Sを求めて

西空 数奇

第1話

俺は俺の姉が好きだ、もちろん異性として。

血の繋がりが無い異母姉弟や再婚相手の連れ子でたまたま同じ家に住むことなって…などということであれば幾分もましだっただろう。だがそうはいかないもので同じ両親から2年先に生まれ、物心がつく前から高校生になる現在まで一緒に成長してきた姉の事が好きだった。

新雪の如く白く透き通ったきめ細やかな肌、決して細いとはいえないが太っていることもない、いわゆる中肉中背の健康的な体型。母譲りのキリッとした茶色の瞳。嫌悪感を露わにして警戒した時の低く鋭い声。とにかくすべてが愛おしく思えた。そのため家で姉を見かける度、俺の視線は姉を舐め回すようにじっくりと見つめていた。


そんなとある日、起きるといつもの如く空は橙色に染まり、遠くの方には薄っすらと月が見えていた。

「信太郎君!ご飯!」

扉越しに母の呼ぶ声が聞こえ寝癖まみれのボサボサ頭を掻きながら自室の扉を開けた。するといつものようにリビングから母と姉が世間話をしている声が聞こえてくるが少し上ずっているのが分かった。妙に感じた俺は立ち止まると耳をすまして聞き耳を立てる。するとすぐにその違和感の正体が判明した。それは母と姉以外にもう一人声の主がいるということだった。それに気付いた俺は正体に迫るべく急ぎ足で階段を下る。

リビングに行くと食卓に向かい合うようにして座り談笑する母と姉、そして姉の横にもう一人見知らぬ男が座っていた。男はこちらに気付くと笑顔で手を振ってくる。

「えーと、君が信太郎君だよね?こんばんは、明梨さんの彼氏の征也って言います。よろしくお願いします」

すると横に座っていた姉が男の肩を軽く叩いた。

「ちょっとぉ、まだそんなんじゃないってば」

そう口では言う姉だったが表情はまんざらでもないといった感じだった。

「…どうも」

俺は小さな声で会釈をするとそのまま料理が置かれたまま空席となっている母の隣の席に座った。

すると三人は何事も無かったかのように先程までのように談笑を再開した。しかし、俺の頭の中では先程目の前に座る男が放った言葉が未だ鮮明に反芻し続けていた。

『…明梨さんの彼氏の征也…』

その言葉を聞いた瞬間、衝撃の余り機能を停止させていた自らの脳が徐々に活動を再開させて反芻した言葉を理解しようとしているのが分かった。すると急に胃袋の中が空にも関わらず何かが込み上げてきて持っていた白米を装った茶碗に吐瀉してしまう。その瞬間、姉からキャッと小さな悲鳴が漏れ出る。

「ちょっと、大丈夫?」

母がそう言いながらすかさず背中を擦ってくる。

「だからこんなんと一緒に食いたくなかったんだよ、まじキモい」

「明梨さん、何もそこまで言わなくても良いじゃないですか。水飲みますか?」

男は自分のバッグから水の入ったペットボトルを取り出して俺の眼の前に差し出す。俺は頭が考える前にその差し出されたペットボトルを跳ね除けていた。

すると横から見ていた姉が男の優しさを無下にする俺を見て鋭い言葉を投げかけた。

「ちょっと!折角、征也君が水上げたのに何よそれ。もう頭来た、邪魔するんだったらさ、さっさと自分の部屋戻ってよ」

俺は姉からの言葉にこくりと頷くと食卓から立ち上がりリビングを後にした。

後方からは母と姉で何とか株を持ち直そうとしているようなやりとりが聞こえたがそんな事、俺には関係が無かった。

部屋のドアを閉めると力なくその場にへたり込んでしまう。

ずっと好きで好きでたまらなかったあの姉が、ずっと俺と一緒に住み続けると思っていたあの姉が、別の男を連れてきたという事実に完全に打ちひしがれてしまったのだ。


ふとまだ幼かった時の事を思い出す。

勉強も身体を動かす事も苦手だった俺はいつも同じクラスの奴らに通学路から外れた場所にある空き地で日々の鬱憤を晴らす為、そして自らの優位性を保とうとするちっぽけなプライドの為、サンドバッグという役目に徹する羽目になっていた。通学路から外れているという立地からか同じ小学校に通う者はほぼ通ることがなく、例え傷ついたとしても俺自身、鈍臭かったという理由から誰も気付く事なく空き地でのごっこ遊びが常態化していた。

