第三十一話 力になるのなんて当然でしょ? 〜sideアイリーン〜
フェリシア・アン・デービス殿下の話をファブリス殿下から聞いたことは、確か一度もなかったと思う。
ファブリス殿下はあまり自身のことを話したりはしない人ではある。それでも少しも話題に上らないのは変だから、きっと話したくないのだろうと考えてわたくしは今まで口出ししてこなかった。
ただ、婚約者の血縁だし病弱王女として有名だったから、かねがね会ってみたいとは思っていたのだ。
そしてこの夏季休暇をどうやって楽しく過ごそうかと考えていた時にそれを思い出して、ここまでやって来たというわけだった。
(でもまさかこんな妙な話を聞かされるなんてね。さすがのわたくしでも予想外だったわ!)
五年前に勝手にわたくしの中へ入り込んできて、それ以来わたくしにひっついているアイ。
その妹の魂がフェリシア殿下を乗っ取ったのだという。アイとフェリシア殿下の会話を聞いたら疑う余地もなかった。
さらにはこの世界が自分が書いた物語の中だとか言っていた。そこは正直あまり信じられないし、たとえそうだったとしてもなんら影響ないので置いておく。
なんだか面倒なことになったようだけれど、わたくしは全然気にしていなかった。
将来義姉になる者として元々病気を治して救ってあげるつもりだったのが、さらにその必然性が増しただけのこと。
何より、ギュッと唇を噛み締めて悔しそうにするアイをこのままにはしておけない。
「じゃあ決まりね! わたくしがあんたを助けてあげるから、待っているといいわ」
わたくしはフェリシア殿下へ堂々と宣言した。
現状、本当にフェリシア殿下を救える確信はない。でも宣言した以上は絶対にやり遂げる、それがわたくし――アイリーン・ライセットの矜持だ。
「本当? それなら、信じてみようかな」
わたくしほどではないにせよ、可憐な微笑を見せられて、ファブリス殿下の妹だけあるわねと納得してしまう。
それでいて中身はアイの妹で、さらには将来わたくしの義妹になるのだから変な感じだった。
そんな彼女を一人残して、わたくしは離れを出る。
早速行動を開始するために。
「ファブリス王子に会いに行くんですか?」
「それはあと。とりあえず王宮の図書室にでも忍び込んでそこで調べ物をするわ。きちんと探せば手がかりくらいは掴めるはずよ!」
離れに来た時と同じように草陰に身を隠し、向かったのは王宮の中心部。
ファブリス殿下に言って鍵をもらえば誰にも見咎められることなく侵入できるが、せっかくなので冒険を楽しみたいところ。
外開きの窓をこじ開け、こっそり中に入った。
「めちゃくちゃ手慣れてる……さすが脱走常習犯……」
「褒めてないわね? まったく、召使のくせに生意気なんだから」
衛兵や使用人の目を避けながら進み続けるのはかなり危険な場面が多く、王宮図書室に辿り着くまでの間、結構楽しめた。
しかしもちろんここからが本番だ。
「入るわよ」
ギギギ、と少し軋みながら扉が開く。
その瞬間中から漂って来たのは、古い書物の香りだ。
学園の教室の十倍ほどもある、本棚が所狭しと立ち並ぶ一室。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた本はざっと五千冊以上くらいだろうか。
ここに立ち入るのは初めてで、少し、ほんの少しばかり規模の大きさに驚かされてしまう。
薬や病気関連の書物の棚は三つほど。
そこだけで二百冊くらいの本があった。
(面倒臭いけれど仕方ないわね)
全部読むしかない。
読書なんてわたくしには向いていないのに、と思いながら本のページをペラペラとめくっていく。
何冊も何冊も何冊も。しばらく、紙の擦れる音だけが響いた。
そして本が五十冊くらい積み上がった頃。
やっと静寂を破ったのはアイだった。
「……アイリーン様」
「どうしたのよ? 暇なら手伝いなさい」
しかし彼女は黙ることなく、わたくしに問いかけてきた。
「なんでここまでしてくれるんですか?」――と。
「ふっ」
その質問があまりにも馬鹿過ぎて笑ってしまう。
疑問に思われているのはおそらく、わたくしがどうしてここまでやる気を出しているのかということだろう。
確かにわたくしは最初、アイリーン任せにするつもりでいた。
「力になるのなんて当然でしょ?」
良き主というのは召使を適度に労ってやるものだとお父様から聞いたことがある。
だから普段アイのことをこきつかっている分の借りを返してやらなければ。その機会はきっと今しかない。それがわたくしの考えだった。
「珍しいこともあるものですね。アイリーン様が、協力的なことを言うなんて」
「何よそれ! わたくしが自分勝手だとでもいうの?」
「自分勝手以外の何者だっていうんですか」
せっかく真面目にやってやろうとしているのに、揶揄われて少しムッとする。
でもアイの声音はすぐに真剣なものになって。
「でも、本当にありがとうございます。私だけじゃ紫彩を救うどころか、再会もできなかったでしょうから」
頭を下げられた。
彼女の頭はつまりわたくしの頭であって、下げられたところで何の意味もない。
けれども彼女の言葉が嘘ではないとわかったから、特別に許してやることにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
また沈黙が落ちている。
わたくしとアイの二人がかりで目を通した本はもうすぐで百冊目になる。でもまだ、役に立ちそうな情報は見つけられていなかった。
そんな都合のいいものがあれば、わたくしたちが調べるまでもなく騎士たちが出向いていてもおかしくない。それならこれは全くの無意味なのではないか。
(それじゃあまりにも夢がないわ)
何かないだろうかと思いながら、次から次へと読み進める。
どんどんと冊数ばかりが増えていく。百、百五十、そして――――――。
夢中になっていたわたくしは気づかなかった。
図書室の扉が再び開き、誰かが入って来たということに。
「アイリーン?」
わたくしを呼んだのは、澄み渡るような美声。
誰かと思って振り返るとそこには金髪碧眼の最高に麗しい少年がいた。ずばり、わたくしの婚約者だ。
「あら、ファブリス殿下。どうしたの?」
「少し本を取りにね。びっくりしたよ、まさかアイリーンがいるなんて思わなかったから」
言うほど驚愕していないのはファブリス殿下がわたくしのことを理解している証拠。
優しげな表情は今日も素敵だった。顔がいいので、どんな表情でも映えるのは本当にずるい。
整い過ぎた顔を見つめながら、わたくしは言った。
「呼びに行こうと思ってたの。探す手間が省けたわ!
少し行きたいところができたの。だからついて来てちょうだい、ファブリス殿下。――二人きりでの冒険の旅って楽しそうだと思わない?」
百七十冊目くらいの本に、それは書かれていた。
大陸の東の果て。あらゆるところを馬で駆け回ったわたくしもまだ行ったことのない場所――とある高山に、どんな病でも癒す薬草が山のように生えているのだと。
ただしそれを持ち帰れた人間は今までにおらず、幻とさえ言われているらしい。
アイは眉唾物だと言っていたが、そんなのは実際に行ってみないとわからないことだ。
密入城だけでは冒険感が物足りなかったのでちょうど良かった。
わたくしの口からフェリシア殿下の名前が出たことに驚いたのだろう。ファブリス殿下が青い瞳を丸くする。
しかしわたくしを問い詰めるようなことはしなかった。
「わかった、一緒に行くよ。詳しい話もちゃんとあとで聞かせてもらうからね」
わたくしは満面の笑みで頷く。
最近は狭苦しい学園にいたから、ファブリス殿下と遠乗りするのは久々だ。
最高に心が躍っていた。
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