第2話 考えすぎは腹を壊す

 ある男の話をしよう。



 青年は正義だった。子供達が未来を不安がるこの世界を変えたいと、変えてみせると覚悟を持っていた。



 正しく権力を振るう。そのために彼は良く学び、良く考えた。



 そうして見えたのはーーーー-醜い悪だった。



 自分は善を為している。ならば多少の悪も容認されてしかるべきだ。まるでそう言っているように書き連ねられた醜い数字、醜い文字。



 青年は激怒した。そして死んだ。深淵の話だった。こちらがそれを知覚したなら、それもこちらを知覚する。



 剣を向けられれば、善人とて銃を放つ。潔くくたばる悪など、どこにもいない。



 しかし間違いなく青年は善であった。





「どうして?下らない事を聞くな?君は」



 男は悲しい顔をしながら銃口をこちらに向けている。



「簡単だ、お前はやり方を間違えた。悪を殺したければ、確実に一瞬で抵抗を許さずに、一息で撃ち殺すべきだった」



 男は言う、とてもそれはどうしようもなく悲しそうに残念がるように。



「悪を適度に使い、ルールを破らねばルールの外に居る本物の悪を裁くことは出来ない。ルールの中から改革なんて不可能だ」



「なのにお前は正しさに拘ってしまった。だから悪はお前を恐れた。先に剣を見せたのはお前だ。死にたくないのは悪だって同じとなぜ分からなかったんだ」



 足から流れる赤が、ここからが正念場だと痛みを持って教えてくる。



「それでも人々は正義を求めている。肥えた悪を裁き、飢えた善を満たすそう言う正義を。ならば私は正義のままに悪を打倒せねばならない。」



「お前は善人だな。根っからの。目眩がするほどに輝かしい理想だ」



 男は言う、優しい声音で。



「一つ聞こうか、お前は生きたいか」



 鋭く、強く、届く。ここに全てがかかっている。次の言葉を深く、深く考えてーーーーやめた。考えるまでもない。



「正義のために生きたい」



 男の悲しそうな顔がより濃くなり、そして苦しそうに顔をしかめた。



「死んでも良いと言うならそのまま殺してやったよ」 



 男はタメ息を吐いた。深く深く。永劫にも思えた。そしてこの長く短い命のやり取りに、終わりの言葉を告げようとしている。そう直感した。



「お前は本当に素晴らしい善人だね」



 そうして静かに銃をーーー下ろした。


 続けて男はこう言った。



「悪党だって生きたいのさ」




    パン

 乾いた音が鳴った。




「合格おめでとう」


「ありがとう。お母さん」



 少女は理解できないまま入学試験を突破した。

 家族がケーキを用意してとても楽しそうに祝ってくる。まるで自分の事のように。



 どこにでもある家庭の暖かい日常だ。



 でもこの心には納得が無い、得心がない。私の心じゃないみたいに、浮わついている。地に足が付いておらず、ふわふわと浮いている。



 良い高校に一発合格した。それはきっと良いことなんだろう。



 でも分からない。自分がそうするべきと思っていないから?だから浮わついているのか?



 モヤモヤとした心を持っているままに、無邪気に喜ぶフリをしている。家族からの好意に嘘を吐いている。それはとても悪いことなんだろう。



 自分がなにがしたいとか分からない。ただ、良いところに行けばやりたいことが出来たときに苦労しないと皆が言う。



 それは正しい。けれどもそれはやりたいことを見つけられる人間の言葉だ。



 私はいつそれが分かる?



 良いなと思った所にも悪いところはあって、悪くないと感じた場所は未来が見えない。そう自分が生きていく未来が見えない。



 浮わついている。地に足が付いていない。



 私は見た。合格出来ずに泣いてしまう人を。そんな人達から私が奪って良いのか。




 私にはーーーーーーーーーーーー分からない。












 男。ヴァンスが玄関へ向かった。酷く不愉快な音を殺しに行ったのだ。それと同時にどうしようと言う感情が濁流の如く押し寄せてくる。



 彼が本を読んでいる間は、なにも起こらなかった。けれどもこれからどうなるかは分からない。言い様の無い漠然とした不安が心を満たす。



「素晴らしくごちゃごちゃとした香りだね、最高だ」



 ヴァンスは嬉しそうにピザの箱とハンバーガーの入った紙袋を両手で抱えながら戻ってきた。



「すまないね、飲み物はコーラで良いかな?」



 そう言って有無を言わさずに目の前にコーラを置く。



「あ、ありがとうございます」



 そして嬉しそうにしながらも、持ってきた食べ物達を開かずに彼は唐突に言った。



「さて、君の話を聞こうか」



 私を見た。



「ネル君。君はいくつで、どうして夜に徘徊して居たのかな?」



 ただ家出をしていたから。言葉にすれば単純だ。でもどうしてと言う理由を聞かれたくない。でも言わされるのだろう。恐怖と焦りで頭が考える事を拒否している。それでもなにか良い回答を考えて、考えて、考えて。なにも出なかった。



 そうして少しの沈黙が流れた。それでも彼は身動ぎ一つせずこちらを見ていた。






「…家出をしていたからです」



 結局そう言うしかなかった。



 瞬間。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!


