるからこれから家に来ない?」

いきなりは…と言おうとしたが彼女の気持ちを無下にするのも申し訳ないので承諾して彼女の家にあがることにした。


駅前の繁華街エリアから10分くらい歩いていくと閑静な住宅街が広がっており、さらにそこから10分歩くと団地や大小様々なマンションが立ち並んでいる。そんなマンションの近くにもぽつぽつと一軒家はあり、その一つに彼女は住んでいた。

彼女は家の前に立つとこちらを振り返った。

「あ、そうそう前にも言ったけど家にキモくて変なのいるけどまーじで気にしないでほしい。なんかしてきても無視してもらっていいからさ」

このことは以前メッセージでやり取りしている際にも聞いていた。なぜか彼女を見るたびに舐め回すように見てきて彼女からなじられる度に嬉しそうにしている頭のネジが外れた信太郎という家族がいるということ。病気なのである程度は仕方ないと話していたがやはり外部の人間にはある程度の覚悟はしていてほしいものなのだろう。

「病気なら仕方ないですよ」

俺のその言葉に安堵した表情を見せるとドアを開けて家に入っていくので俺もそれに続く。

家に入ると彼女のお母さんが若干驚いた表情をして待っていた。

「あら~、明梨が友達が来るから余計にご飯作れって言ってたけどそういう事だったのね~。あ、どうも明梨の母です」

人の良さそうな理想的なお母さんでなんだかこちらが申し訳なってくる。

「あ、こんばんは」

ぎこちなく挨拶すると早速リビングに通され食卓へ座らせられた。食卓には白米とそれに合うのか分からないがコーンスープが並んでおり真ん中には気合を入れて作ったであろう唐揚げとコロッケがそれぞれこんもりと盛られそばにはそれぞれの取皿も用意されている。

「げ、なんで揚げ物ばっかなの」

「何でって、私の得意料理が揚げ物なの知ってるでしょ~」

「あーはいはい、そうでしたね。絶対、明日ニキビ確定じゃん」

「良いじゃないの、ニキビ出来るのも若い内よ」

そう言うとお母さんは2階へ続く階段からもう一人の家族へご飯が出来たことを告げた。

明梨さんがその傍らで食べ始めたので俺も食事に手を付けることにした。

「…お母さん、美味しいですこれ」

と言ったタイミングで階段を降りる音が聞こえてきた。

「再三言うけど何か言われても気にしなくていいから」

隣に座る明梨さんが小声だが念を押すように言葉をかけた。降りてきた男はリビングに入るなりこちらをギロリと睨んだ。予想を上回る変人ぶりに困惑するもそれを隠すためにあえて手を振って声をかけてみることにした。

「えーと、君が信太郎君だよね?こんばんは、明梨さんの彼氏の征也って言います。よろしくお願いします」

すると横に座っていた明梨から肩を叩かれた。

「ちょっとぉ、まだそんなんじゃないってば」

とまんざらでもない表情で言っていたが、目は全く笑っていない。

「…どうも」

意外にも信太郎君から声が聞こえ、そのまま食卓の空いた席に座ったので、俺達も先程のように食事を再開した。するとお母さんが雰囲気を変えるため、あ、と思い出したかのように呟いた。

