フライト1:ようこそ! 空軍航空学園へ

これもきっと、オーディン様の導きだよ

「むかーしむかし──といっても18世紀の事だけどね。デンマークのあるところに、貴族のお嬢さんが暮らしていました。ある夜、彼女は夢枕に突然現れたご先祖様・オーディンのお告げを受けて、家臣達と共に新天地を探す冒険の度に出ました。その果てにたどり着いたのが、東南アジアにあるとある島。彼女はその美しさ、そして友好的に出迎えてくれた先住民達の心に感動して、島で暮らす事を決意します。そして先住民達への恩返しとして島を豊かにしようと、自らが女王となってスルーズ諸島王国を建国したのです。もちろん、それは決して簡単な事ではありませんでした。疫病との戦いや、反対する別の先住民との争いを経て、王女は自分の無力さを痛感します。そんな時に今度は、列強のイギリス軍が上陸してきます。疲弊した状態で争っても国を滅ぼすだけだと悟った王女は、イギリスと友好条約を結び保護国にしてもらう事で、島の平和を守り抜き、疲弊した国を立て直す事ができたのです……」

「へぇ、つまりスルーズ諸島はデンマーク生まれイギリス育ちな国って事なんだ」

「そうそう! ツルギって要約うまいね!」


 高級感あるダブルベッドの中で寝転がりながら、ストームとツルギは語り合う。

 部屋はベッドと同じく高級感あるデザインだが、お世辞にも広いとは言えない。ベッドの左右に個室程度の狭い部屋が分かれているだけ。

 だからこそ、2人はダブルベッドの中で身を寄せ合っている。

 一糸纏わぬ姿で、白い毛布だけ被りながら。


「で、そんな王女の名前こそ、ヴィオレット・スルーズ1世」

「え、って事は──」

「そう、この旅客機の名前! このA380って旅客機、歴代国王の名前が付けられているんだって」


 これに書いてあった、とストームは雑誌を手にとってツルギに見せる。

 その表紙には『Thrud Traveler』と大きく書かれ、南国の美しいビーチの風景写真が使われている。


「すごいな……初代女王の名を冠した豪華な旅客機に乗れるなんて、何だか夢みたいだ」

「これもきっと、オーディン様の導きだよ」


 雑誌を置いたストームが、左手でそっとツルギの右手を握る。

 その薬指には、銀色の指輪がはめられていた。小さくだが、一輪のバラが彫られている。


「そうだね。僕達を出会わせてくれたオーディン様に感謝しないと」


 ツルギも、そんな彼女の小さな肩に左手を伸ばす。

 その薬指には、ストームとお揃いの指輪がはめられていた。


「ツルギ……」

「ストーム……」


 そっと抱き合う2人。

 互いの体が密着し、ストームの大きく膨らんだ胸がツルギの胸板に押し当てられる。

 そのまま2人は目を閉じて、ゆっくりと唇を重ね合わせた。

 甘い吐息を漏らしながら、2人は互いの唇を吸い合う。


「んん……ツルギ……好き……っ」

「僕もだよ、ストーム……」


 抱き締める力が強くなる。

 酔うような感覚に溺れ始め、さらに互いを強く求め合おうとした、そんな時。

 こんこん、とドアをノックする音がした。

 2人は目を見開いて我に返り、唇を離してしまう。


「お客様ー? あのー、他のお客様の迷惑になりますので、静かにしていただけませんか?」


 ドアの向こう側から聞こえたのは、どこか気まずそうなキャビンアテンダントの声。

 途端、2人の顔が揃って真っ赤になったのは、言うまでもない。

 

 そう。ここはホテルの一室ではない。     

 青空を悠々と飛ぶ総二階建て旅客機「ヴィオレット・スルーズ1世号」の最高級席・ファーストクラスだ。

 若干18歳にして夫婦となった2人は、この旅客機に乗り、東南アジアはインド洋に浮かぶストームの故郷・スルーズ諸島王国へと降り立とうとしているのである──

 

     * * *

 

