第三十話 妹を助けてあげたい姉心
フェリシア王女の言葉に、私は固まってしまう。
一体何を言われているのか数秒かかってようやく理解に至った。けれども理解したらしたでますます意味不明としか言いようがなかった。
――あなたはアイリーン? それともお姉ちゃんなの?
美しい声で紡がれた質問を脳内で反芻する。
なぜ初対面のアイリーンを知っているという疑問はあるが、兄であるファブリス王子から容姿の特徴を聞き及んでいたのであれば納得がいく。
そんなことよりも後半の方がよほど謎だった。
私たちを、私をお姉ちゃんなんて言う人間は、この世界には存在しないはずだ。
アイリーンの弟のヒューゴは姉上と呼んでいる。ましてやフェリシア王女にそう呼ばれる理由を作った覚えは、ない。
「フェリシア殿下、確かにわたくしはアイリーンで間違いないわ! でもそのお姉ちゃんってのには心当たりがないわね。わたくしの他に誰かいるように見えるのかしら?」
私が訊きたかったことをアイリーンが代弁――もちろんそんなつもりはないだろうけれど――してくれた。
フェリシア王女は幾度かの瞬きののち、ベッドから身を起こす。
そしてまつ毛を振るわせながらこちらをまじまじと見つめ、言った。
「本当に? 本当に、何も心当たりがないっていうの。確かにもしかすると単なる勘違いかも知れない。でもわたしには、そうは思えない」
「どういうことよ」
この時点でわたしは薄々気づいていたかも知れない。
だって心当たりは一つだけあったのだ。ただ、可能性の中から除外していただけで。
そしてそれは次の瞬間に決定的なものとなる。
「ねえ、生まれ変わったことはある?」
「……っ!」
小さく息を呑み、目を見開かずにはいられなかった。
転生を知っているのだ、彼女は。
それも当然か。だって私の想像が正しければ、彼女は私に異世界転生とう概念を教えた張本人なのだから。
「やっぱり。やっぱりそうなんだ。異世界転生してくれてたんだね。まさかこんな幸運なことがあるなんて……」
フェリシア王女。天を仰いでポロポロと涙を流す。
そしてすぐに微笑みを見せ――静かに名乗り上げた。
「ご挨拶が遅くなりました。わたしはフェリシア・アン・デービス。そして……前世では
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
まるで夢のように荒唐無稽で、都合の良過ぎる話だと思う。
今まで会ったことのなかった病弱王女。それが五年前に死に別れた妹だったなんて。
でもフェリシア王女が紫彩の名前を知っている時点でそれが紛れもない真実なのは明らかだった。
喜びより先に困惑ばかりが湧き上がってくる。
転生したというのは私と同様に紫彩も死んでしまったのだろうか。
そうだとすれば一体なぜ?
(他にも訊きたいことは山ほどあるわ。いや、それより先にフェリシア王女……紫彩の名乗りになんと言葉を返すのかが先だし――)
高速で思考を回転させている最中、ぷぅと頬を膨らませたアイリーンが声を上げた。
「なんだか勝手に話を進められているみたいだけど、わかりやすいように説明しなさい!」
状況に置いてきぼりにされる彼女の言い分はわかる。
だが、一体どこから説明すればいいものやら。
「もしかして、お姉ちゃんとアイリーン、一緒にいたりする? というかアイリーンがお姉ちゃんの記憶を思い出したパターン……?」
「勝手に住み着いた同居人はいるけれど、わたくしはわたくしよ。――いいから早く」
「わ、わかった」
アイリーンの圧に屈した紫彩は、これまでの経緯を全て私たちに語り聞かせ始めた。
「ふーん。つまりあんた、フェリシア殿下の体を乗っ取ったの」
「……乗っ取る、ね。人聞きが悪いと言いたいところだけど本当にその通り。でも、わたしが死ななかったおかげでファブリスはトラウマを抱えなくて済んでるかな」
「でもそれを設定したのは全部あんたなんでしょ、ここが本当に物語の中なんだとしたら」
紫彩の話は、驚きの連続だった。
時期も原因もほとんど同じの死に方――事故死をしたにもかかわらず、私と違って一年前にこの世界へ転生してたこと。
元人格と同居という形ではなく普通に一つの体に一つの人格で過ごせているらしいこと。
そして最大の衝撃は、この世界と酷似したweb小説を妹自身が書いていたという事実である。
(道理でアイリーンを知っていたわけね。私はフェリシア王女の存在さえ知らなかったのに、紫彩はずっと私たちに会いたがってくれていたなんて……)
アイリーンと一緒にここへ来て良かったと心から思った。
だって妹なのだ。
アイリーンに振り回され続けていたせいで寂しいと考える暇もなかっただけで、五年ぶりの再会というのは言葉にし難い感覚があった。
ただ、残念ながら手放しで喜べるものではないようで。
「……ごめん、ちょっと横になっていい?」
「私もアイリーンも気にしないから、ゆっくりしてて」
「ありがと」
紫彩、つまりフェリシア王女の顔が蒼くなってくる。
咳き込みながらベッドに横たわったものの、かなり苦しそうだった。
彼女が憑依したことによって命こそ長らえているが、体が弱いことに変わりはないので一生外に出られない可能性が高いらしい。
ふと私はこの離れへやって来たそもそもの理由を思い出した。
(この子を私が治せれば……)
姉として紫彩を助けてあげたかった。
でも、アイリーンにも言った通り、私には医療知識の欠片もありはしない。
悔しさに唇を噛む。
しかし苦々しい表情は一秒も続かなかった。アイリーンがニヤリと笑ったのだ。
「ここが物語の中であれ何であれ別にいいどうでもいいけれど、ファブリス殿下のためにも、それからついでにわたくしの召使のためにもあんたの病気を治さなきゃいけないんでしょ?」
「そうだけど……召使って」
「じゃあ決まりね! わたくしがあんたを助けてあげるから、待っているといいわ」
やけに自信満々に言うアイリーン。
だが私は知っている。彼女が無策であると。
なのに――。
「本当? それなら、信じてみようかな」
どこまでも純粋な瞳でそんなことを言われたら、無理だなんて言うのも、無責任な発言をしたアイリーンに怒るのもできなくなってしまうではないか。
かくして私は、アイリーンと共に紫彩を救わざるを得なくなったのだった。
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