第三十三話 焚き火を囲んで語り合う夜①
たった数日間の短い旅の中で、一体どれほど死ぬような目に遭っただろうか。
遥か東の山脈から吹き荒む熱風、照りつける日差し。
溶かされてしまいそうな暑さをもろともせずに平原を走り、深い峡谷に掛けられた今にも千切れそうな橋を渡って――もはや数え切れないほどの死地を潜り抜けながら突き進む。
ただひたすら、東へ、東へと。
そんな過酷な旅の中でもアイリーンは決して笑みを絶やさなかった。
「冒険ってやっぱりいいわね! 前に出て戦えないのは残念だけれど、毎日新鮮なことがあって最高よ」
さすがに彼女と同じように純粋に楽しめはしないけれど、その元気の良さに力をもらって、私もファブリス王子も旅を続けられているのだと思う。
「あらゆる地方を巡ることで知見が増えるしね。書物で知った気になっていたことでも実際目にしてみると大きく違うことばかりでここ数日は驚かされっぱなしだ」
「引きこもって大人しくお勉強ばかりしていても何も始まらないのよ」
確かに、将来国を背負うと言うなら国民のことを知っておいた方がいい。
旅するうちに出会った人々の姿を見るのはもちろん、この国がどれほど治安が悪く危険なのかということを嫌と言うほど思い知るのも重要。
それを伴侶となるファブリス王子と共に体験できるのだから、一挙両得どころの話ではないだろう。
と、そんなことを考えていた時だ。
「帰ったらあの子……フェリシアも連れ出して、三人で一緒に旅してみたいな」
ファブリス王子がぼそりと呟いた。
その言葉は未来の希望を言っているかのように見える。なのになぜだろう、妙な重々しさを感じるのは。
「きっと叶うわよ。フェリシア殿下は外の世界に出るのが初めてなんでしょ? どんな反応が見られるかワクワクするわね」
アイリーンは嬉々としてそう言ったけれど、私はどうにも心に引っかかって仕方なかった。
だって、ファブリス王子が連れて行きたい相手はフェリシア王女。
決して紫彩ではないのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
高山の麓に着いたのは、四日目の夕暮れだった。
近くに体を休められそうな街も村もない。
「野宿するしかなさそうだね」
今まではどれだけ過酷な道であろうが夜には街に着いていたので、常に宿で朝を迎えていたけれど、今夜はそうもいかないらしい。
「野宿!? 確か野宿って、焚き火を囲んでお肉を食べるやつよね! やったわ! 一度やってみたいと思ってたの」
(キャンプファイアーね……。火に気づかれて、変な獣が寄ってこないといいけど)
ランタンの灯りで我慢し、静かに静かに一晩を過ごした方がいいと私は思う。
でもアイリーンがやりたいと言うならやるしかないのだった。
その代わり。
「準備は私にさせてください。一応経験はあるので」
林間学校とかで火を起こすのはやったことがあった。簡単にできるかどうかはわからないが、アイリーンに任せるよりはマシだ。
「……好きになさい」
意外にあっさりと認めたのは、自分にその能力がないとわかっているからなのか、もしかすると単に面倒臭かったからかも知れない。
「焚き火と共に野宿するなら薪が必要ね。ファブリス王子、探しに行きましょう」
「わかった。
こんな場所だ、はぐれたりしたら危ない。僕から離れないで」
「そんな無茶はしないわ、私は」
アイリーンならしかねないけれど……と思い、苦笑せずにはいられない。
私とファブリス王子は馬を近くに木に繋げると、肩を並べて歩き出した。
薪を集めたり火を起こしたりはとんでもない重労働だった。
私一人では到底無理だっただろう。ファブリス王子の手伝いがあったからこそ……なのだが。
「アイリーン、よく食べるね」
一番食べているのはやはりというか、アイリーンだった。
もっとも、私は味覚を共有しているので美味しいのだけれど、どうにも腑に落ちない。
(けど、楽しんでくれてるならそれでいいってことにしておこう)
ゆらゆらと揺れる焚き火に照らされるファブリス王子の顔もなかなかだし。
串焼き肉は、ただ肉に塩をふりかけて焼いただけなのに最高に絶品だ。アイリーンさえ話すのも忘れてバクバクと食べている。
明日には危険な高山の頂上を目指すことになるというのに、なんとも呑気なものだと思う。
そして少し、羨ましくもあった。
憂いしかない私の心とは裏腹にキャンプファイアーは盛り上がっていく。
