第三十五話 旅の果てに手にしたもの

 山の中は木々が生い茂っているせいで朝だと言うのに暗い。


 一歩先さえ見えない中、あたりから聞こえてくるのはおぞましい獣の雄叫びやら、頭上の木の葉をカサカサと揺らす音ばかり。一秒たりともここにはいたくないと思えるほど最悪な場所だ。


「この暗さじゃ事前に警戒するのは無理かしら。いざという時にはわたくしが囮になるわ。獣が襲ってきたらささっとやっつけてちょうだい」


「大丈夫だよ。――君のことは絶対に、命に代えても僕が守ってみせるから」


「ファブリス殿下にしては力強い言葉ね。期待してあげるわ!」


 そしてファブリス王子はそのあと、見事なまでに期待に応えて見せた。


 キィキィという耳障りな鳴き声と共に襲来したコウモリの群れをあっさりと撃退。

 ごぼっと突然地面が盛り上がり、地中から現れた大蛇を一太刀で倒し、さらには血の匂いに釣られて続々と姿を現した狼を全て追い払ってしまう。


 それだけではなく、馬の脚では登れそうにない傾斜はファブリス王子が一頭ずつ馬を担ぎ、さらにはアイリーンをいわゆるお姫様抱っこした状態で登ったりもしていた。


 しかも、それをほとんど暗闇の中でやるのだから、至難の業もいいところ。

 どれほど彼が本気なのかを思い知らされる。


 様々な危機を短時間で乗り越え続け、おそらく今は山の中腹か、それ以上くらいのところまで来ていた。


「近寄るだけで困難であり、その頂上に至るには決死の覚悟が必要』……そんな触れ込みだったのに、結構楽勝じゃない」


(いやいや、ただファブリス王子が頑張ってくれているだけで、ちょっとでも油断したら……)


 と、そんな風に考えたちょうどその時だった。

 馬が悲鳴のような嗎きを上げたのは。


「――っ!?」


 一体何が起きたのかわからないままに浮遊感に襲われる。

 あまりに突然のことだったので、咄嗟に馬上から伸ばされたファブリス王子の手を取ることができなかった。


 落ちたのだと気づいたのは、粘着質な何かに全身を受け止められてしばらく経ってからだ。


「アイリーン……!!」


「大丈夫よ。わたくしがこの程度で死ぬわけないでしょう! でも痛いわね、もうっ」


 馬から身を離し、顔を上げる。粘つく地面のせいで膝から下が自由に動かなかった。

 一面に広がるのはただただ闇。けれどそれでもわかることがあった。それは――。


「……近くに何かいる」


 おそらく状況的に、私たちは落とし穴に嵌ってしまったのだと思う。

 こんな山中に落とし穴があるというのはおかしな話だ。人工的なもののはずがないし、不自然に地面が抉れているとも考えにくいから捕食動物の寝ぐらに違いない。


 つまり気配の正体はそいつだ。


「ファブリス殿下、ちょっと剣を貸しなさい!」


「それなら僕が」


「あとで引き上げてもらわなきゃ困るでしょ! いいから早く!」


 アイリーンが叫ぶと同時、天から剣が降ってくる。

 それを掴み、鞘を抜いた。初めて握る剣は重く、すぐに腕が悲鳴を上げてしまいそうだ。


「短期決戦よ」


 すぐ背後、姿が見えない敵へと剣を叩きつけるように振り回す。

 ファブリス王子とは比べ物にならないくらい下手くそな剣捌きだったものの、どうやら当たったらしい。ぐちゃっという感触と共に相手が粘つく何かを吐いてきた。


(これは……蜘蛛!?)