それは木々が秋葉を落としてもうすぐ冬に入ろうとする準備をしていた頃だった。いつも通りサンドバッグになっていると声が響いた。

「ちょっと何してんの!晋太郎!今日は早く帰ってお母さんのお手伝いする約束だったでしょ!」

そう言って脇目も憚らず俺に向かってきた。

目の前に立つと、ん!と手を差し伸べた。突如として現れた姉に困惑しているとプライドの塊達が茶々を入れてくる。

「あー晋太郎のネーちゃん、すんません。俺たちと遊ぶ約束してて…」

「うるさい、ボケ猿!」

食い気味に入れられた茶々を否定する言葉にボケ猿共が反応した。

「酷いじゃないですか、いくら上級生と言えどその言葉遣いは駄目ですよ。先生に報告しますけど」

「でもそれって、アンタら小僧風情がまっすぐ家に帰らずにここで遊び呆けてるって言うことになるけど?」

うっかり失言してしまった事に気付いたのか金魚のように口をパクパクとさせて反論しようとしている。すると後方からもう一人小僧風情が話に加わりだした。

「でもどっちもここにいたって証拠が無いですよ?」

「それなら今作れば良いのよ」

すると姉は懐から父のカメラを取り出してシャッターを切り始めた。さすがにそれが何を意味するのか分かったのか姉と複数の男子たちとでカメラの取り合いになる。しばらくすると取り合いがいつの間にか殴り合いに発展しており、俺はそんな様子をボーッと見つめるばかりだった。程なくして一人の男子の泣き声が聞こえてくるとそれが起点となり喧嘩が終了した。

「ママに言ってやるからな!」

いじめっ子の一人がそんな典型的な捨て台詞を吐いて空き地を後にすると、ついさっきまで騒がしかった空き地は静まり返り俺達姉弟が残るのみとなった。

「帰ろ」

姉がボソッと呟くと疲れた様子で帰路に就こうとしていた。俺も遅れまいとその後ろについていこうとした時、姉がふとこちらを振り返る。

「あんな奴ら相手にするのもう辞めなね」

そう言ってまっすぐ俺を目を見つめているのが分かりなんだか頬が熱くなるのが分かった。それ以降帰り道では姉も俺も一言も発することなくとぼとぼと歩いて帰ったのだが俺はずっと姉の後ろ姿を見ながら自分の体が良いしれぬ熱さを感じているのがはっきり分かった。今思えばこれが姉に好意を寄せるきっかけだったのだろうと俺自身分析している。

結局、翌日学校に登校するといじめっ子たち自身が言ったのか、それとも親が察したのか先生たちが待ち構えており姉弟で一日中叱られることになった。流石に姉も俺も先生たちに事の経緯を言って弁明しようとしたが真面目に聞き入れてもらえず、証拠として撮った写真達もカメラ屋で現像してもらなくてはならないため弁明にも使うことが出来ずに俺達は姉弟はすっかり嘘つきの暴れん坊という肩書を一日にして背負うこととなった。学校中に瞬く間に広まったことでその事件以降、件のいじめっ子を含めたクラスメイトや同級生達は誰も俺達、姉弟に絡んでくることは無くなった。俺にとっては都合が良かったがそれまで特段問題行動を起こさずにで学校生活を送っていた姉からしてみるときっといい迷惑だったはずだがおくびにもそんなことは感じさせなかった。だが姉はきっと寂しかっただろうし悲しかったと思うし、辛い出来事もあったと思う。そんな時代を知っている俺だからこそ姉にそういう異性の相手が出来たことは本来なら感慨深いと考えるべきだろう。なのに、俺はその相手を受け入れることが出来ない。考えるとなんだか急に悲しくなり自然とそのストレスが目頭を通して溢れ出た。とめどなく溢れるストレスは止まることを知らず声が出そうになるが泣いていることを悟られないように体育座りになって声を押し殺した。


しばらくすると下から再びはつらつとした声が聞こえた。漏れる会話の内容から察するにどうやら男が帰るらしい。

ズキッ――

その瞬間、頭が痛んだ。変に想像力が働いてしまう。姉はこのままあの男と逢瀬を重ね、上手くいって結婚まで辿り着いて、ゆくゆくは子供を拵えるという嫌な想像だ。そんなこと俺は認めたくなかった。せめて何か最後に物申してやろうと重い腰を上げて自室から玄関へと足を運んだ。途中、キッチンで口をゆすぐため立ち寄る。そこでふと目に入ったモノを見逃さず、すかさず手にとると玄関に向かった。

ちょうど玄関では男を送ろうとしている姉と母が談笑しており男はバツが悪そうにして玄関のドアに手をかけたまま立ち尽くしていた。俺が玄関に来たのに男は気付いて手を上げる。

「あ、信太郎君!体調は大丈夫ですか?」

ズキッ――

再び頭が痛んで一瞬だけなにかがおぼろげに思い浮んだ。しかし瞬時に目の前の男に意識を切り替えると黙ったまま男にまっすぐ向かっていく。その手に包丁をしっかりと握ったまま。


その数秒後、家には悲鳴が鳴り響いた―

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