第75話 遊佐紀リンは丸投げする

 ルルアちゃんは強制的に成仏されて、ルロアちゃんは寝ている。

 ナタリアちゃんが言うには単に寝ているだけで、肉体的にも精神的にも魂的にも問題はないらしい。

 ルロアちゃんのお母さんは憔悴しきった表情だ。


 これで終わり……か。

 なんとも後味の悪い結末だった。

 なんと声をかけたらいいのかわからない。

 そんなとき、エミリさんがルロアちゃんのお母さんに声を掛けた。


「大丈夫か?」

「エミリさん……でしたね……ダメな母親です。娘を救ってあげることもできず……」

「…………」

「エミリさん、少し胸を貸してください……そうしないと私……」


 ルロアちゃんのお母さんが涙を流し、その顔をエミリさんに近付ける。

 エミリさんは何も言わなかった。

 そして――


 次の瞬間、エミリさんの脚が動いていた。

 と同時にルロアちゃんのお母さんが隠し持っていた短剣が天井に突き刺さった。

 そして、流れるようにルロアちゃんのお母さんがエミリさんに制圧される。

 え? なに? どうしたの?

 もしかして、ルルアちゃんが悪霊化してお母さんに憑依したの?

 そう思うくらい、ルロアちゃんのお母さんの表情は鬼気迫るものがあった。


「……できれば何も起こらずにいてほしかったのだが」

「お前さえいなければ、私たちは平和に過ごせたのにっ!」


 怨嗟の言葉を吐き出すルロアちゃんのお母さんに、またも私は言葉が出ない。

 エミリさんが苦悶の表情を浮かべる。

 勇者体質――人の願いを己の力に、そして恨みを己への呪いと変える体質のせいだろうか?

 それほどまでに彼女のエミリさんへの恨みは強かった。

 このままでは埒が明かないと思ったのか、エミリさんが彼女の首筋に手刀を浴びせると、彼女は気絶した。

 一体、何故彼女が私を恨んでいるのか、その答えは直ぐに出た。


「申し訳ありません、エミーリア様。対処が遅れました」


 そう言ったのはフードを被っていた怪しげな男の人だった。

 彼女が深くかぶっていたフードを外して身分証みたいなものを見せる。

 衛兵さんが持っている者と同じだった。


「いや、問題ない。それより事情の説明を頼めるだろうか?」

「はい……彼女の夫は皆様を襲い、鉱山送りになった冒険者の一人でした。そして、どうも衛兵の一人がエミーリア様のことを彼女に伝えてしまったらしく……」

「私を恨んで追ってきたというわけか。道理で私だけを狙っていたわけだ。リンたちのことをただの同行者と思って狙おうとしなかったのは幸いだな」


 聞いて鳥肌が立った。

 エミリさんはずっと自分が狙われていることに気付いていたんだ。

 私はそれに全く気付かなかった。

 地図でもルロアちゃんのお母さんは白い表示だったから、敵だなんて思いもしなかった。

 エミリさんは幸いと言うけれど、もしも彼女の狙いがエミリさんだけでなく、私たち三人とも狙っていたのなら地図の表示は赤くなっていただろうか?


「……ナタリアちゃん、もしかしてルルアちゃんは――」

「うむ……さっき『私がいないとママは――』と言っておったな。おそらく、ルルアは母御の蛮行を止めるつもりでいたのじゃろう。じゃが、その願いは届かんかった……むしろそれが母御の怒りを買い、強制的に成仏されてしもうた。娘御より犯罪者の旦那の方が大事じゃったようだの……」


 そんなの悲しいよ。


「ルロアちゃん、どうなるのかな? 前の町には孤児院がないみたいだけど、孤児院のある町に連れていくの?」

「運がよければどこかの家の養子になるじゃろうが――どうする? 一緒に連れていくか?」

「一緒に――」


 私はルロアちゃんに手を差し出そうとし――そしてやめた。

 中途半端な同情で彼女を一緒に連れていくことはできない。

 理由はどうあれ、私たち三人はルロアちゃんの家庭を壊した張本人だ。

 最初は何もわからないかもしれないけれど、全てを知ったとき、彼女は私たちを恨むだろう。

 それは双方にとってもよくない結末になる。

 だから、私は考えることを放棄する。


「あの、衛兵さん――一つお願いがあります!」




 その後、雨は止み私たちを乗せた馬車は隣町に向かうことになった。

 衛兵さんとルロアちゃんお母さんは村に残ることになり、それまでルロアちゃんが目を覚ますことはなかった。

 ルロアちゃんのお母さんがエミリさんの命を狙っているのが確定した以上、一緒の馬車で移動はできないらしく、衛兵さんは既に仲間と村で合流する手筈を整えているという。

 どうやって連絡を取ったのかはわからなかった。狼煙でも使ったのだろうか?




「いやぁ、先ほどは大変でしたね。私、もう何十年も御者をしていますが、あんな事件に遭遇するのは初めてですよ」


 御者さんはどうにか場の雰囲気を和ませようとそう言うけれど、正直そういう雰囲気ではない。

 今回の事件はそれほどまでに後味が悪すぎた。


「しかし、リン様の持っておられたあの品、とても見事でしたね。もしかして、他にもお持ちで?」

「ううん、正真正銘あれだけですよ……だからちょっと後悔しています」


 でも、たぶん過去に戻って選択肢を迫られても、同じ答えを出しただろう。

 私は衛兵さんに頼んだ。

 釣りで手に入れた宝石箱を渡して――「これでルロアちゃんが幸せにできる手筈を整えてください」って。

 要するに、お金を握らせて衛兵さんに丸投げしたわけだ。

 衛兵さんは目を白黒させて仰天していたけれど、最後には、「お任せください。必ず正しく使います」と言ってくれた。


「でも、楽しみじゃな。完成するまで時間はかかるじゃろうが」

「え? 何の話?」

「何の話って、リンの渡した金じゃよ。あれで孤児院が建てられるんじゃろ?」

「え? いやいや、待って。孤児院ってどういうこと?」


 私が渡したのは小さな宝石箱だよ?

 それで孤児院?


「あの宝石箱の中は希少な宝石がいろいろ入っていた。しっかりした所で売れば、三千万イリスにはなる。それだけの元手があれば教会も孤児院の建設ができるわけだ」


 エミリさんが言った。

 って、三千万イリス?

 十億円っ!?


「渡し過ぎた! ちょっと待って、半分返してもらってくる!」

「カッコ悪いじゃろ。なに、無駄にはならん。孤児院の名前はリン孤児院じゃな!」


 御者さんは困ったように、戻ろうか戻るまいか考えているが、エミリさんが「構わない、このまま行ってくれ」と言う。

 最後の最後まで残念な旅だったよ。

 そう思っていたら――


『妹を助けてくれてありがとう。クッキーのお姉ちゃん』


「え?」


 振り返っても、何も見えない。

 霊魂の気配を感じるはずのナタリアちゃんも何も言わない。

 でも――


「綺麗な虹」


 空に大きな虹が架かっているのを見えた。

 少しだけ心が晴れた気がした。

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