第四十八話 逆転劇を始めましょう②
たった数日ぶりなのに、なんだかとても懐かしく思えてしまう。
ファブリス王子の顔を見せれば学園の門を通るのに苦労しなかった。ライセット公爵家からの働きかけのおかげもあるのだろう、アイリーンにもお咎めなしだ。
「ファブリス殿下、手を繋いでちょうだい。あの女にたっぷり見せつけてやらないといけないから」
「わかった」
学園の建物の中へ入る。
人気が少ないのは、時刻的に考えて昼休みだからだろう。
(ということは中庭にでも集まっている可能性が高いわね)
そしてその考えは正しかった。
中庭に行ってみると、大勢の学友たち――同年代に限らず一学年上や下も――に囲まれて幸せそうに過ごすメアリがいたのだから。
王宮に呼び出されていた彼女が戻ってきたのは一日か二日前といったところか。
悲劇のヒロインから一気に第一王子のお気に入りにランクアップしたわけだから、今まで関係のなかった生徒たちにまで持ち上げられているらしい。
当然それを気に食わずに密かに嫉妬している者もいるに違いないし、アイリーンの友人などはなんとも言えない顔でそれを見つめていたが、そんなこときっと彼女にはどうでもいいのだろう。
「……そうしたらアタシ、王子様に助けていただいて。優しく口付けられて、それからぁ」
いい気になって喋りまくっていた。
「行くわよ」
彼女の歪んだ笑顔を崩せるのは一人だけ。
こそこそした真似はしない。勝負するなら堂々としている方がアイリーンらしいから。
ファブリス王子にぴったりと身を寄せたアイリーンは、満を持して彼女の前に姿を現した。
「悪役令嬢を追い出してご満悦のところ悪いけれど、いいかしら」
メアリの、そして周囲の視線が一気に集まる。
国外追放になったと噂が広まっているであろうアイリーン・ライセットがここに存在することが信じられないといった顔だ。
数秒間の沈黙が落ちた。
「あんたにちょっと話があるの。ほら、あんたの大好きな『王子様』もいるんだから心配いらないでしょ?」
「なっ、なんで……」
それまでの笑顔が一転、ぶるぶると震え出すメアリ。
すぐに仲間が駆け寄って彼女を慰め始める。こちらに強い敵意、あるいは戸惑いのこもった視線を向けながら。
もちろん、その程度でアイリーンが動じるわけがないが。
「なんで? そうねぇ、あんたがファブリス殿下のことを玉の輿のための道具としか見てなくて、内心で馬鹿にしていたからじゃない?」
「違う、違いますっ! アタシが言いたいのはお前……いや、アイリーン様がどうしてここに戻って来たかってことで」
「わたくしにはこの学園から出て行く理由がないし、出て行きたくないから。それだけよ」
キッパリと言い切り、胸を張るアイリーンは宣言する。
「わたくしは栄えあるライセット家の名誉にかけて言うわ。あんたをいじめてなんかないってね」
「そんなことを言ってまたアタシをいじめるつもりですか……! 王子様ぁ。この人が本当に、アタシのことを階段から突き落としたんですぅ。ほら、今だって足の捻挫が治らなくて、まだこんなに腫れ上がったままで」
アイリーンから目を逸らし、あっという間に涙を目に浮かび上がらせながらファブリス王子に訴えかけるメアリ。
しかし彼女の腹黒さを一番知っていたと言っても過言ではないのがファブリス王子だ。か弱いそぶりをしたところで騙されるわけがない。
「その怪我を見るに君が階段から落ちたのは事実らしいね。でもそれが偶然アイリーンが居合わせた可能性はないのかな?」
「信じて、くれないんですかぁ?」
「残念ながら。わざわざ君がそこで待ち伏せをして、まるで突き落とされたかに見えるように自ら落ちていったとアイリーンは言っていてね。僕は彼女を信じるに足りる証拠を持っているんだよ。
例えば、放課後にアイリーンが君の教科書を切り刻んでいたのを見たと言っていたね。……まあ普通に考えれば公爵令嬢がわざわざ手ずからそんなくだらないことをするわけがないんだけど、何よりその時アイリーンは僕と勉強会をしていたんだ」
勉強会のことは完全に伏していたわけではない。
放課後、アイリーンとファブリス王子の二人がいつもどこに向かって何をしていたか、知っている生徒も多いはずだ。もっとも、メアリは自演工作で忙しくて知らなかったようだが。
「他にも昼休み、女子寮内、色々盗られたり噂を流されたりしたそうじゃないか。でも僕が学園中に聞き回ってもアイリーンがそれを実行する姿を見た者が一人もいないんだ。……一人たりとも。おかしいとは思わないかい?」
誰も声を上げない。
メアリのおかしさに、初めて気づいたからだろう。
それまでメアリに同情していたはずの生徒たちはどんどん離れていき、残っているのは最初の半数以下になってしまった。
――このままファブリス王子の掴んだ証拠を学園長のところへ持っていくだけで、退学させるには充分過ぎる。
でもまだ全然本番でも何でもない。メアリはまだ思っているはずだ。
ファブリス王子がアイリーンに味方をするわけがない。悪役令嬢は所詮悪役令嬢でしかないのだから、と。
だからこそ、その舐め切った考えを砕き、心をバキバキにへし折ってやらなくては。
それが私とアイリーンの総意だった。
「きっとこれだけ言っても、わたくしを疑い続ける愚か者もまだいることでしょうね。もしかするとわたくしがワガママを言ってファブリス殿下の弱みを握って、こんなことを言わせているだけかも知れないし?」
「そうですっ!! 何か姑息な手を使ってるに決まってる……! 国王様にだって妃になれるかもっていうお墨付きをいただいてるんです!」
ぐいと身を乗り出すメアリ。
それでいながら、か弱さアピールも同時にしているのはなかなかに芸が細かい。
前世でどんな人生を歩んできたかは知らない。だが今世のその可愛らしい容姿を利用すればどんな相手でも惚れさせるのは容易だっただろう。
でも――。
「なら訊くけど、あんたはファブリス殿下に一度でも膝枕されたことはある? 二人で出かけたことは? 一緒に食事したり、料理したことは?
