もう1回やりたいならやるよ、ツルギ?

「とうちゃーく! それじゃ、アクロバット始めるよ! しっかりつかまってて!」


 雲の下、高度5000フィート──およそ1500メートル上空に到着すると、ストームによる曲芸飛行が始まった。


「まずはエルロン・ロール! 行くよ!」


 まず、ストームは操縦桿を少し引いて、僅かに機首を上げる。

 それから、思い切り操縦桿を左に倒すと、G120TPが左に横転を始めた。

 まるで遊園地のコーヒーカップのように、世界が時計回りにぐるんぐるんと回る。


「1、2、3、4、5!」


 ストームが操縦桿を中央に戻すと、5回続いた横転がピタリと止まった。


「ひゅう!」


 ツルギが思わず漏らした声は、少し興奮気味だ。


「エルロン・ロール終わり! それじゃ、次は右旋回!」


 次に、操縦桿を右に倒すストーム。

 機体がぐるん、と右に横転し、90度傾いたところで操縦桿を戻す。

 そのまま操縦桿を引くと、右旋回が始まった。


「──っ!」


 途端、体が座席に強く押し付ける力がかかる。

 乗っている2人共、息んで体中に力を込め、それに抵抗する。

 しっかり左ペダルを踏むストームによる旋回は、横滑りが一切ない正確なものだった。

 だがその間、息つく暇はない。

 ましてや、操縦桿を握っていないツルギにとっては、さながらジェットコースターに乗っている感覚だ。

 もっとも、その速さはジェットコースターどころではない。時速400km以上出ているのだから。常人なら気分が悪くなってしまうだろう。

 そんな状態が10秒くらい続き、旋回が終わった。

 機体を左に傾けて、姿勢を水平に戻す。


「よし! 次は大きくループ! 出力最大!」


 今度は左手でスロットルレバーを押し込み、操縦桿を引くストーム。

 すると、機首が上がってぐんぐんと上昇を開始。宙返りが始まった。


「──!」


 ツルギのジェットコースター状態は続く。

 南国の太陽が真下へ流れていくのが見えた。


「──くく」


 そのままどんどん上へ上へと流れていく空を見て、ツルギは息みながら笑っていた。

 体が押し潰されそうな苦しさにさえも、楽しさを感じていた。

 上昇の末、機体は逆さまに。

 ここで、ストームはスロットルレバーを絞った。

 さらに機首は重力に任せるように上がり続け、完全に下向きになり、海面が見えてくる。

 そのまま機首上げを続けて水平に戻り、15秒かけた宙返りを完了した。


「──っ、ふふ」


 ツルギがようやく吐き出した息は、清々しいものだった。

 競争を走り切った時のように。


「次は左にバレル・ロール! はいっ!」


 ストームは少しだけ機体を上昇させてから、左に傾ける。

 すると、機体が螺旋を描くような形で1回転。

 これが、バレル・ロールである。

 その間も、ツルギはGに耐えながら笑っていた。

 辛いのに、苦しいのに、楽しい。

 もっと続けていたいのに、辛さを感じるのが悔しく思うくらいには。


「さあ、クライマックスだよ! プロペラ機だからできる、とっておき! それっ!」


 ストームは再びスロットルレバーを押し込み、上がった出力に任せてもう一度上昇。

 だが今回は、機首上げを垂直までで止めた。

 そのまま垂直上昇を続ける──と思われたが。


「テイルスライド!」


 いきなりスロットルレバーを絞ってしまった。

 エンジンパワーが失われる。それはすなわち、上昇できる力を失った事を意味する。


「え? え?」


 困惑するツルギ。

 機体が重力に逆らえなくなり、どんどん速度が落ちていく。

 ビィィィィィィ、と耳障りな警報音が鳴る。

 失速警報。速度が落ちすぎて翼が揚力を作れなくなり、飛べなくなりつつある。

 そうなれば、落ちていくだけだ。走り続けなければ倒れてしまう自転車と同じように。

 速度は、とうとうゼロになってしまった。

 一瞬、宙に静止した感覚の直後、機体が重力に引っ張られ後ろ向きに落ち始める。


「うわああ!?」


 飛行機が後ろ向きに進むという、あり得ない事が起きている。

 それは、ほんの数秒間。

 機首も重力に引っ張られ、がくん、と下を向く。

 まさに頭から飛び込む形。

 だが、それだけで終わらない。


「そしてスピン!」


 そのまま、きりもみ状態に入ってしまった。


「うわああああ!?」


 絶叫マシンでも味わえない。洗濯機の中にでも放り込まれたような感覚。

 ツルギは、どうする事もできない。

 あの時のように、このまま落ちるのでは、という不安が一瞬過ぎった。


「──よっ!」


 だが5回ほどで、きりもみは終了。

 ストームは暴れる機体を難なく抑え込み安定させ、操縦桿を引いて水平飛行に戻した。


「はは、ははははは! すごいなストーム、こんな事もできるなんて!」


 終わった瞬間、またしても笑っていたツルギ。

 あんなスリルも終わってみれば楽しかったと思える辺り、やはり飛ぶ事が好きなんだと実感していた。


「でしょ? もう1回やりたいならやるよ、ツルギ?」


 答えたストームも、嬉しそうだ。

 そうしたいのも山々なツルギであったが。


『ブルー1、そこまでだ』


 無線からの呼びかけが、それを遮った。冷静な男の声だ。

 途端、ストームが我に返った顔をする。


『試験終了。帰還せよ』

「……ウィルコ。ブルー1、帰還しまーす」


 ストームは、どこか残念そうに答えた。


「ああ、もう終わりかあ……よし! じゃあツルギ、帰る前に写真撮ろ!」


 しかしすぐに気持ちを切り替え、左手で懐からデジタルカメラを取り出す。

 右手は操縦桿を握ったまま、器用にカメラのレンズを自分達の方へ向けると、左手首につけた青薔薇のブレスレットが揺れた。

 さらに少し身を寄せてきたので、少し驚くツルギであったが。


「はい! チーズ!」


 とっさにピースサインをした直後、ストームがシャッターを押した。


「よし! じゃあ帰るよ!」


 すぐにカメラをしまい、帰路に就こうとするストームであったが。


「えーと、今どのあたりかな? どっち行けばリード基地?」


 今どこを飛んでいるのかまだ把握できていない様子で、計器とにらめっこを始める。


「ほら、ちゃんとマップ見て。今、方位は150だから──」


 ツルギはすぐに、計器盤に並ぶデジタルディスプレイを指さしながら、ストームをフォローしたのだった。

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