第85話 遊佐紀リンはリッチのもてなしを受ける
「汚いところで申し訳ない。お茶を用意したいのだが、既に腐っていたようでな――お茶が腐るとは思わなかった。水でよろしいかね?」
茶筒の中を見てお爺さんはそう言ったので、私は「お構いなく」と顔を引きつらせて言った。
たとえ魔法で水を出してくれたとしても、さっきまでゾンビが徘徊していた部屋にある食器で飲みたくない。
洞窟の奥は不思議なことに生活空間が整っていた。
ベッドに書棚、椅子、テーブル、そして花が活けている花瓶。
「この花はゾンビに摘んできてもらった。リッチが花を愛でるなんて意外かね?」
「えっと――あなたはやっぱりリッチなのですか?」
「ああ。かなり長い間ここでリッチをやっている。名をドドールという。私の名は?」
「すみません、知りません」
「そうか……少しは知れた名だと思ったが儂もまだまだだな」
ドドールさんはそう言って朗らかに笑った。とても魔物とは思えない笑顔だ。
彼は人間だったころは有名人だったらしい。
私は異世界人だから、どんなに有名人だったとしても知らないのは当然なんだけどね。
「あの……ドドールさん。ゾンビがこの場所の真上にある町に出て迷惑をしているんです」
「ん? この上に町が? この上はただの丘だったはずだが……いつの間にか町ができていたのだな。弱った、他人に迷惑をかけないようにこの場所を研究所に選んだのだが失敗したようだ」
え? ドドールさん、この上に町があるのを知らなかったの?
というか、町ができるより前からここに住んでたの?
「教えてくれてありがとう。小さなお嬢さん。今夜にでもゾンビたちを連れて引っ越すことにしよう」
「え? 引っ越してくれるんですか?」
「もちろんだ。リッチになってもこの国のために働きたいという気持ちは変わらない。この国の民に迷惑を掛けるのは私の本意ではないのだ。リッチである以上、ゾンビを呼び出して使役するのは本能のようなもの。そしてゾンビの全てを統制するのは私の力ではまだ足りない。ならば、人の近付かないところに行くしかないだろう。引っ越すとなれば、部下に手紙を出さないといけないな」
拍子抜けだった。
てっきり、ここで戦いになるかと思っていたが、こんなにあっさり解決するなんて。
「エミリさん、それでいいでしょうか?」
「…………」
「エミリさん?」
あれ? エミリさんの様子がおかしい。
何か考え込んでいるようだけど。
「ドドール殿。あなたに質問する。あなたはなんのためにここにいる?」
「王女の病を治すためだ。王女はある病に侵されていてな。しかし、その治療法が見つからない。そこで私は王に言ったのだよ。『このドドール、必ずやその病気を治す方法を発見致します! たとえこの魂を不死の身に宿したとしても成し遂げてみせます!』とね。まさか、これほどまでに苦戦するとは思ってもいなかった」
へぇ、王女の病気を治すために研究していたんだ。
死ぬのが怖いとか強くなりたいとかそういうのじゃなくて、大切な人の病気を治すため。
そういう考えもあるんだと私は感心した。
お父さんの病気を治すために世界中を旅しているエミリさんに似ている気がする
すると、エミリさんは言った。
「ドドール殿……言っておきたいことがある。この真上にある町ができたのは、いまから二百年以上前の話だ」
「え!?」
私は驚いた。
それってつまり、ドドールさんがここに住んで二百年以上経っているってこと?
それだと病気の王女様はもう亡くなっているってことになるよね。
この世界にいるというエルフのような長生きな人が王女様だっていうのなら話は別だけど、たぶんそうじゃないと思う
じゃあ、ドドールさんの研究は無駄ってことになる。
「そうか、もうそれだけの年月が経っていたのか。いやはや、リッチになってから時間の感覚がどうにもはっきりとしない。太陽のない洞窟の中の生活もよくなかったのかもしれない」
だが、ドドールさんは特に悲観することなくそう言った。
「ドドールさん、あの……王女様は――」
「ああ、人の命は短い。あの方は私のようにリッチになる魔力もない。もう亡くなっているだろう」
「悲しくないのですか?」
「悲しくないと言ったらウソになる。だが、私のやることは変わらない。王女の病気は王家代々に伝わる遺伝病のようなものでな。だから何年経とうが、何十年、何百年経とうが王家が存続する限り、私は研究を辞めるわけにはいかないのだ」
一瞬、肌に静電気のような痛みが走った。
ドドールさんの魔力、ううん、違う、もっと澱んだ何かが膨れ上がったのだと思う。
それは執念だろうか?
その力に呼ばれるようにゾンビが現れて奥の部屋に向かった。
たぶん、そこからゾンビは地上に這い出ているのだろう。
「ドドール殿、それともう一つ質問がある」
「なんでしょうか?」
「この国の名前は何だと思う?」
え? それって質問っていうより問題?
たしかこの国の名前は――
「これはおかしなことを聞く。ルドムーアだ」
「え? この国って確かガッハスボランって名前ですよね?」
私はすかさずそう言った。
それを聞いて、ドドールさんが固まる。
「何を言っている、小さいお嬢さん。この国は――」
「ルドムーアは既に滅んでいる。もう三百年も昔の話だ」
エミリさんは残酷な現実を告げた。
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