第二十一話 毎日の勉強会と友人と
朝から授業を受け、すぐに寝そうになるアイリーンを揺さぶり起こしながら昼休みを迎え、放課後はファブリス王子との勉強に費やすという日常が続いていた。
入学からもう一ヶ月以上になるだろうか。勉強嫌いはなかなか治らないままだが、アイリーンは無事に学園に通い続けられている。
「アイリーン、そろそろ始めようか」
「いいわ。付き合ってあげる」
もはや恒例となった噴水の淵に腰掛けながらの勉強会が今日も始まる。
ノートを開き、「そうそう、こことここがわからないのだけれど……」と順に指差すアイリーンとそれを見守るファブリス王子の二人は相変わらずだったが、この一ヶ月間で一つ大きく変わったことがある。
それは、いつの間にか横並びではなくなったということだ。
最初は彼女の思いつきに過ぎなかった。
「いちいちノートを見せるために身を乗り出すのはファブリス殿下も疲れるでしょう?」なんて言って、ファブリス王子の膝の上に乗ったのだった。
ファブリス王子の慌てっぷりはすごかった。まあ、そりゃあ突然飛び乗られたら驚くだろう。
あと仮にも彼は年頃だしアイリーンほど無神経ではないので、思春期男子的な意味も少なからずあったかも知れない。
多少は抵抗していたものの、体にそこそこの筋肉がついてもなお気弱気味な彼がアイリーンに勝てるわけもなく、結局は受け入れたというか諦めていた。
以来、毎日毎日この体勢でやっている。
(さすがにここまで密着すると私も緊張するというか、なんというか。でも座り心地は悪くないのよね……)
臀部でファブリス王子の太ももの、背後で胸板の感覚を味わう私。
その一方でアイリーンは王子の話に耳を傾けたり、次々と質問をぶつけていた。
すっかり当たり前になった日常の一コマ。
一体いつまで勉強会を続けていくのかはわからない。アイリーンが宣言通りにファブリス王子の成績を追い抜くまでかも知れないし、それともそのうち飽きてやめるなんてことになりかねないけれど。
できれば学園卒業の時まで続けられたらいいなと思った。
アイリーンにとって勉強と同じくらい大事なのが交友関係。
私が必死に隠そうとしていても抑えきれない奔放な性格とワガママっぷりはあるものの、意外なことにさしたる問題なく友人関係を構築していっている。
アイリーンの妙なカリスマ性のおかげもあるが、最大の要因は物珍しさだろう。
暇さえあれば寮で和菓子作りに勤しみ――学園長とライセット家の両親に無理を言って領地から材料を取り寄せることに成功していた――、それによって旧友たちを次々に魅了していたのだった。
「私にも作り方を教えてくださいませんこと!?」
「まあ、なんて珍しいのでしょう! こんなお菓子は今まで一度も見たことがありません」
「対価ならいくらでもお支払いしますからどうか食べさせてください!」
同じクラスの公爵令嬢やら侯爵令嬢たちが口々に懇願してくる。
どこの世界でも女子というものは甘いものに目がないらしい。令嬢たちの食いつきっぷりは凄まじかった。
「すごいでしょ」と自慢げに胸を張ったアイリーンはすっかり調子に乗って、女子生徒たちを自分の寮部屋に招いては作り方を伝授。
さらには和菓子パーティーを開催するまでになり、一気に人気者になった。
ライセット領の特産品なのにそんな簡単に教えていいのかとも思ったが、まあ、美味しいものを広めるのは悪いことではない。
男子生徒の間にも話は広まっているようでアイリーンをチラチラと見たりしては噂していた。話しかけてこなかったのはおそらくアイリーンが第一王子の婚約者だから遠慮しているのだろう。
私としても男友達を作る必要性は感じていないので構わない。ファブリス王子だけで充分過ぎる。彼は婚約者だが、アイリーンはおそらく友人感覚でいる。
ファブリス王子がどうかは未知数だが。
「ますます人気者だね、アイリーン」
「あら、もしかして嫉妬かしら? 安心なさい。ファブリス殿下にもまたお菓子を振る舞ってあげるわ」
「ありがとう。楽しみにしているよ」
そんなやりとりをしていると、アイリーンの友人たちが「お二人は仲がよろしいのですね」だとか「素敵……」なんて言い合っている声が耳に届いてくる。
甘いものと同じくらい恋愛話に興味津々な彼女たちは、きっとあとで色々アイリーンに訊いてくる気だ。そしてアイリーンはそれをうきうきと話すに違いない。
(またうっかり変に口を滑らせなければいいのだけど。……でも今更、少しくらいの失言をしても受け入れてもらえるような気はする)
などと考える私は、この学園での平和な日々に慣れてしまったのかも知れない。気が抜けているとも言える。
破滅の未来から逃れられているかどうかわからない。でもさすがにここから最悪の事態になることはないだろう。
そんな根拠のない安心感を抱いていたのだった。
――ちょうどその頃、学園から遥か遠い場所で破滅の引き金となる人物が目覚めていたとも知らずに。
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