第三十二話 悪役令嬢の危険過ぎる旅路、お供は王子様
燦々と降り注ぐ真夏の厳しい日差しの下、ドレスの裾をはためかせながら爆走する馬に跨るアイリーン。
その横を並走するのはファブリス王子だ。いつもは二人乗りをすることがほとんどだが、長距離ではそうもいかないと馬小屋から出してきたのだ。
現在、私たちは王宮から東に向かって数時間、とある林道を走っている真っ最中。
公爵令嬢であるアイリーンもそうだけれど、第一王子のファブリスをこんな旅に付き合わせてしまって良かったのかはわからない。
これまで何度も危うい場面に立ち会ってきたから今更と言えば今更だ。でも、今回は本気の冒険になるのかも知れないのだから、わけが違っていた。
(本当に薬草があるかどうかも怪しいっていうのに)
王宮の図書室の中に置かれていた一冊の本。
『近寄るだけで困難であり、その頂上に至るには決死の覚悟が必要』。そんな文言つきで紹介されていた、とある高山に生い茂るという薬草は、どんな病気や怪我も治す万能薬なのだとか。
いくらここが異世界だとしても、何でも治ってしまうなんて都合がいい話があるとは思えない。アイリーンにも言ったが眉唾物ではないかと疑っていた。
でも、可能性が少しでもあるなら行かなければならないのは確かだ。
そしてファブリス王子は剣の心得があるので同行してくれるのはとてもありがたく、彼を連れて旅立つアイリーンを止めるに止められなかった。
王子をお供扱いするのは気が引けるが、本人が快く引き受けてくれたので一応良しとしておこう。
あとで国王や周囲からどんなお叱りを受けるかという問題は今から悩んでも仕方ないし。
そんな風に考える私の一方、アイリーンはというとファブリス王子に旅の目的についての説明を終えたところだった。
「……それで、フェリシア殿下のご病気を治すことにしたってわけ。目指すは東の果てよ!」
将来義妹になる人物にぜひ会ってみたいという好奇心で密入城し、そこでフェリシア王女と意気投合したので病の治療法を探すことにした――。
アイリーンが話したのはそんな内容だった。
当然ながら嘘は一つも吐いていない。好奇心を抱いた故であるのも意気投合したのも事実。
ただ、転生関連のことを全て話さなかっただけのことだ。
「そうか……」
ファブリス王子は未だかつてないほどに複雑そうな顔をし、天を見上げた。
ずっとあえて話題にさえ上らせなかった存在にアイリーンが勝手に会い、救うなどと言い出しているのだから、戸惑うのも当然だろう。
でも、その表情の理由は思わぬもので。
「君は強いね、アイリーン。僕はまだまだ弱気なままらしい。
実は僕も、その東の高山のことは読んだことがある。でも行けなかった。怖くて諦めたんだ。だけど不思議と、アイリーンとなら行けるような気がしてきたよ」
そうか。よく考えてみれば、勉強のためにファブリス王子はしょっちゅうあの図書館へ立ち入っていたはずだから、知らないわけがないのだった。
でも彼の方が正常だろう。だって普通、『近寄るだけで困難であり、その頂上に至るには決死の覚悟が必要』なんて言われて行こうとは思わないし思えないに違いない。
アイリーンのような独特な人間を除いて、だが。
「ふーん。そうなの。てっきりわたくしがフェリシア殿下と関わるのが気に入らないんだと思ったわ」
「フェリシアのことは誰にも話さず、面会もさせるなと父上が強く言っていてね。内緒にしててごめん」
「いちいち謝らなくてもいいわよ。そんなこと!」
もっと早く王女の存在を知れていれば、妹との再会も早くに叶った可能性はある。
でもそれは彼の責任ではないわけで、責める気なんてなるわけもないのだ。
「ありがとう、アイリーン」
ファブリス王子の笑みは今日も美しい。
いや、それどころか眩いほどに輝いて見えた――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
走り続ければ三日だが、馬を使い潰さないようにすると東の高山までには五日以上かかるという。
街で宿を取り、あるいは野宿を繰り返しながら私たちは進んだ。
その旅路は案の定というかなんというか、決して安全なものとは言えなかった。
例えば――。
「ガァァァァ――ッ!!!」
林道の途中、足裏だけで馬ごと私たちを踏み潰せそうな巨大な熊のような生物に出会った。
しかも相手はばったり出くわすなり、こちらに襲いかかってくる気満々。おそらく腹を空かせていたのだろう。
「ファブリス殿下、任せたわ!」
(……どう見ても無理じゃないの、これ?)
でも、ファブリス王子はやって見せた。
縦と横斜め、あらゆる角度に剣を滑らせ、相手からの攻撃を防ぎながら目にも止まらぬ速さで斬りまくる。気づけば熊もどきの方が泡を吹いて倒れていた。
「これでいいかい」
「なかなかやるじゃないの! 褒めてあげるわ」
ファブリス王子が大勝利を収め、これで一件落着……かと思いきや。
林道を抜けて少し進んだ先で今度は荒くれ者集団に囲まれたり、濁った水が流れる大きな川を橋もないのに渡らなくてはならなくなったり、やっと街に着いて宿を取れたと思ったらアイリーンが問題を起こして早朝のうちに追い出されたり……息をつく暇もなかった。
この旅路、あまりに危険過ぎる。
もしもアイリーン一人だけだったとしたら間違いなく死んでしまっていただろう。
初日だけでこれだ。二日目、三日目となっていけば、一体どんな事件が起こることやら。
高山に近寄るだけで困難というのは頷けた。
(でもきっと大丈夫……なはず。ファブリス王子はアイリーンのことを強いって言っていたけれど、彼自身だって充分以上に強い)
……と、思っていたのだけれど。
「見ているだけじゃつまらないわ。アイ、わたくしも戦うから」
「ダメです死にますって!!」
紫彩のため、ファブリス殿下のため、そして私のため。
力になるのなんて当然でしょ?と言っていたアイリーンは、冒険のみならず、実戦にすら参加しようという気でいるらしい。
幸い、「君は僕を応援しててほしい」とファブリス王子が言ったおかげでアイリーンは渋々ながら引き下がったけれども、一体いつ再びその気になるかは全くの未知数だった。
果たして私は、そしてアイリーンは五体満足で屋敷に戻れるのだろうか。
冒険の旅は、危険度を増していくばかりだ。
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