第四十七話 逆転劇を始めましょう①
何度も獣に襲われそうになっては避け、蹴りやら体当たりやらでどうにか退けて前へ前へと進み続けた。
普通の令嬢の何倍も体力のあるアイリーンだが、直接的な攻撃手段は持たない。だから無理矢理突破するしかないわけだけれど、それではどうしても限界がある。
「ずいぶんな数でお出迎えじゃないの」
アイリーンを取り囲む狼のような獣の群れ。
背後からも追い立てられて逃げ場はない。そんな中、アイリーンは少しも怯むことはなかった。
「こうなったら馬みたいに騎乗して乗り回せるかどうか、やってみるくらいしかないわね」
前方に迫って来ていた狼もどきに向かって大きく跳び、首根っこを無理矢理掴んで引っ掛かる。
「ひぃっ、噛まれる噛まれる噛まれますって!」
「いちいち騒がないで。集中が乱れるでしょ!」
背中によじ登ろうと奮闘する。しかし狼が暴れるせいでなかなかうまくいかない。
ぶらぶらと揺れる足元に獣が集ってきて、今にも喰われてしまいそうだ。
やっとの思いで右脚を背の上へ伸ばせたが、同時にバランスを崩し、両手が首から離れてしまう。
そうなると横腹がガラ空きだ。(やばい)と思った時にはもう遅く、なすすべもなく襲いかかられ――。
きらりと何かが光り、獣たちの影が視界から消失した。
「……良かった、間に合ったみたいだ」
そして聞こえてきたのは柔らかでとても心地の良い美声。
声のした方を見やれば、白馬に跨った金髪碧眼の王子様の姿が見えた。
それまで胸中に張り詰めていた緊張感がフッと掻き消える。そしてアイリーンの、そして私の体がそっと腕の中に抱き込まれた。
(――やっぱり、嘘なんかじゃなかった)
至近距離で彼の青の瞳と見つめ合い、微笑を見せられただけで胸が昂ってしまう。
泣いてしまいそうなくらいに嬉しいのは恋心のせいに違いない。
アイリーンが小さく笑った。
「馬鹿。本当に馬鹿よ、ファブリス殿下は! 白馬の王子を気取るならもっと早くに現れなさいよね!」
「遅れてすまない。でももう安心していいよ。――絶対君を守るって、決めたから」
言われてみれば確かに、今の私たちは童話の中の姫君のようだ。
元々彼のいるだろう学園へ突撃しに行くつもりだったのでそれよりずいぶんとロマンティックな展開になったものだと思った。
「色々話したいことは僕も君もあると思うけどあとで。まずは無事に森を抜ける」
「好きになさい」
完全にファブリス王子に体を預けたアイリーン。
私もしばらくされるがままで、ファブリス王子の胸板の感触を味わい続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから数時間、獣を相手しながらどうにか森の外に脱出した。
このあとの行き先は南。しかし馬車で来た道筋とは別で、ライセット公爵家を目指すらしい。
「あそこならひとまずは安全のはずだからね。もちろんたとえ国の兵が軍をなして襲いかかってきても負けるつもりはないけど」
そこまで言ってしまうなんて、かつてのひ弱な優等生と同一人物なんて思えないほどに逞しくなったものだ。
でも――。
「ならどうして婚約破棄の書類に名前なんて書いたのかしら? 格好良く助けに来たところで帳消しにはならないわよ! 全部吐くまでは許さないんだから」
「公爵邸に着くまで時間がある。少し話そうか」
それからファブリス王子は、今まであった一連の出来事を語り出した。
メアリの陰謀を止めるべく策を講じていたこと、国王の思惑、婚約破棄なんてする気が一切なく、おそらく偽造書を作る専門家に依頼して彼の筆跡に似せて書かせたのではないかということも。
「ふーん。なるほど、なかなかとんでもないことになっているじゃない。
物申したい点はたくさんあるけれど……中でも一番気に入らないのは、ピンク髪女をどうこうする計画を立てていたくせにわたくしに相談しなかったことよ! 一体全体どういうつもりなの? おかげでどれだけ迷惑をかけられたか!」
「……僕が頼りになるってアイリーンに思ってほしかった。これは僕の勝手な都合だ」