 スルーズ諸島の空の玄関口、エリス国際空港。

 今日も大小さまざまな旅客機で賑わう、この国一番の大空港に、ニューヨークからほぼ1日がかりで飛んできたヴィオレット・スルーズ1世号が降り立った。

 そして、ターミナルビルの前で駐機。

 その壁には、スルーズ諸島王国の国旗が大きく描かれている。青・金・青の横三色旗の中央に、特徴的なバインドルーンの紋章がある。

 そして、接続されたボーディングブリッジにツルギとストームが降りてくる。ファーストクラス用なので空いており、2人以外の乗客はいない。

 2人共、青を基調としたブレザーの制服を身につけている。スルーズ諸島空軍のパイロットなどを養成する高等専門学校・スルーズ諸島空軍航空学園の制服だ。

 ツルギは膝上に、2人分のバッグを抱えている。


「お客様、車いすのご用意はできております」


 アテンダントが、車いすを用意して出迎える。

 それは、ツルギが本来使っているもの。

 今乗っているのは、旅客機の狭い客室で使う、小さめな車いすなのだ。


「今から移乗いたしますので──」

「あ、大丈夫です。あたし1人でできますから」


 アテンダントの案内を、ストームがやんわりと断る。

 え、と戸惑うアテンダントをよそに、ストームはツルギの肩と膝下に手を入れる。


「じゃ、行くよ。よっ、と」


 ストームは、2人分のバッグを抱えたままのツルギを、ひょい、と軽々持ち上げた。

 そのまま、丁寧に車いすへと座らせる。

 全く重そうな様子を微塵も見せない、滑らかな動きであった。


「はい、終わり」

「ありがとうストーム」


 なんて事はない事のような、2人のやりとり。

 その様には、アテンダントもぽかんとしてしまっていた。


「じゃあこれ、お返しします」

「ありがとうございました」


 ストームが機内用車いすを折り畳んでアテンダントへ渡し、ツルギが礼を言う。


「は、はい、お気をつけて……」


 我に返ったアテンダントは、先へ進んでいく2人を苦笑しながら見送った。

 そんな中、スマホの着信音が鳴り始め、ツルギが懐から自らのスマホを取り出した。


『もしもし──うん、今着いたところ。うん、うん──わ、わかってるよ。気をつけるから。それじゃあ、また』


 通話を終えたツルギは、ストームと何気ない会話を交わす。


「マイさん、何て言ってた?」

「まあ、気をつけてくるんだよって感じ」


 搭乗ゲートから出たのは、ちょうどその時。

 途端、車いすが止まる。


「おおー!」


 客で賑わう空港の中を見て、ストームが声を上げた。

 観光地として人気な国なだけあり、客の人種は東洋系から西洋系までさまざまだが、案内で書かれている言語は英語が中心だ。


「遂に到着だね! あ、そうだ!」


 ストームは、ふと思い出したように背後を確かめると、懐から小さなデジタルカメラを取り出す。


「ツルギ、ちょっと写真撮ろうよ!」

「え? いいけど」

「それじゃ一緒に、はい! チーズ!」


 そのレンズを自分に向けながらツルギに身を寄せ、小さくギャルピースのポーズを取りながら、シャッターに指をかける。

 ツルギもとっさにピースサインをした直後、シャッターが押された。

 すぐにストームは、デジタルカメラの画面を確認する。


「どう? ちゃんと撮れた?」

「うん! バッチリ!」


 にっこりと笑みながら、画面に映るデジタル写真を見せるストーム。

 その写真の背景には、ツルギとストームの間に挟まる形で、先程まで乗っていたヴィオレット・スルーズ1世号の顔──すなわち機首部分が正面から映っていた。

 これこそがストームの目当てだったと、ツルギはすぐに気付いた。

 彼女は飛行機の写真を撮るのが好きなのだ。


「ふふふ、撮っちゃった……! ヴィオレット・スルーズ1世号と、あたし達!」


 上機嫌に画面を眺め続けるストームを見て、ツルギも相変わらずだなあ、と表情が緩む。


「さて、と」


 デジタルカメラをしまったストームは、搭乗を待つ客達でにぎわう搭乗口を、きょろきょろと見回し始めた。


「えーっと──どこ行けばいいんだっけ? お迎えがいるって聞いたんだけど……?」


 ストームは、どこに行けばいいのかわからない様子だ。

 彼女のそんな様子に、ツルギも少し心配になる。

 大空港という施設は、その名の通り広くて複雑な施設で迷いやすい。

 そして何より、ここはツルギにとっては初めて来る場所であり、地元民であるストームの案内を期待していたのだが──


「ねえ……ここ、ストーム来た事あるんじゃなかったの?」

「そうなんだけど、まだ2回目なんだよね……」


 ばつが悪そうに笑うストーム。

 どうやら彼女にとっては、まだ勝手がわからない場所らしい。

 ツルギはため息をつく。

 地元民であろうとも、わからないものはわからないし仕方がない、と。


「とりあえず、ターミナルに行って、案内表示を探そう」

「そうだね」


 賛同したストームは、早速車いすを押そうとした。

 そんな時。


「待ッテ」


 ストームの二の腕を、誰かが掴んだ。

 驚いて、振り返るストームとツルギ。

 そこにいたのは、見慣れない女子だった。

 どこかぼんやりした印象の彼女は、黒い肌で、目元には赤い入れ墨が入っている。普通の人はまずしないその顔立ちは、まるで異界か遙か古の時代から来たかのようだった。

 ツルギは思わず問うていた。


「……誰?」

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