ツルギ、ダンスしよ?

 機体が加速し始め、離陸への助走が始まった。

 周りの景色がどんどん後ろへ流れていく。

 近づいていく離陸に気分が高揚するツルギ。この加速感は、パイロットにとって最もテンションが上がる瞬間のひとつなのだ。

 13秒ほど経って、ストームがゆっくりと操縦桿を引く。

 すると、機首がゆっくり上がってふわり、と地面から浮かび上がった。

 車輪ギアが格納される。

 緩やかながらもぐんぐん上昇していく中で、ストームは高らかに宣言した。


「ライラック1、離陸完了エアボーン!」


     * * *


 離陸からほんの数分の内に、テキサンは洋上へと出た。

 ディスプレイの表示を見ると、高度は5000フィート。およそ1500メートルだ。

 他に飛んでいる飛行機は見当たらない。空は完全に2人の貸し切り状態だ。


「どう、ツルギ? 乗り心地は?」

「──うん、最高だよ。やっぱり、戻ってきてよかった」


 ツルギはただただ、見とれていた。

 久々に空を肌で味わう感覚に。

 コックピットからの眺めは絶景だ。

 水滴型のキャノピーは、360度遮るものがない良好な視界を提供してくれる。窓からしか眺められない旅客機の客席とは訳が違う。

 一応、後席の正面には前席という障害物があるが、後席は前席よりも一段高く配置されているので、正面もしっかり見える。

 文字通り、鳥になった感覚。

 無限に広がる青い空に包まれる感覚。

 ぽつんと浮かぶ積雲の上を、その身で登っていくような感覚。

 これらを実体験できるのは、パイロットの特権と言えるだろう。


「よかった──あっ、いけない! ライラック1、訓練空域に到着!」


 と。

 思い出したように、ストームが無線で報告する。


『了解、ライラック1。これよりテストを開始する』


 ロアルド教官の声が返ってきた。

 我に返るツルギ。今は遊覧飛行をしに来た訳ではないのだ。


『指定した通りの機動飛行を開始せよ。そちらの機動はレーダーでしっかり追跡しているから、ズルはできないぞ』

「ウィルコ!」


 はきはきと返事をするストーム。

 これからジェットコースターのごとく、ストームにぶん回される。それについて行けなければ、二度とこんな飛行機には乗れない。

 それを思い出した途端、緊張し始めたツルギだが、そんな彼を肩越しに見ていたストームは顔を戻して咳払いをひとつすると、


「ツルギ、ダンスしよ?」


 突然、社交ダンスに誘うように優しく言った。

 一瞬驚いたが、緊張を和らげようとしてくれているんだ、とツルギは気付く。

 そう、これからやるのはデュエットダンスのようなもの。行う飛行はあくまで基本的なものであり、極端に激しい飛行をする訳ではない。

 なら、ストームのリードにしっかりついて行くだけだ。


「……うん、よろしく」

「こちらこそ!」


 出発前の事を思い出し、深呼吸しながら肩をグッ、と上げて、ストン、と落とすツルギ。

 緊張を落ち着かせ、余計な事は考えないようにする。

 ストームはツルギに心の準備をさせるため、事前にこれから行う機動を元気よく宣言する。


「じゃ、最初はエルロン・ロール! 左右1回ずつ! まずは左! はいっ!」


 ストームが操縦桿を引くと、機首が少し上がる。

 それから左に大きく倒し、翼を左に振ってぐるりと横1回転。水平線がぐるりと右に回って見える形で、天地がひっくり返る。


「うおっ!?」


 ツルギが驚いている間に、回転軸がぶれる事なく、ぴたりと元の水平に戻った。

 かかった時間は3秒ほど。飛行機としてはこれでも遅い方である。


「次は右!」

「おおっ!?」


 同じ要領で、今度は右に翼を振って横1回転。やはり3秒ほどで終わった。


「──はは」


 自然と笑みがこぼれるツルギ。

 これだけでも、ジェットコースターではまず体験できないスリルだが、この程度は、まだ序の口でしかない。

「次は、360度旋回を2回して、8の字旋回! まずは左から! はいっ!」

 宣言と同時に、ストームは操縦桿を左に倒した。

 機体がぐるん、と左にロールする。

 90度傾いたところで止まった。

 戻した操縦桿を、今度は引くと、左旋回が始まった。


「──っ!」


 途端、体が座席に強く押し付けられる。

 気を抜くと、肺から息が全て吐き出されかねない力。

 ツルギは息んで体中に力を込め、それに抵抗する。

 重力加速度──Gとの戦いが始まった。

 人間が普段感じているGは、1G。激しい機動をすると、遠心力でその何倍もの力が体にかかる。車が高速で急カーブを曲がると、体が外側へ引っ張られるのと同じだ。

