第四章 『ヒロイン』の企みに悪役令嬢と抗います
第三十六話 ピンク髪男爵令嬢の登場
ハーフアップにした薄ピンクの髪が特徴的な少女だった。
どちらかといえば小柄なアイリーンよりさらに小さく、十三歳くらいではなかろうかと思える背丈だ。そのくせ豊満な胸をお持ちで、さぞ男の目を引くことだろう。
顔立ちは美人というかは可愛らしい。仕草もあいまって小動物を思わせた。
彼女の名は、メアリ・ハーマン。
身分がかけ離れ過ぎていてクラスも違えば女子寮も一番遠い場所にある、本来アイリーンと顔を合わすこともないはずの男爵令嬢。
そんな彼女と出会い、言葉を交わすことになったのは必然だったのかも知れない。
だってアイリーンは悪役令嬢であり、彼女が『ヒロイン』だから。
二ヶ月ぶりの学園は何も変わらないように見えた。
しかし確かに変化はある。二学期早々、一つの噂が渦巻いていたのだ。
――元平民の男爵令嬢が編入してきた、と。
夏季休暇中、紫彩とたくさん出かけ、触れ合い、言葉を交わした私は、紫彩が書いた小説におけるこの先の展開を教えてもらっていた。
それまで平穏だった学園に一人の少女が現れる。それがメアリだ。
メアリは悪役令嬢アイリーンを罠に嵌め、ファブリス王子にハニートラップを仕掛けて籠絡、婚約破棄させるように仕向ける……らしい。悪役令嬢よりよほど悪役だ。
ファブリス王子がハニートラップに引っ掛かるとは思えないが、警戒するに越したことはない。
そんな気持ちで戻ってきた二学期、三日目にしてメアリと遭遇することになった。
いや、遭遇ではない。夕食後に女子寮を出てぶらぶら歩いたり走ったりしていたアイリーンにわざと接触してきたのだ。
「こんにちは! ライセット公爵令嬢とかいうのはあなたで間違いありませんでしょうか」
小鳥のさえずりのような声で問いかけられる。
人畜無害とでも言いたげだ。しかしその薄緑の瞳は、少しも笑っていなかった。
「何よあんた。確かにわたくしこそがアイリーン・ライセットだけれど」
「良かった。ずっとあなたにお会いしたいと思って探していたんですよぅ。あ、アタシ、メアリっていいます」
「ふんっ」
アイリーンが鼻を鳴らしたのは、私と同じで紫彩の話を聞いたからだ。
早速現れたのねと呟いていた。
(どうして今このタイミングに接触してきたのかしら。まるでアイリーンのことを前々から知っているような口ぶり。ということはやはり……)
私が思案を巡らせていると、メアリが一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。
にやにやと不気味な笑顔を浮かべて――一言。
「あのぉ……つかぬことをお聞きしますが、あなた、転生者ですよね」
驚きはなかった。
疑いがはっきりとした確信に変わっただけ。だから私もアイリーンも平静でいられた。
紫彩はメアリを転生者として描いていたという。
この世界においても同じかはわからないけど、と前置きしつつ、言っていた。
『メアリが転生者の可能性は高いかな。それが私たちのいた元の世界から来たのか、物語の設定に合わせるためにいる存在なのかはわからないけど、私たちの転生で物語の大元が歪んでいなかったらそうなると思う。
お姉ちゃんもアイリーンも、どうか気をつけて』
転生者同士、仲良くできたらと向こうが考えているならそれでいい。私だってわざわざ争いたくはないのだ。
しかしメアリの微笑はとても友好的なものには見えなかった。
だからきっとアイリーンも転生などとは無関係のように装ったに違いない。
装ったと言っても、事実彼女は転生者ではないのだけれど。
「は? わたくしはわたくしに決まっているでしょう、馬鹿ね! 平民上がりの男爵令嬢の分際でそちらから話しかけてくるなんて無礼にも程があるわ!」
こちらを疑うようにメアリが見つめてきたが、アイリーンに嘘はない。
本気で言っているのだと悟ったのか、それとも今は深く問いただすべきではないと判断したのか、メアリは撤退を選んだようだった。
「ごめんなさぁい。なんか勘違いしてしまったみたいです。失礼しました」
「二度とわたくしたちと関わり合いになるんじゃないわよ!」
「気をつけます。でも、狭い学園の中ですからまたどこかでお会いすることもあるかも知れませんね?」
ふわりと桜色のドレスを揺らし、踵を返すメアリ。
そうしながら小声でぶつぶつ言っていたのを私たちは聞き逃さなかった。
「でも悪役令嬢と王子が仲いいのはおかし過ぎだし、転生者は婚約者の方ってことなのかも……。確かめなくっちゃ」
立ち去っていく背中を見つめながら私は考える。
紫彩の言う通りメアリの目的がファブリス王子なら、その野望が叶えばアイリーンは破滅の道を辿ってしまうだろう。そんな未来はお断りだった。
だから――。
「なるべく早くファブリス王子に知らせた方がいいですね」
「当たり前よ。あんな女、近づけさせないわ!」
ファブリス王子と一緒に学園を卒業して王妃になる。
その輝かしい未来を決して手放さないために、アイリーンと私はこれからメアリと戦っていかなければならないかも知れなかった。
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