「そうそう、そういえば駅前になんか新しいカフェ出来るらしいんですって」

「いやいや、それ今言う?」

「忘れないうちに言っておかないと思ってね」

「明梨さん、それは結構重大情報ですよ」

「ほら、征也君もそう言ってるし、って征也って言うのね、よろしく~」

そんな会話をしていると前方の席からなにやら音が聞こえた。そう思った直後、信太郎君が白米に装った茶碗に食べていたものを戻した。

「ちょっと、大丈夫?」

戻した信太郎君の背中をお母さんが擦っている。

「だからこんなんと一緒に食いたくなかったんだよ、まじキモい」

「明梨さん、何もそこまで言わなくても良いじゃないですか」

するとここで道すがら買ったものの結局飲んでいなかった水のペットボトルの存在を思い出し、信太郎君に差し出す。

「水飲みます?」

声を掛けた直後、差し出したペットボトルは信太郎君によって跳ね除けられていた。すると流石に我慢できなくなったのか、明梨さんが信太郎君に厳しい言葉を投げかける。

「ちょっと!折角、征也君が水あげたのに何よそれ。もう頭来た、邪魔するんだったらさ、さっさと自分の部屋戻ってよ」

信太郎君は意外にもその言葉に素直に従い食卓から立ち上がるとリビングから出ていった。

「征也君ごめんね。変なとこ見せちゃったみたいで」

「ウチもごめんね、つい口が荒くなっちゃった」

「いえいえ、お二方の気持ちも分かりますのであまり気にしないでください」

すると、お母さんが再度、あ、と思い出したかのように呟いた。

「そういえば、征也君ってどこかで見たことあるような…」

そんな鋭い一言が飛んできて、瞬時に心臓の鼓動が高鳴り、手のひらに汗が滲む。すると明梨さんも、あ、と呟き、もう終わりだと悟った。

「あれでしょ、俳優の曽谷健次」

しかし、予想と違う答えが聞こえ肩透かしを食らう。

「あ、その子かー!確かに目元とか似てるもんね、納得」

「まあ…俳優として活動してる人と似てるなんて嬉しい限りです」

何だかんだ疲れてしまったので食事もそこそこに食卓から立ち上がる。

「あら、もう帰っちゃうの?」

「長居してもお邪魔になるので今日は帰ります、ご馳走様でした」

「なんだか気を使わせちゃったみたいでこめんなさいね。また気が向いたらいつでも来ていいからね」

「…ありがとうございます」

久しぶりに人の善意に触れられた気がして本当に申し訳ない気持ちになる。

荷物をまとめて玄関に行くと、明梨さんとお母さんが見送りに来る。

「また、よかったら来て頂戴ね。またその時はメンチカツとか唐揚げとかご馳走するから」

「いやいや、なんで揚げ物限定なのよ。もっとカレーとか肉じゃがとかさ、あるじゃん」

明梨さんとお母さんの仲睦まじい光景を見せられ俺は自然と笑顔になってしまう。

「それじゃ今日はご馳走様でした」

と言って玄関に手をかけたその時、奥から信太郎君が出てくる。多分反応はないと思うが一応声をかけてみる。

「あ、信太郎君!体調は大丈夫ですか?」

すると信太郎君がこちらに向かって一直線に走ってくる。その時、手にきらりと光るモノが見えた。俺はその正体が何か分かり身構えるが手前のところでバタッと音を立てて信太郎君は転んだ。その衝撃で手に持っていた包丁が俺の足元に転がってくる。

足元の包丁を拾い上げると、眼下には倒れている男が見えた。なんだかその姿はアルコール依存症の親父が泥酔して倒れるように眠ったときを彷彿とさせた。包丁を持つ手に力が入る。その時、目の前の男が怒気を含みながら立ち上がろうとしてきた。そんな姿も親父にそっくりで昔のようにやらなければやられると考えてしまう。

軽いパニック状態に陥った俺は必死で身体を動かした。


「キャー!」


明梨さんの悲鳴を聞いてふと我に帰ると、そこには血にまみれた自分の手、そして目の前には包丁が腹部に突き刺さった信太郎君が倒れていた。



「…そして、自ら警察に電話して現行犯で逮捕された、と」

いきさつを話した俺は菅谷からの問いに力なく頷いた。

「はい、間違いありません」

「大方、分かりました。先程連絡があったんですが堺田さん、いや信太郎君ですが命に別状はないとのことです」

「本当ですか」

「不幸中の幸いってやつですかね」

「……だけどこうなってしまった以上、俺はもう堺田家には関われませんね」

「まあ、そうなるでしょうね。ちなみに前科があること伝えてたんですか」

「…いえ、まだです。でも時期が来たら伝えようとしてました」

「まあ仮に伝えたとしてもそういうのが分かれば自ずと離れていくものです…」

俺は菅谷の言葉に納得し同意しかけたその時、取調室の扉が開き新人らしい警官が顔をのぞかせた。

「今、取り調べ中だったんだけど何かあった?」

すると、新人警官が菅谷をちょっと、と良いながら部屋の外へ呼ぶ。そう言う新人警官の顔が神妙な為、菅谷もただ事ではないと察したのか部屋の外に出ていく。


「小坂さん、もう帰ってもらっても大丈夫です。」

数分後、取り調べ室に菅谷が戻ってくるなりそう言い放った。

「えっと…どういう事ですか」

状況が分からず菅谷に質問をすると、意外な回答が返ってきた。


「…それが堺田さんが先程いらして、被害届を取り下げたとのことです」

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