第7話 絶望を消すモノ

  テラとトールが通された処置室。そこには、たくさんの人がベッドに横たわっていた。

 あまり広いとは言えない部屋に、ベッドがぎゅうぎゅう詰めにされている。それだけならまだいいが、問題は患者たちの様子だった。


 全員が全員、口から吐瀉物を吐きながら、下半身を血に染めながら、呻いていた。

 マスクをして、白衣に身を包んだ教会の職員たちが、忙しなく動いている。


 トールは部屋に足を踏み入れた瞬間に後悔した。臭いと、光景、そして音。すべてが目の前で起きている現実とは受け止められなかった。


「なんだよ、これ……」


 トールは思わず呟いた。いつものシニカルな表情は顔から消えていた。


「おい、ボサッとしてねえで、そこに寝かせろ!」


 患者の治療の指揮を担当していたレイに一喝され、トールはようやく現実に意識を戻した。教会の職員たちが新しく用意したベッドに、テラを寝かせる。


「感染するかもしれねえ、早く出ろ!」


 トールを追い出し、レイは再び治癒魔法を全員に向けて使った。


 ここにいる患者たちは全員、同じ症状だ。以前から吐き気を訴えてきたり、下痢に悩まされていた人たちである。


 教会のシスターをはじめ、神官とテラ。特にシスターは、レイを除いた6人全員が同じ症状だ。

 全員が全員、嘔吐と下痢が酷い。その中でも特に神官の症状が一番酷かった。レイが治癒魔法をかける前、彼は皮膚が焼けたように腫れ、さらに剥がれ落ちていたのだった。


 レイが治癒魔法をかけて皮膚は治った――かのように見えたが、神官の容態は悪化の一途を辿る。

 嘔吐や下痢も続き、さらには他のシスターも同じように運び込まれ、テラまでも……。


 やはり解毒や解呪は効かず、こうして治癒魔法をかけ続けることしかできていないのが現状だった。


「くそっ、どうなってやがる……! まるで連続的に、攻撃を食らい続けてるみてーにダメージが止まらねえ……! 治しても治してもキリがねえ!」


 患者の数も増え、比例するようにレイの負担も爆増した。いくらBランクの癒士とはいえ、無限にスキルを使い続けられるわけではない。


「おい! 隣町の教会に救援要請だ! 人数も欲しい! すぐにだ!」


 レイは汚物の処理などをしていた職員のひとりに、指示を出す。教会は国境を越えて権力を持つ。町を隔てるものなど、距離くらいのものだ。


 だが長距離における連絡手段は手紙しかないため、足を使って伝えに行くことになる。職員はすぐに早馬を使い、一番近い隣町、ペルセウスへ応援を呼びに行った。


「うう、レイ……」


「ジジイ! しっかりしろ!」


「全身が……あつい……」


「水が欲しいか……!?」


「それより……身体中が熱くて……痛くて……たまらん……」


 神官はうわ言のように呟く。熱に浮かされているようにも見えるが、返答はしっかりしている。意識はあるようだ。

 レイは歯を食い縛って治癒魔法を使い、増援を待つことしかできない。


 患者のうめき声は止まらない。時々口からは吐瀉物を吐き、下の穴からは血の混じった下痢を垂れ流す。

 人間には尊厳というものがあるが、この場において、それは失くなっていた。一体なにがあれば、人間がこんな状態になるのか? 体内でなにか起きていることは確実だった。


「諦めんなよ、お前ら! オレが絶対助ける!」


 治癒魔法で、彼らの苦痛は多少なりとも和らぐ。ならば、治せないはずはない。レイはそう信じていた。

 応援も呼んだので、直にもっとたくさんの癒士が来る。そうなれば、全員助かるはずだ。


「そうだ! こんな程度で! こんな……程度……」


 こんな程度か……? レイの頭にふと、疑念がよぎった。治癒魔法をここまでかけて、それでも元気にならなかった人間など見たことがないし、事例も聞かない。人類史上で、ここまで人を苦しめた天然の病理などなかった。


 これに勝てるのか? そんな弱気な心が一瞬よぎる。ダンジョンのボスのような見える敵なら協力して倒せる。飢饉や飢餓のような見えない脅威でも、やはり協力すれば乗り越えられる。


 だが、今回の「これ」はどうだ?

 正体不明。原因不明。だから、治療法も不明。何もわからない。一切の光すら見えない真っ暗闇の中、真っ直ぐ進めと言われているようなものだ。


 気丈なレイの心が一瞬、闇に呑まれそうになる。だが、彼女はそれを吹き飛ばした。


「負けてたまるか! こんなとこで死にたかねえだろ!?」


 身体の内側から破壊されて、苦しみ抜いて死ぬなど人間の死に方ではない。教会に務めるシスターとして、神に仕える僕として、レイは人間の生命を諦めるわけにはいかない。


 こうしてレイが全員に治癒魔法をかけ続け、5、6時間は経った。その時だった。


「帰りました――レイさん」


 職員が、教会に帰って来た。


「よくやった! 応援は――」


「ペルセウスには……人がひとりも居ませんでした……」


「は? なんだって……?」


 あまりの衝撃に、レイは一瞬我を忘れてしまった。


「人が……居ないって……どういう意味だよ」


「本当です! 人っ子ひとりいませんでした! 町から……人が消えていたんです! 教会にも! ギルドにも! 誰も居ませんでした!」


「は、そんな……バカな」


 予想外の出来事に、レイはその場に座り込んでしまった。職員は既にすすり泣いてしまっている。


 絶望に沈みながらも、レイの頭はこれからどうすべきか考えていた。思考停止は、ピンチの時に一番してはいけないことだ。


「今から別の町に……間に合うか? いや、間に合わせるしか……」


 レイの体力ももう、限界に近い。一番近い町であるペルセウスまでの距離が、早くて往復5時間だったのだ。

 これから日も傾いてくる。


 絶望的な戦いが待っている。


「間に……合わせましょう」


 ベッドの上でうめき声を上げていたシスターのひとりが、上半身を起こした。


「お、おい! 寝てろ!」


「私たちにも……癒士の……誇りがあります。やられっぱなしも……癪ですしね……!」


「どういう……」


「全員で……お互いに治癒魔法を掛け合えば……レイさんの負担も減るはず……! これで持たせましょう……!」


 シスターたちは、誰ともなく、治癒魔法を発動した。暖かな光が、病室にいる全員を包む。

 ひとり、またひとりと、スキルを発動し、お互いがお互いを支え合うように、お互いの傷をお互いで癒す。癒しの連鎖が広がり、苦悶の声が次第に弱くなっていく。


「お前ら……」


「生き残るんです……! 全員で……!」


 人の生命力は力強い。生きようとする意志は、決して負けない。レイは改めて、それを感じた。


 そう、レイはそういった光景を何度も見てきたはずだ。治るはずのない難病を克服したり、死は免れないほどの重体から回復したり……人は、簡単には死なない。


「そうだ……! 俺も、こんなとこで、死ねるか……!」


 シスターたちに触発され、テラも呟いた。


「俺にも死ねない理由がある……! ディースに……謝らないと」


 全員の心がひとつになる。誰もが生を諦めていない。棄てていない。


「ああ、諦めるな! きっと……きっと助かる!!」


 レイも全員を鼓舞する。希望の光は見えた。応援が来れば、全員絶対に助かる。

 暗闇の中でこそ、希望の光は強まるのだから。

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