わたくしは全部あるわ! たくさんの日々を積み重ねてきたの。あんたはヒロインかも知れないけれど……どれか一つだってやったことがないでしょ?」
図星だったのだろう。
メアリは真顔になった。
「……な、なんですか。マウント取ろうっていうこと? そんなのアタシに効くわけ」
「そうそう、階段から落ちていく時に言っていたわね。『やっと邪魔者を消せて、恋仲になれる』って。でも関係が進展しているどころか、殿下は今わたくしをエスコートしているのだけれど、どういうことかしらね?」
「っそれは王子様が騙されて」
何か言い訳しようとするメアリだったけれど、彼女の言葉の途中でファブリス王子が動いた。
繋いでいた方とは逆、アイリーンの手をそっと取り――それから恭しく口付けを落としたのだ。
その威力は絶大だった。
(たっぷり見せつけるとは言ってたけどまさかここまでとは……!! というかこれファーストキスじゃない!? 唇同士じゃないけど前世含めて初めてキスされた! ひやぁぁ〜!!!)
私が心の中で叫びまくっていると同時、メアリが地面に座り込んだ。
しっかり脳破壊されたようだ。白目を剥き、絶対に淑女のしてはいけない顔をしている。
とうとう彼女の親しいであろう仲間たちからも引かれてしまっていた。彼女に向けられるのは全て憐れみの視線へと化していく。
つい十数分前まで確かに存在したはずなのに、大勢に囲まれていた幸せなヒロインの姿はもうどこにもない。
「少しやり方が乱暴だわ! ファブリス王子は顔が最高にいいんだから、もはや暴力の域なのよ?」
「いくら言っても無駄だと思って、端的なやり方を選んだんだ。急でごめんね」
「別にいいけれど。おかげで身の程を弁えさせられたようだし!」
あとは、更なる追い打ちをかけるだけ。
ヒロイン気取りでいた転生者をぎゃふんと言わせるだけではまだ足りない。
今のやり取りを見れば、アイリーンに非がないのは明白だろう。
やがて学園長の手によって再調査がなされ、ファブリス王子が掴んだ証拠もあることだし、間違いなくメアリの嘘が露呈する。
しかしそれでは全ての被害者が救われない。被害者は、アイリーンだけというわけではなかった。
ぶつぶつとうわごとを呟くメアリの両目から涙が溢れている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」とひたすらに繰り返す彼女へ近寄り、アイリーンは声をかけた。
「メアリ、だったかしら。悪霊がいなくなってようやく表に出てきたわね」
どこか虚ろな目がゆっくりとこちらに向けられる。
それまでのメアリとはまるで別人のような瞳。……いや、おそらくは本当に別人なのだ。
紫彩からメアリが転生者だと聞かされた時に考えていた。私のように元人格と同居しているのではないか、と。
断定できなかったのは、紫彩のように元人格が死んでしまっているか、元々物語の中でも転生者扱いだったとすればそもそも元人格という概念がない可能性もあったためだ。
その可能性が確信に変わったのは、婚約破棄の書類を突きつけられた謁見の間でのこと。
「待ってください……!」と訴えかけてきた彼女の必死さが嘘のようには見えなかったから。
よくよく思い返してみると、階段での事件があった時も、彼女は私たちに謝っていた。
ということは元人格のメアリは私たちを嵌めることを望んでいなかったも知れない。
学園に戻って来る道中、アイリーンにそのことを話した。
『そういうことならわたくしに考えがあるわ』と言っていたのでどんな手を講じるかと思えば――。
「あんた、悔しくないの? そんなろくでもない奴に体を奪われて。その体は誰のものなの? 意思をしっかり強く持ちなさいよ!!」
なんと、飛び出したのは根性論だった。
ここからは、華麗なる逆転劇の最後の仕上げ。
それが成功するか否かの鍵を握るのは、今まで表舞台に立ってこなかった本物のメアリ・ハーマンだった。
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