 優しい家族から家出をしている罪悪感とそれを責められるのが堪らなく怖い!長い長い沈黙が刻一刻と自分を殺そうとーーーー。



「あぁ、なんだ。それだけか」



「誰かに命を狙われている。とかではないなら良い」



 男は安心したように言った。



 だからなぜか訊ねてしまった。聞かなければよかったと後悔しながら

口は勝手に言葉を投げた。



「なにも聞かないんですか?」



「言いたくないなら言わなくても良い。子供が家出するのは私たち大人が不甲斐ないって事だからね。不甲斐ない大人に言いたくないと言うのは理解できる。もしネル君が、私に言っても良いな。と思った時以外は言わなくても良い」



 彼は優しく、それと同じぐらいに私に興味がないように感じれた、が。



「ただし、勘違いはしなくでくれ。私は君が助けて欲しいって言うなら手を貸しても良い。大人としての責任みたいなものだ。それに聞きたいことがあったら、私で良いなら何でも答えてあげよう。そう「なんでも」だ」



 彼は私に興味がない訳じゃなく。裁量権をくれたのだ。とても優しくて、けれどもやっぱり変な人だなぁと思った。



「さてお腹が空いてるのは分かってるよ。君が居るから色々つまみ食い出来ると思って調子に乗った。食べるのを手伝って貰えるか?」



 彼は「手伝って」と言った。優しすぎる。



「分かりました。ありがとうございます」



 目の前でハーフのピザが四枚並んでいるのはなんとも。空腹な私には耐えられないらしい。自分だけに分かるように静かにお腹が自己主張をした。



 恥ずかしいと感じた。それは自分の嘘がバレていたからと言うことにしてジャンクフードを食べた。



「いただきます」



 それにしても量が多くないだろうか?






「ぐぇぇぇ…食いすぎた。君は思ったより少食なんだね」



 案の定、量は多かったようで死にそうな顔で失敗した~とバテている。



「いえ、はい。すみません」



 つい謝ってしまう。



 するとヴァンスはやれやれと言う顔をして



「こら、謝るな。謝ってしまったら、君が間違っていた事になるだろう、責任取らされてクビにされてしまうよ」



「良いかい?まず事実確認だ、自分に落ち度がないなら丁寧にお帰り願え」



「なら私が食べないから、そうなったのだから今回は私が悪いのでは?」



 するとなにが可笑しいのか、ヴァンスは楽しそうに笑いながら。



「違うね。最初に私は言っただろう?調子に乗ったから「手伝ってくれ」ってね。君はそれに答えた、そしてしっかり食べた。それでも量が多かったのは私が「調子に乗った」からだ。そして君は手伝ってやった側だ、つまり偉い側になる。どうして手伝ってくれた人に「お前が悪い」と言えるだろうか?」



 ぐぅの音も出ない理論、良い反論が浮かばない。でも、正直。



「君が意識しているのは遠慮や後ろ暗い感情だろう?」


 ドスンと心臓が強く唸る。



「下らないーーーとは言えないな。なにせお金だの、追い出されないかだの、不安と恐怖に遠慮とを混ぜた卑屈な考えだ。それから出力される言葉は歪んでしまう、相手の不興を買いたくないとね。それはまぁ仕方ない、なにせ今は怖いことをしているんだからね。君は正しく自分を下げている」



 見透かされた。自分が言葉に出来ない物をハッキリと突き付けられた。とても惨めで悔しくて、泣きそうになる。



「だからもう一度言う。私は大人で君は子供だ。大人が頼りないのは分かるさ、だからこそ君には自分で見てから考えるように言っただろう」



 私は静かに「はい」と小さく頷く



「私と君は対等だ。お金だのは気にしなくても良い。少なくとも後ろ暗い感情を感じれるだけの良い子だからね。この家から出ていけとも言わない。だから、「対等に目を見て話せ」」



 無意識に目を逸らしていた。心ここに在らずを彼は許さない。



 改めて彼を見た。そうするとヴァンスは嬉しそうに笑った。



「うむ。良い良い。人と話すときは目で語れって偉い人も言っていたしね」




「さて、ネル君。君は本を読むのが好きかい?」



 私と彼は改めて会話を始めた。取り留めもない、明日には忘れてしまいそうな話から。下らないけれども忘れられないような、厄介な話まで。ぎこちないペースだったがいつの間にか、まるで友だちの様に屈託ない笑顔で話をした。








 ヴァンスは静かに本を読んでいた。音一つ立てずに静かに気を遣って本を読む。集中出来るのかと言う話になるが、彼は元々本を読むのに集中などしていない。だが、内容に興味がないと言う訳でもない。



 一言で言うと彼は異常なのだ。集中力の持つ限りにおいて彼は全てを先読みできる。そう先の展開が分かってしまうだ。1を見れば10を理解できる天才が居るように、1を見て無理数に届く異常者も居る。それがヴァンスだ。



 故にヴァンスは決して本を読むのに集中しない。集中してしっかり読んでしまうと本の文字が減ってしまうからだ。だからヴァンスはぼんやりと読むのだ、言葉だけを理解できるように。それ以上を理解しないように。本を楽しむ為にヴァンスは集中しない。



 そうして普段ぼんやりと読んでいるが、今回は少し違う。



 なぜなら彼女、ネルが寝ているから。



 そう今はこの家出娘のことが頭の中の大部分を閉めていた。



 昨日の夜から寝てる様子はない。もし寝れる奴なら、そんなに怯えるような言葉を使わないはずだ。それに上手い言い訳が出てきてないため、家出に手慣れている様にも見えない。



 家出をしたのもここ数日だろう。もしかしたら初めて他人の家に上がり込んだ気さえする。いや多分そうだ。



 眠そうな彼女に無理やりベッドを使わせて寝させたが、彼女の性格上、安らぎは得られないだろう。



 ならばせめて起こさないように。と考えてヴァンスは静かに本を読んでいた。


 

  


ーーーーー夜は冬が積もっていたーーーーー




 あぁ…良かった。昨日は降らなくて本当に良かった。





ーーーーーしんしんと夜が深けていくーーーーー


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