山のように買い貯めてあった肉がすっかり底を尽きるまで続いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜は交代で見張りをしなければならない。獣が出る心配があるからだ。
前半はアイリーン、後半はファブリス王子に決まった。
しかし「火の番はあんたに任せたわよ」と言って当然のように眠ってしまったので、私が務めていた。
何か大型の動物に狙われるのではないか、と心配しまくっていた割には何もなく深夜を迎える。
日中の疲れがあるはずなのに、まるで瞼が重くならないのは心配事があるからだろうか。
「はぁ」
幾度も幾度も、ため息が漏れて仕方ない。
アイリーンではないが、さすがに何時間も見張りをし続けていると飽きてくる。獣がいなさそうなので近場でも散策しようかと思って立ち上がった……ちょうどその時だった。
「どうしたんだい、アイリーン?」
「――っ!」
背後から聞こえた声に驚き、ビクッと大袈裟に肩が跳ねる。
振り返ると、草の上で横たわっていたファブリス王子がむっくりと体を起こしていた。
(……ファブリス王子か。なんて心臓に悪い)
だが、うっかり悲鳴を上げそうになったとは言わないし言えない。
余裕を装い、呆れたような笑みを浮かべて見せた。
「まだ交代には早いわよ、ファブリス王子」
「うん。ちょっと眠れなくてね」
彼も何か心配事があるのだろうか。
そう思った瞬間、話を聞いてあげたい、と思った。
「それなら私の隣にでも座ってちょうだい。そして……一緒にお話しをしましょう?」
「話?」
「そうよ。見たらわかるわ、悩み事があるって。話したらきっと楽になるわよ」
「アイリーンには全部お見通しなんだね」
そんな風に笑いながら、ファブリス王子が私の隣に腰を下ろす。
串焼きを食べていた時よりもずっと距離が近かった。
何と言おうか迷っていたのか、しばらくの沈黙があったあと。
やがてファブリス王子は話し出した。
「明日はいよいよ高山に挑むわけだけど……情けないことに、なんだか不安で」
その声音はとても弱々しいものだった。
出会いたてのあの頃の彼を思い出させるほどに。
「妹のことを、考えてたんだ。フェリシアを僕は本当に救えるのか。救えるとして、それは正しいことなんだろうかって。
もちろんフェリシアの病気が治ってくれたら嬉しい。この前も君に言った通り、感謝してるんだ。でも」
静かに揺れる青の瞳が私を射抜いた。
「僕はずっとフェリシアを守らなければと思って生きてきた。
一年くらい前からかな。フェリシアが変わったことには気付いてた。もうあの子は前までのあの子じゃない。そんな気がして、ならなくてさ」
「…………」
「なのにあの子はやっぱり妹なんだ。僕の可愛い、たった一人の妹のままなんだよ」
――ああ、やはり。
紫彩は、転生の時にフェリシアは死んだのだと言っていた。
私とアイリーンとは訳が違う。彼が救いたいのはフェリシアはもうどこにもいないのだ。
そのことに兄である彼が気づいていないはず、なかった。
「ごめんなさい」
気がつけば私は彼に謝っていた。
私の憂いごと。それは明日のことだけではない。
ずっと心に引っかかっていた罪悪感がどうしようもなく溢れ出す。
「どうして君が謝るのさ。悪いのはフェリシアを守れなかった僕だ」
ファブリス王子は何も悪くない。
だって彼がどれだけ強いのか私は知っている。きっと彼は相当な努力を積み重ね、それでもなお足りないと救うのを諦めていたのだろうとわかるから。
「違うの。ごめん、ごめんなさいっ」
ぶんぶんと首を振ると、目からほろりと涙がこぼれた。
それは止まらず、次々頬を伝っていく。
「アイリーンがそんな風に泣くところ、初めて見たな」
当然だ。だってこんなの、あまりにアイリーンらしくないのだから。
今の私は絶対、ファブリス王子よりも弱々しい。
「アイリーンは強いから。泣いたり、しないの。でも私は弱くて……だから妹も死なせた」
「――アイリーン?」
もう限界だった。
アイリーンは怒るだろう。そもそも内緒にしようと言い出したのは私だったのに、それを勝手に破るなんてと。
それでも私は話すことに決めた。
……いいや。もしかすると最初から、私はファブリス王子の相談に乗りたかったわけではなくて、ただ胸の内を明かしたかっただけかも知れなかった。
「聞いてくれますか、ファブリス王子。今まで隠してきた全てを。妄想みたいな、本当の話を――」
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