ドーベルマン
@saru_zie
第1話
家を出て少し自転車で進んだところにあるなんてことない普通の民家が、どうやらドーベルマンを飼い始めたらしかった。
そのドーベルマンとそれを囲う檻は民家の塀に隠れていて、僕の家から市街地へ進むときにわずかに見えた。
空を見つめるその目はどこか悲しげで、檻から出ることも、僕が一瞬見る限りでは動くこともないそのドーベルマンはため息が出るほどに凛々しかった。
でかい犬を飼いたい、という願望は本来僕のものではなかった。父が街中で犬を見るたびに言うものだから、いつからか僕も同じことを思うようになった。大きなその体を抱きしめて共に走ってみたいと思った。寒い日に丸くなる猫を撫でることはできるが、共に冷たい空気を吸って吐くことはできない。それに少しばかり憧れた。
だからかもしれない。いつしかその民家を通るたびにそのドーベルマンを注視するようになった。本当に、一つも動かない。瞬き一つ、した様子はなかった。しかし、通り過ぎるたびに体の角度は変わっているような気がした。動かないということは、つまりこいつは生きていないのではないか、と思わなかったのは、そのせいだった。
だか、日に日にその疑問は大きくなっていった。
自転車で家を通り過ぎるのはあまりに一瞬で、あのドーベルマンの「材質」は何なのかということを判定することはできなかった。
息をしているのか、息をしていたのか、そもそも息なんてしていないのか、考えるほど奴は不気味だった。
いっそ吠えてくれればよかったのに、そいつは寡黙で、ただ一点を見つめるのみだった。
真実を知ることが怖かったといえばそうとも言える。しかし、そんな高尚なものでもない気がする。ただ自転車のスピードを緩めるのがめんどくさかっただけなのだ。ただ帰り道、振り返ってそれを確認するのを忘れていただけなのだ。
生活の中の小さな一つの謎ではあったが、ただの小さな謎に過ぎなかった。そのことに気がついた時、生きているかもわからないあのドーベルマンに、申し訳ないと思った。
その民家は、歩いていくと思ったよりも距離があった。五分少し歩いた。
民家が見えてくると、数秒後にはそれが生きてはいないことがわかった。プラスチックでできた、模型だったのだ。
実によくできた模型だった。じっくり見なければ、生きていると見間違うほどのものだった。いや、「動いていない」点を除けば、完璧なドーベルマンだ。
それを確かめてしまえば、何ともなかった。なぜこの家で模型のドーベルマンを置き出したのか気にならないわけではないが、それでもこいつが生きていなかったという事実の前では些細なことだった。
帰り道、もしかしてあの模型をほんの少しでも生きていると信じていたのはこの世界で僕だけかもしれないと思った。
それはなんだか、あのドーベルマンに少しは贖うことができたのではないかと考えずにはいられなかった。
ドーベルマン @saru_zie
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