第23話

   俺は滝に一歩ずつ近づいた。


  いとこさんに沐浴を手伝ってもらう。滝壺の浅い所に入って手を洗ったり髪や顔も同じようにする。


「……光村君。体も水に浸してくれよ。そうでないとお清めにならないからな」


「わかりました」


  いとこさんに言われて頷いた。水は思ったよりも冷たい。ぶるっと体に震えがきた。それでも我慢してもうちょっと深い所に行く。手を合わせてそろそろと入った。一生懸命に全身を浸して小声でお経を唱える。


「……南無妙法蓮華経……」


  十回程唱えると夕凪のお父さんが「もういいよ」と言ってきた。ざばっと音を立てつつも水の中から出た。お父さんが俺にタオルと着替えを渡してくれる。まず、髪を拭き、湯帷子を脱いだ。下駄を履いたままで新しい下着を着て浴衣に着替えた。


「……んじゃ。家の離れに行こうか?」


「はい。色々とありがとうございます」


「お礼はいいよ。まだ、これくらいは序の口だ」


  いとこさんと話しているとお父さんと叔父さんが早くと促してきた。頷いて離れに急いだのだった。


  離れに行くと夕凪が待っていた。離れのある一室に彼女が案内してくれる。が、そこは昼間にも関わらず、薄暗い。カーテンが閉め切られて襖や障子も全て閉められているようだ。奥まった所に祭壇らしき物が見えた。そこには蝋燭が灯されている。よく見ると夕凪も洋服ではなく白い着物に紅い袴を履いていた。確か千早という巫女さんが着る上着も羽織っている。普段の洋服とは違い、ちょっと大人びて見えた。


「……雄介さん。清めの儀式は終わったみたいね」


「ああ。待たせていたら悪いな」


「そんな事はないわ。私も準備で大忙しだったし」


  夕凪はそう言ってちょっと笑った。俺はその笑みを見てどきりとなった。不意に懐かしさがこみ上げる。


「……木綿乃?」


「……え。もしかして思い出したの。弓月様?!」


「え。俺は一体何を?」


  すぐに我に返ったが。夕凪は寂しげにしている。


「……雄介さん。気を取り直して。じゃあ、解呪の儀式を始めましょう」


「ああ。頼む」


  夕凪は頷いた。そして祭壇らしき物に近づき、鈴が付いているらしい榊を手に取る。チリリと涼やかな音が鳴った。


「……では。畏み畏み申し奉る。アステラス神に請い願う。かの者を清め給え、払い給え……」


  夕凪が祝詞を唱えると鈴のついた榊が俺の額に当てられる。水に濡れているのかポタリと雫が滴り落ちた。

 さっと払う仕草をすると頭の辺りの重くモヤっとした物が取り払われるような感覚になる。夕凪は背伸びして頭頂部や首筋などにも榊を当てていく。が、よく見ると夕凪の全身から白く神々しい光が迸っている。それが榊にも伸びていた。肩や胸、腕と下に降りていく。段々と下腹部や足へと向かう。身体中に熱く清らかな力が溜まっていった。が、夕凪の様子はおかしくなっていた。目が虚ろで汗が額に浮かんでいる。


「……清め給え、払い給え……」


  小声で唱えるも今にも倒れそうだ。大丈夫だろうかと思う。爪先まで榊のお祓いが終わった。そうしたら夕凪はしゃがみ込んでしまう。


「……くっ。ああっ」


  玉のような汗が額、顎からポタポタと滴り落ちた。夕凪の顔が心なしか赤い。どうやら高熱が出ているようだ。俺は慌てて声を上げた。


「……す、すみません。誰か来てください!!」


  大声で叫ぶ。そうしたらガタッと音が聞こえてお父さん、叔父さん、いとこさん、お姉さんの八重子さんが駆けつけてくる。


「……光村君。何があったの?!」


  八重子さんがこちらに小走りでやってきた。俺は夕凪の近くで様子を見ながら説明する。


「……それが。お祓いが終わった後、急にしゃがみ込んでしまったんです。顔も赤いし苦しそうにしていて」


「本当ね。夕凪の中の神様は抜けているようだけど」


  八重子さんはそう言うとお父さんといとこさんに声をかけた。


「……父さんと篤志(あつし)君は夕凪を他の部屋に運んで。叔父さんは雄介君をお願いね」


「ああ。夕凪は任せておけ。布団を頼むぞ」


「わかった。じゃあ、行くね」


「……はい」


「大丈夫よ。夕凪の解呪は成功しているから。あの子も気を失っているだけよ」


  頷くと八重子さんは俺の肩をぽんと叩く。表情は笑顔だ。俺は緊張していたのでふうと大きく息を吐き出した。八重子さんは「良かったね」と言いながら別室に向かっていった。ちょっと目に熱いものが滲んだのは知らないふりをしたのだった。


  あれから、夜になり俺は夕凪宅にて泊まらせてもらう事になった。夕凪のお母さんが夕飯を作って離れまで持ってきてくれる。


「……特別な物はないけど。茄子カレーと野菜サラダよ」


「ありがとうございます。あの。夕凪ちゃんは……」


「夕凪ねえ。今は疲れているのかよく寝ているわ。八重子が側で看てくれているけど」


「……そうなんですね。じゃあ、有り難くいただきます」


「ふふっ。そうしてちょうだい。夕凪も朝になったら目が覚めると思うわ」


  お母さんはそう言って離れを出て行く。俺はお盆にあったスプーンを取って茄子カレーを食べたのだった。

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