 今かかっているのは、6G──つまり体重の6倍もの力が、ツルギを押し潰さんとしているのだ。下手をすると、意識を奪われかねない。


「──!」


 ストームによる旋回は、適切なペダル操作により横滑りが一切ない正確なものだった。

 だが、ツルギにそれを堪能する余裕などない。

 頭の血が下がり、視界が色を失っていく中、ひたすらGと格闘する。

 それが16秒くらい続き、旋回が終わった。


「──ふう」


 機体が水平に戻り、視界の色が戻り、ようやく大きく息を吐けたのも束の間。


「右行くよ!」

「っ!」


 ストームの叫びと共に、今度は右に傾いた。

 右旋回が始まったのだ。

 再び襲い来るGに、息んで再び抵抗する。

 またしても16秒耐え続けた末に、右旋回は終わった。

 左右1回ずつ360度旋回した事で、軌跡はちょうど横に8の字を描いた形になる。


「次は大きくループ! 出力最大!」


 今度はスロットルレバーを押し込み、操縦桿を引くストーム。

 すると、機首が上がってぐんぐんと上昇を開始。宙返りが始まった。


「──!」


 三度Gとの戦いが始まる中、太陽が真下へ流れていくのが見えた。

 上昇の末、機体は逆さまに。

 ここで、ストームはスロットルレバーを絞った。

 さらに機首は重力に任せるように上がり続け、完全に下向きになり、海面が見えてくる。

 そのまま機首上げを続けて水平に戻り、18秒かけた宙返りを完了した。


「ふう……」


 やっと息を吐けた。息つく暇もない、とはまさにこの事。

 思いの他、辛かった。

 こんな事が普通にできていた以前の自分が、少し信じられなくなるツルギ。

 なぜなら──


「次は左にバレルロール! はいっ!」


 ストームは少しだけ機首を上げてから、左に傾ける。

 すると、機体が螺旋を描くような形で1回転。これがバレルロールである。


「──っ、ふふ」


 息んでGと戦う中で、自然と笑みが零れるツルギ。

 辛いのに、苦しいのに、楽しい。

 もっと続けていたいのに、辛さを感じるのが悔しく感じるくらいには。

 水平飛行に戻って吐き出した息にも、清々しさを感じる。競争を走り切った時のように。


「さあ、クライマックスだよ! プロペラ機だからできる、とっておき! それっ!」


 いよいよ、最後になってしまった。

 ストームは再びスロットルレバーを押し込み、上がった出力に任せてもう一度上昇に転じ始めた。

 だが今回は、機首上げを垂直までで止めた。

 そのまま垂直上昇を続ける──と思われたが。


「テイルスライド!」


 いきなりスロットルレバーを絞ってしまった。

 エンジンパワーが失われる。それはすなわち、上昇できる力を失った事を意味する。


「え? え?」


 困惑するツルギ。

 機体が重力に逆らえなくなり、どんどん速度が落ちていく。

 ピピピピピピピピ、と警報音が鳴る。

 失速警報。速度が落ちすぎて翼が揚力を作れなくなり、飛べなくなりつつある。

 そうなれば、落ちていくだけだ。走り続けなければ倒れてしまう自転車と同じように。

 速度は、とうとうゼロになってしまった。

 一瞬、宙に静止した感覚の直後、機体が重力に引っ張られ後ろ向きに落ち始める。


「うわああ!?」


 飛行機が後ろ向きに進むという、あり得ない事が起きている。

 それは、ほんの数秒間。

 機首も重力に引っ張られ、がくん、と下を向く。

 まさに頭から飛び込む形。

 だが、それだけで終わらない。


「そしてスピン!」


 そのまま、きりもみ状態に入ってしまった。


「うわああああ!?」


 洗濯機の中にでも放り込まれたような感覚。

 ツルギ自身では、どうする事もできない。

 このまま落ちるのでは、という不安が一瞬過ぎった。

 だが。


「──よっ!」


 5回ほどで、きりもみは終了。

 ストームは暴れる機体を難なく抑え込み安定させ、操縦桿を引いて水平飛行に戻した。

 スピンからの回復は、戦闘機パイロットの必修科目だ。ストームならできて当然の能力だが、あんな機動の後でも行えるとは、ツルギも思わなかった。


「はは、ははははは! すごいなストーム、こんな事もできるなんて!」


 終わった瞬間、またしても笑っていたツルギ。

 あんなスリルも終わってみれば楽しかったと思える辺り、やはり飛ぶ事が好きなんだと実感した。


「でしょ? まだ飛行場の上じゃできないけどね!」


 答えたストームも、嬉しそうだ。

「楽しかった?」

「ああ、楽しかった。ありがとうストーム」

「こちらこそ、ありがと!」


 そして、互いにすっきりした笑みで挨拶を交わしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る