第9話 エミーリア・シルヴィは訝しむ

 私――エミーリア・シルヴィにとって、人を助けるのは一種の義務である。

 全ての人間が水分をとらないと死ぬのと同じように、困っている人を助けなければ生きていけない。

 それは一種の呪いだ。


「ここか」


 夜も更けているが、星の光だけでも十分周囲の様子はうかがえる。

 それほど広くはない。

 池と聞いていたが、魚などの生物が腐った臭いが辺りを充満している上に水も濁っていて沼のような雰囲気だ。

 

 私は持っていた荷物の中から、魔物避けのポプリを取り出し、開封する。

 最近ミスラ商会から売り出された商品で、この中には魔物が嫌う匂いが入っている。

 開封したら数日で効果が切れるのが難点だが、しかしこれのお陰で魔物と人間の曖昧だった境界線が明確になろうとしている。

 もっとも、交易品のためまだまだ高価で簡単に使えないのは難点だ。

 ちなみに、この魔物避けのポプリには注意事項がいくつかある。

 ゴーレムなど嗅覚を持たない魔物には効果がない、使用できる時間に限りがある、そして魔物が生息する水の中に放り投げてはいけない。

 もしも魔物の生息している池や沼に放り投げたら、そのポプリの臭いは瞬く間に水域全体に広がり、そこにいる魔物が飛び出して襲い掛かってくるから。

 だから、私は魔物避けのポプリを池の中に投げ入れた。

 小さな波紋を作り、魔物避けのポプリが沈んでいく。

 さて、少し待つ。


「星が綺麗……か」


 最近はそんなこと、考えなかった。

 ひとり呟き、リンのことを思い出す

 彼女は一体何者なのだろうか?

 最初は捨て子だと思ったが、実は私と二つしか年齢が変わらないという。

 さらに、とても貴重な収納能力の持ち主である。

 その力だけでも、千金の価値がある少女だ。

 しかし、彼女自身はその能力の希少性を理解していないようだった。


 そんなことがありえるのか?


 無知という感じではない。

 会話をすれば、相手の知性のレベルはうかがえる。

 学校機関か家庭教師か、それとも親の教育かはわからないが、高等教育を受けているのは間違いない。

 ただし、お金持ちの家出という雰囲気でもない。

 そもそも、家出したところで、あの草原に辿り着くとは思えない。

 ここは魔境の中なのだから。


 おっと、これ以上考えるのはよそう。

 思ったより早く客人を迎える時間が来たようだ。


 水面が激しく揺れ、水しぶきが上がる。

 私は剣を抜いた。

 現れたのは巨大な赤色のカエル――レッドポイズントードだった。

 どうやら最近このあたりに移動してきたのだろう。

 腹が大きな個体は、卵を産む直前のメスか?

 見たところ、産卵後の弱ったメスはいない。

 急いで来てよかった。

 産卵したあとだったら、たとえここで全てを駆除しても意味がなくなる。

 合計十五匹。

 レッドポイズントードは単体だと脅威度Cの魔物だが、十体以上と同時に戦うとなると、Bランク、いや、Aランクの冒険者が退治する魔物だろうか?

 レッドポイズントードたちはかなり怒っているようだ。

 寝ているところを起こされて腹が立つのは人も魔物も同じか。

 ましてや、不快なポプリの香りで起こされたとなったら不快指数は最高値を記録するだろう。

 それでいい。

 その怒りの矛先を私に向けてくれたら、全ての魔物カエルを根絶やしにできる。


   ▼ ▽ ▼ ▽ ▼


 全てのレッドポイズントードを軽傷で倒した私は、池のほとりで一夜を明かし、翌朝、その死体を燃やした。

 この魔物は肉は食べられないが、皮は高く売れる。しかし、皮膚と体内にある毒のせいで解体には専門の技術が必要になる。技術もないのに解体すれば解体が終わるより先にナイフが毒のせいで使い物にならなくなる。

 あのコンシェルジュがいたら、もしかしたら解体してくれたかもしれないし、リンがいれば収納能力で運べたのだが、それは無いものねだりというやつだろう。

 リンに頼んで風呂に入らせてもらおう。


 そう思いながら帰路につく。

 池の臭いが髪の毛までついているから、野宿に慣れている私も正直つらい。


「あれ? 間違えたか?」


 おかしいな、この辺りには他に村なんかなかったはずだが。

 私が昨日いたのは飢饉に喘ぐ村のはずだが、今目の前にある村の畑は作物がたわわに実り、食べ物に困っているようには見えない。

 少なくとも、昨日いた村の畑は作物がまともに育っている様子はなかったはずだが――


「あ、エミリさん! 見てください! こんな大きなカブが採れたんですよ!」


 無邪気に収穫したばかりであろうカブを持ち上げるリンを見て、どうやら私の知っている村で間違いないことがわかった。

 そして、おそらくこの異常事態を引き起こした元凶も彼女であることが容易に想像できた。


 ……彼女は一体なにものなんだ?

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