 土の中に罠を作り、その底に粘着質の糸を張って捕食する――そんな、蟻地獄と蜘蛛を合わせたような生物らしい。

 剣を握る右手が糸で縛られ、思うように動かなくなる。ならばと左手へ持ちかえ、剣を振ったが。


 どしゅ、どしゅ、どしゅ。

 糸を浴びせられる方が早い。


 頭に、右腕に、左手に。あらゆるところに吐かれまくり、すっかり身動きを封じられるのに時間はかからなかった。


「くっ……!」


 何か打開策を、と考えたけれど全く思いつきそうにない。私の知識は役に立たないだろう。それなら一体どうすれば。


 悩んでいる間に蜘蛛のような何かが再びこちらに狙いを定めてしまった。


 暗闇の中でうごめき、確実に近づいてくる。

 このまま食われるしかないのだろうか――。いいや、そんなの嫌だ。


 ここまで来たのだ。こんな糸ごときに負けてやるものか。


 ぶちぶちと足を粘着質な糸から引っぺがす。あまりの痛みに涙目になりながらも猛然と駆け出し、靴を脱ぎ捨てる勢いで敵へ飛びかかった。


「いくら糸が絡みついていようが剣の先は無事。それなら体ごとぶつかっていけばいい!」


 蜘蛛もどきがいるであろう場所に降り立ち、何度も何度も剣を突き刺す。

 これはあくまで生存競争。気持ち悪かったが罪悪感はない。


 蜘蛛もどきは途中まで脚をバタつかせて抵抗していたが、やがてすっかり動かなくなった。

 その死を確信できるまで、しばらく時間はかかったけれど。


「いい戦いぶりだったわ、アイ。やるじゃないの!」


「火事場の馬鹿力ってやつですよ」


 二度とこんなことはしたくないし、できないだろう。


「とりあえず今は、上に戻りましょうか」




 体に巻き付いていた糸を利用し、その先端をファブリス王子に掴んで引き上げてもらうという方法で、私たちと馬は地上へ這い上がれた。


「アイリーンが無事で良かった……。君に何かあったら本当にどうしようかと思ったよ」


「ファブリス殿下は心配性ねぇ」


 アイリーンは笑うけれど、ファブリス王子は生きた心地がしなかっただろう。無事に戻れて本当に良かった。


 そのあとも険しい登山は続き、上の方から転がってきた岩に押し潰されそうになるなどしつつも無事に生き延び。

 やっとの思いで辿り着いたのは――。


「急に視界が開けたわね。あれは……花畑?」


「どうやらここが、頂上らしい」


 青い空の下、風に吹かれる一面の花々が咲き誇る場所だった。

 赤や青、菫色から黄色まで色は様々だ。そんな中で一際目立つのは、白銀のように輝く野草。


 花をつけていないそれは、しかし周りの華やかさを圧倒するほど美しかった。


「薬草かしら」


 馬を飛び降りたアイリーンが、白銀の草へと駆け寄って躊躇いなくぷちりと千切る。

 そしてそれをファブリス王子に差し出した。


「わたくしは残念ながら傷一つもないの。これが本物かどうか試してみて」


「わかった」


 登山中、戦いまくっていた彼は腕の複数箇所に小さな傷を負っていた。

 この程度で済んだことが驚きだが、それでも傷は傷。血が滲んでいる箇所に野草を当ててみると。


 一瞬にして、綺麗な肌に戻った。


 その瞬間の感動と興奮はうまく言葉に表せないほどだ。

 嘘でも妄想でも何でもなく、本当に薬草というものがあったのだ。そしてそれを持ち帰ることができるのだ――そのことがたまらなく嬉しかった。


「これでフェリシア殿下を治せるのね! すごい、すごいわ……!!」


「そうだね。ようやくだ」


 薬草を握りしめてはしゃぎ回るアイリーン。

 ファブリス王子はあくまで落ち着いていたが、わずかに声が震えているのがわかった。


 そして私も、湧き上がる達成感をただただ噛み締めた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 本当はありったけ採取しておきたいところだったが、結局ほんの一部だけを持ち帰ることになった。

 今後王国の騎士団を送り込んで薬草をしっかりと調査させようとファブリス王子が言い出したからだ。

 今までは文献しか登場しない薬草の存在を国王が信じなかったので騎士を動かせなかったらしいが、実物があるのだから認めてもらえるだろうとのこと。もしかすると医学の飛躍的な発展につながるかも知れない。


 帰り道もとても穏やかなものとはいかなかったが、そこは割愛しよう。

 王宮に戻ってきたのは、下山してから五日後の朝だった。


 抜け道の前に馬を停めて十日ぶりの密入城を果たす。王子と一緒なのに抜け道から入ったのは、門から入れば間違いなく大騒ぎになるからだ。


 もちろん、遅いか早いかの話でしかないわけだけれど、その前に顔を合わせたい相手がいるから。


「ファブリス王子。申し訳ないのだけど……私が先でいいかしら」


 アイリーンの意思ではないことを伝えるためにあえてファブリス王子と呼び、私はお願いをした。

 アイリーンはファブリス王子と一緒に入ろうと言い出しかねない。しかしそれではダメなのだ。


「君の手から、薬草を食べさせてあげたらきっと喜ぶと思う。僕はたっぷりあとで話すつもりだから気にしなくていいよ」


「ありがとう」


 「どうしてあんたが勝手に……」と小声で文句を垂れるアイリーンを無視し、私は離れへと向かう。

 そして、警備兵を押しやるようにして入室した。


 ベッドに身を横たえ、苦しげに咳き込むフェリシア王女が――否、私の可愛い妹が、そこで私を待っている。

 私は笑顔で声をかけた。


「紫彩、お待たせ」




 薬草の効果は覿面で、驚くほどの速さで紫彩は回復した。

 もう歩くことも息をすることも苦にならない。私たちにとっては当たり前でありながら、あまりにも尊い健康を手に入れたのだ。


「ありがとう、お姉ちゃん。アイリーンもありがとう」


 にっこりと笑う彼女はとても眩しい。

 この笑顔だけで見返りは充分だと思えてしまうくらいに。


 旅の中であった出来事をひとしきり話し聞かせ、笑い合ったのちに私たちは離れを出た。


 次に入って行ったファブリス王子と紫彩が一体何を話したのか、それはわからない。

 でもきっとファブリス王子のことだから、妹に成り代わった紫彩のことをすんなり認めてあげてしまったのではないかと思う。


 密入城からの往復十日間に渡っての旅。

 本来はお咎めどころでは済まないけれど、フェリシア王女を治したことが高く評価され、許されて――私たちは無事に屋敷に帰れることになった。


 帰るまでが冒険。だからいよいよ、一夏の冒険が終わる。


「大変でしたけど、楽しかったですね」


「色々な思い出が作れたしフェリシア殿下も喜んでくれたし、大満足だわ。でもせっかくフェリシア殿下が元気になったなら、また冒険に出なくてはね」


「また行く気ですか……」


 夏休み終了までのあと一ヶ月半の間もまだまだ大変そうだ。

 けれどファブリス王子と、そして紫彩と過ごせるなら冒険の毎日も悪くない。


 心から、そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る