「そういえば頼ってほしいとか言っていたわね? でもねぇファブリス殿下、わたくしは今でも充分頼りにしてるし頼りに思ってるのよ! わたくしは強いけれど、今は殿下の方が何倍も強いでしょ?」
わたくしの婚約者はすごいのよ、と自慢げなアイリーンの言葉に、「そうか。そうだね」と躊躇いがちにファブリス王子が頷く。
どうやらいくら力がついて意志が強くなっても、自信のなさは昔から変わらないらしい。でもそんなところもひっくるめて好ましいと私には感じられた。
「まあいいわ。ファブリス殿下がわたくしと婚約破棄したいと思っていなかったのなら、それで。
国王陛下がどう思っていようが関係ない。あのピンク髪をぶちのめせばいいだけね!」
散々メアリには嫌な思いをさせられて、婚約破棄という事態にまで持ち込まれそうになったのだ。
(生やさしい罰なんて与えてあげない)
ファブリス王子が策とやらのために集めた証拠を使えば、難しいことではないはず。
――アイリーンを貶めたあの女は、絶対に地獄に叩き落としてやる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ライセット公爵邸は混乱に包まれていた。
ちょうど国王からの書状が届いたところだったらしい。そこへひょっこりアイリーンが帰ってきたものだから大騒ぎになった。
「アイリーン! お前がなぜここにいる。隣国への追放処分が下されたとあったはずだが……」
「確かに追放されかけたけれど、ファブリス殿下に連れ戻されたの。まあ、元々戻るつもりだったけれど?」
なんでもないことのようにアイリーンが言うものだから、公爵はへなへなと地面に座り込んでしまう。
公爵夫人がやって来てギュッと抱きしめられ、弟のヒューゴには呆れられた。
(『ファブリス殿下の婚約者だから家に置いていただけ』とかアイリーンは言っていたけど、家族からもちゃんと愛されてるじゃない)
家族のみならず、アイリーン専属の使用人の女性にまで無事を喜ばれ泣かれるのだから、本人が思っていた以上に人徳があるのは明らかだった。
「ライセット公、客間へ案内してくれるかい。ゆっくり話させてもらいたい」
ファブリス王子がそう言うと、たちまち使用人たちが客間の準備を整える。
そこでファブリス王子と公爵、アイリーンが向かい合った。
――ざっくりと今までの経緯と、ファブリス王子からの国王に代わっての謝罪。
それが済めば肝腎要、今後の方針についてだ。
「今回我がライセット家に届いた書状で記名を求められた。つまり、今の時点ではまだ、正式に婚約破棄はなされていないということですな」
「そうなるね。父に騙されることなく、アイリーンが自分の名前を書かないでいてくれて本当に良かった」
「しかしどちらにせよ婚約破棄は国王陛下の判断です。しかも陛下に不敬を働いたのは事実。そう簡単に覆せるものではないのでは?」
「不敬については大して気にしなくてもいい。そもそも父が悪いんだ。そこら辺は僕の方でどうにかする。婚約破棄の方については、ハーマン男爵令嬢の素性を暴けば、父も僕に彼女を娶れとは言えなくなる」
「……いささか強引ですが、本気のご様子。我々ができる範囲でご協力いたしましょう。ハーマン男爵家の社会的な抹殺でも何でも」
「そこまでの協力は必要ないよ。アイリーンが学園の中に入れるよう、学園側に圧をかけてくれればいい。退学届はまだ受理されていないはずだからね」
こちらが口を挟む隙すらないほど高速で会話が交わされ、どうやら話し合いがまとまったらしい。
準備は整った。ライセット公爵家で一休みし夕食をとったあと、夜が来る前に馬を出す。
ライセット家の家族には心配されたが、アイリーンもファブリス王子ももはや夜の道を馬で走ることなんて慣れっこなので問題ない。
「いよいよ逆転劇を始めに行くのね。なんだか楽しくなってきたわ!!」
「元気だね、アイリーンは」
「だってわたくし、ワガママで自分勝手な悪女だもの!」
アイリーンの声が、静かな月が覗く夜空にこだました。
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