第53話 未来の英雄の演説
そうして、あっという間に演説当日になった。
場所は王都の劇場だ。
開始二時間前にログインした私は、一人で劇場へと足を運んだ。トーラスさんたちとは現地集合の約束だ。
劇場の中は、以前ネットで見たことのあるレトロな映画館を思わせる作りだった。
売店もあって、軽食や果実ジュースを販売している。
知らない場所なのに、なぜか懐かしく感じる。こういうの、ノスタルジーっていうのかな。
私はゆっくりと劇場内を歩く。プレイヤーもNPCの姿もない。
事前に段取りは整っているけど、場所を貸してもらうのだし、挨拶しておいた方がいいかと思い、私は支配人室のドアをノックし「エーデルシュタインです」と名乗った。
「どうぞ」という女性の声が返ってきた。
「失礼します」
ドアを開けて中に入る。
「まあ、あなたでしたか。お久しぶりですね」
「ああ! あのときの」
机で帳簿らしきものをつけていた女性には見覚えがあった。
王都へと向かう途中、野盗に襲われていたNPCの貴婦人だ。以前と違って、頭の上にコルテーゼという名前が見える。
そうだ。そういえば、フルーメさんが言ってたな。烈日の首飾りを競り落とした女性は劇場を経営してるって。
「まさか、息子と私の恩人がいま話題のエーデルシュタインさんだったなんて、驚きました」
コルテーゼさんはそう言って、品のいい微笑みを浮かべた。
「驚いたのは私もです。コルテーゼさんがこの劇場の支配人だったなんて。息子さんはお元気ですか」
「ええ、おかげさまで。――改めてお礼を言わせてください。ご自身も大変なときだったのに、私たちを助けていただき、ありがとうございました」
そんな大層なものじゃない。私は小さく首を横に振る。
「私はただ、自分がしたいように行動しただけです」
使命感や正義感なんてものは、私とは無縁だと思う。後悔したくないから助けに飛び出しただけだ。
「そうですか。エーデさんは、まっすぐな方なのですね」
どうかなぁ。けっこううねうねしてる気がするけど。
私は曖昧な笑みを浮かべた。
「そうだ。お礼と言えば、今日は劇場を貸していただき、ありがとうございます」
「お気になさらず。未来の英雄の演説、私も楽しみにしてますよ」
英雄ときたか。これはまたプレッシャーだな。
支配人室を出た私は楽屋に移動した。テーブルの上には水差しと焼き菓子の入ったお皿が乗っている。
コルテーゼさんからご自由にどうぞと言われていたので、私はクッキーをつまんで水を飲んだ。
甘いものを食べると気持ちが落ち着くのは、仮想世界でも同じだ。こっちでは気の持ちようなんだろうけど。
さて、準備しておくか。
私はインベントリをいじると、『夜会のドレス(赤)』に着替えた。烈日の首飾りは色がかぶるので外す。
私は部屋の隅にある姿見の前に立った。
このドレス、防具屋ではなく服屋で購入したもので、防御力は皆無だけどデザインはおしゃれだ。
もちろん、私が選んだものではない。アルバートさんの知り合いの女性プレイヤーに見立ててもらった。アパレルショップで働いている店員さんということで、さすがの見立てだと思う。ほんと、アルバートさんは顔が広い。
ドレスなんて着るのは初めてなので、ちょっと落ち着かない。高校の制服のスカートより丈は長いけど、こちらの方が恥ずかしい気がする。着慣れない服だからかな。たぶん、リアルでは今後一生着る機会はないと思う。
いや、友人の結婚式とか?
私の頭に浮かんだのは、平瀬さんだった。ウエディングドレスでも白無垢でも、どっちでも似合うだろうな。
「ユーリさん、早いね」
ほどなくして、トーラスさんやイシダさん、アルバートさんがやってきた。大舞台に立つ前に見慣れた顔ぶれを見ると、安心する。
「そのドレス、よく似合ってますね。赤色が映えてます」
「そ、そうかな?」
イシダさんに褒められて、私ははにかんだ。褒められたのはアバターだけど、胸の辺りがほんわりする。
「ユーリさんは、なにを着ても似合うけどね」
トーラスさんが、なぜか面白くなさそうに言った。イシダさんは苦笑して「そうですね」とうなずく。
「調子はどうだい」
アルバートさんに問われ、私は鳩尾の辺りを軽く叩いてみせた。
「問題ないです」
「そいつは頼もしいな」
「カンペは使いますけどね」
「まあ、とちるよりはいいさ」
それから、みんなで話をしていると、楽屋のドアが開いた。
「そろそろ時間です」
執事みたいな格好をしたNPCが、時間を知らせに来てくれたようだ。
「よし、移動するか。こっちだ」
アルバートさんの先導で、私たちは舞台袖へと向かう。
アルバートさんって、やっぱり面倒見がいい。
劇場側のNPCとの調整も引き受けてくれたし、知り合いを通してプレイヤーたちに宣伝もしてくれた。彼がいなかったら、こうして演説にこぎ着けるまでもっと苦戦していたに違いない。
私は事前に渡されていた緑色のブローチを胸元に着ける。風の魔法がかかっていて、声を増幅してくれるアイテムだ。要はピンマイクみたいなものだろう。
さあ、いよいよだ。みんなとの会話でほぐれたはずの緊張感がぶり返してきた。
「僕たちはここにいるからね」
そう言うトーラスさんにうなずいてみせて、私は舞台に進み出た。ふわふわと足下がおぼつかない。雲の上を歩いているみたいで、現実感がなかった。
舞台の真ん中当たりで足を止める。客席は8割くらい埋まっていた。つまり、およそ800人か。
1000人には満たないにしても、気の遠くなるような人数なのに変わりはない。通っている高校の全生徒より多いし。
客席のざわめきは、私の登場と共に静まった。
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