第96話 遊佐紀リンは丘の街に入る

 目的の街は丘の上にあった。

 馬車を曳く馬さんは文句を言うことなく緩やかな坂を上に上に上がっていく。いや、もしかしたら文句を言っているのかもしれないけれど。

 そして城壁の前で一度馬車が停まった。

「煉瓦?」

 思わず声が出た。

 これまでの街の城壁は岩や石を積み重ねたものだけど、この街の壁は薄い煉瓦が積み重なっていた。

 その煉瓦の積み方も特徴的で、ただ横に重ねた場所もあれば、アーチ状になっている場所もあった。

 城壁の煉瓦はどれも苔が生えていて、かなり古いもののように思える。

「このあたりは良質な粘土が採れるらしくてな。かつては煉瓦の名産地だったんだ。この国ができる前からな」

 エミリさんが煉瓦を撫でて言った。

 この国がルドムーアと呼ばれていたときから存在した街なんだ。

 でも、だったら気になった。

「かつて? いまは煉瓦を作っていないんですか?」

「ああ。私の知る限りだと、この国ができたとき、ここは廃墟になった」

「亡くなったんですか? 流行り病とか……」

「いや、王都周辺が皇竜に襲われたとき、街の再建に大量の煉瓦が必要になった。ここで作った煉瓦を王都に運ぶより、王都に近い場所で煉瓦を作ってもらう必要があったのだが、煉瓦職人の数が足りなくてな。この街の住民は全員王都に徴発されたんだ。強制ではあったが、待遇はよくさほど大きな問題もなかったと聞く。とはいえ、正式に遺っている情報だから耳障りのいい具合に改稿されているかもしれないがな」

 エミリさんが言う。

 王女だから国中のいろんな街の歴史にも詳しいのだろうか?

「その後、百年間、国はこの街に人が住むのを禁止した。王都に徴発した住民が勝手に帰ったら困るからな。そうしてこの街は廃墟となった。まさか、住民が移り住んでいるとは思わなかったがな。悪い噂もあったからな」

「悪い噂?」

「ああ。この周辺では『黒』と呼ばれる盗賊団がいたんだ。多くの行商人が襲われた。荷は奪われ、若い女は攫われ、それ以外は殺された。逃げられたのは極僅か。騎士隊が何度も討伐に出たのだが、一度も尻尾を見せることがなかったという」

「随分と物騒な盗賊団じゃな。しかし、そんな盗賊団がいるのなら、冒険者割引の依頼を受けるときに説明があってもよさそうじゃが」

 ナタリアちゃんが鹿の首を降ろす御者さんを見た。

 わかっていて黙っていたのだとしたら問題だと言いたいのだろうが、御者さんは苦笑して言った。

「安心しなって。その盗賊団はもう十年以上も前に討伐されているさ」

「そうなのか? 確かに最近は被害は聞かないが」

「ああ。ホワイトパールという名前の傭兵団によって壊滅した。その首は領主様に献上され、そしてその褒美としてこの街を賜った。この街はホワイトパール傭兵団が治める街なのさ」

 御者さんはそう言って皆を見て、明日の馬車の出発時間と、出発時間に遅れて馬車に乗り遅れても、前払いとして支払った馬車の代金の返金はできないことを伝え、解散となった。

 尚、馬車は街の中に入れないらしい。

 乗合馬車の組合や行商人たちから街の中に厩を作って欲しいと頼んだが、頑なに受け入れられず、代替案として街の外に厩が建てられ、格安で利用できるらしい。

 街の外で降ろされたのはそういう理由なのかと納得し、私たちは街の中に入る。

「衛兵が誰も居ませんね」

 街の入り口には誰もいなかった。

「内側にいるようだぞ」

「え?」

 エミリさんの言う通り、門を潜ると内側に衛兵がいて、私と目が合うとニッコリと笑ってくれた。

「お母さん、凄いね! こんな街見たことないよ!」

 男の子が元気に街の中心部に続く坂を上がっていき、男の子のお母さんが追いかけていく。

 確かにこれまで見たことのないような建物が多いけれど、これまでの街も日本では見たことのないような建物ばかりだったのでやっぱりあの男の子のように感動はできない。

 それよりも、私は街に入ったばかりのところにある骨董品の店が気になったが、

「先に風呂に入ってすっきりしないか?」

「そうですね」

 私たちは近くの宿屋に向かった。

 宿は街の中心部にあると御者さんに聞いていた。

 さっき男の子が走っていった方角だ。

 他の人も既に向かっている。

 部屋が無くなったら困る。

 私たちは宿に向かった。

 宿のカウンターでは、四十歳くらいのおじさんがいた。

 カウンターの脇に大剣が置かれているので、一瞬入る建物を間違えたかと思ったが、

「いらっしゃい。おや、妖精族とは珍しいね。お泊りかい?」

 と言われたので間違えていないようだ。

「個室の部屋を頼む」

「生憎、部屋が一人部屋しかなくてね。大部屋でいいかい?」

「いや、その個室で頼む」

「いいのかい? 妖精族の嬢ちゃんはともかく、そっちの嬢ちゃんの場合も小さいといっても、ベッドで二人で寝るには狭いぞ?」

「構わん」

 エミリさんがそう言うと、「よかったらそっちの女の子は私の部屋で寝ます? その部屋よりは広いですよ」と宿の主人の奥さんらしい人が顔を出す。三十歳の美人な奥さんだ。

 優しい人だと思ったら、

「お前は引っ込んでいろ!」

 突然宿の主人が怒鳴った。

 まるで人が変わったように怒っている。

 それほどおかしなことを言ったようには思えなかったが、女性は酷く怯え、

「ご、ごめんなさい、あなた」

 部屋に引っ込んだ。

 突然のことに私たちは言葉を失ったが、宿の主人は笑顔に戻り、

「一人部屋でいいのかい?」

 と尋ねたので、私たちは頷き、代金を支払って鍵を受け取った。

 この宿は亭主関白なのかなーと思いながら、部屋に入って鍵をかけると、帰還チケットを使って拠点に戻った。

 二日ぶりのお風呂だ。

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