第44話 私が二十歳になったら

「まさか、ミノタウロスだったとは」

 大きなテーブルの上に置かれた斧を見たフルーメさんは、眉をしかめて言った。

 フルーメ宅、私とトーラスさんは再び応接室に通されていた。

 イシダさんとは打ち上げの後に別れている。せっかくなので、フレンドになってもらった。助けが必要なときは手伝ってくれるそうだ。

「ミノタウロスをご存じなんですか?」

 トーラスさんの問いに、フルーメさんは首肯する。

「いまでは知る者も少なくなりましたが、伝説の怪物です」

 知っているのは長生きしているエルフ故、なのかな。

「ミノタウロスは、遺跡地下のさらに奥の迷宮に封じられていたみたいでした」

「奥に? どうやら、詳しく調べる必要があるみたいですね。あなたがおっしゃる魔族の胎動といい、一体何が起きているのか……。悪い予感がします」

 腕組みをしたフルーメさんは思案顔になる。

 悪い予感か。わかりやすいフラグを立てないでほしい。

 といっても魔族はすでに出現してるし、なんなら魔王も出てきたんだけどね。そっちは黙っていた方が良さそうだ。どう考えても私個人を狙っていたし。

「それで、あの、指輪は……」

 私が切り出すと、フルーメさんは「そうでしたね。少々お待ちください」と立ち上がった。

 ややあって、フルーメさんは手に小さなケースを持って戻ってきた。

 ふと、ドラマで見た、男性が女性に指輪を差し出してプロポーズする場面を思い出す。

 あんなプロポーズ、現実であるんだろうか。

 結婚どころか、私は自分が告白される場面を想像することができない。

 されたら、うれしいのかな。わからないや。

「どうぞ、ご確認を」

 フルーメさんの声で、私は我に返る。

 差し出されたケースを受け取り、蓋を開けた。

 中に入っていたのは黒い石があしらわれた指輪だ。きれいに磨かれているが、何の変哲もない石に見える。

 私はアイテムの説明を確認した。


『クライノート家の指輪』

 トリューマの貴族であるクライノート家に代々伝わる指輪。星炎石せいえんせきがあしらわれている。


 説明はシンプルだけど、探していた指輪で間違いない。

「特定の人にだけ反応する鉱石なんだよね」

 トーラスさんが興味深そうに指輪を眺めながら言う。

 私は真銀の手甲を外すと、試しに指輪を左手の人差し指にはめてみた。石の色は変わらない。

「特に変化はないみたい」

 偽物ではないと思うけど。

「魔力を注いでみてください」

 フルーメさんが言った。

「魔力……」

 魔力操作するみたいな感じでいいのかな。

 私は指輪をはめた人差し指に意識を集中した。

「――わ」

 すると、黒い石が燃えるように青白く輝きだした。

 私はしばし見とれた。きれいだ。

「あなたがトリューマの貴族というのは間違いないようだ」

 フルーメさんは納得したようにうなずく。

「これで証明になるんですか?」

「ええ、なりますね。ある程度知識がある者ならすぐにわかります」

 あの門番たちに見せたら通してくれるのだろうか。まあ、とにかく試してみよう。

「ありがとうございます」

 私は指輪を外してインベントリに格納した。今度は手放さないぞ。

「礼を言うのはこちらの方です。おかげで有益な情報が得られました」

 そう言って、フルーメさんは頭を下げた。

「お役に立てて何よりです」

「これから先、何か困ることがあったら遠慮なく言ってください。できる限り協力させていただきますよ」

「ええ。では、よしなに」

 私はできる限り優雅に聞こえるように言った。

 よしなに、って、一回使ってみたかったんだよね。お嬢様っぽいし。

 私はちらりと隣のトーラスさんの反応を伺うが、何やら考え込んでいるようで、聞いてなかったみたい。

 ……つまんないの。


 私とトーラスさんはアイネに乗って王都オルデンまでやってきた。しばらくシューレを拠点にしていたので、久しぶりな気がする。

「このまますぐ王城に行く?」

 トーラスさんに訊かれて、私は現実の時間を確認した。もうすぐ深夜0時だ。そろそろ寝ないと。これ以上は体調に響く。

「ごめん。クエストを進めたいのはやまやまなんだけど、今日は落ちるね。明日は休みで予定もないんだけど――」

「僕も。だったら、朝9時に待ち合わせしようか」

「うん。いいよ」

 いつしか、トーラスさんとは時間を合わせて一緒に遊ぶのが当たり前になった。時々単独行動もするけどね。

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 そして、私たちはログアウトする。


 アルクスVRを外した私は息を吐き出した。

 デストルークとの戦いの余韻か、身体が火照っている。心地よい疲労感があった。あれだけの強敵、アンファイでもなかなか出会えない。楽しかったな。

 しかし、ちょっとはしゃぎすぎたかも。なんだか熱っぽい。薬を飲んでおこうかな。

 私は通学に使っている鞄から、いつも持ち歩いているピルケースを取り出した。

 あまり飲み過ぎないようにはしたいんだけど、具合が悪くなるのが怖くてつい飲んでしまう。依存気味かもしれない。

 水を汲みにキッチンに行くと、テーブルでお父さんが一人晩酌をしていた。高そうなウイスキーを飲んでいる。

「びっくりした。鳴砂なずなか」

 慌ててお酒の瓶を隠そうとしたお父さんは、キッチンに入ってきたのが私と気づくと、照れくさそうに笑った。

「それ、お母さんには内緒のお酒?」

「うん。黙っていてくれると助かる」

「いいよ。共犯だね」

 私は言って、コップに水を注いだ。解熱剤を水で流し込み、お父さんの向かいの椅子を引いて座る。

「体調が悪いのか?」

 お父さんが心配そうに訊いてくる。

「ううん。ちょっと熱っぽいから、念のため」

「そうか」

「お父さんは? 眠れないの?」

「いや、別に。ただ飲みたいだけだ」

 うそだ。

 家族が寝静まった後にお父さんが一人で晩酌しているのは、大抵仕事で何かあったときだ。

 商社に勤めるお父さんは出張が多く、家を空けることが多い。詳細は話してくれないけど、大変な仕事なのだろうと思う。

「話、聞くだけなら聞くよ」

 私が言うと、お父さんは苦笑した。

「スナックのママみたいだな」

「そうなの? よく知らないけど」

「行ったことがないから、僕も知らん。が、いまの鳴砂がなんかそんな雰囲気っぽかった」

「なにそれ。ふんわりしてるね」

 そういえば、お父さんは居酒屋が苦手なのだった。

 人前でお酒を飲みたくないと以前言っていた。別に弱いわけではないのだけど、お酒は一人で飲みたいらしい。

 お父さんがお酒を飲む姿はどこか修行僧めいている。おつまみもなく、一人で黙々とグラスを傾けるのだ。

 楽しそうには見えない。何かの修行みたいだと思う。

「鳴砂も眠れないのか」

 ああ、結局『も』って言っちゃってるじゃん。こういうとこ、やっぱり私の父親なんだなって思う。うかつなところがよく似ている。

「ううん。ゲームしてて、これから寝るところ」

 私はお父さんの失言をさりげなくスルーした。

「新しいゲームか?」

「そう。RPG。フルダイブだから、アバターを思い切り動かせるの」

「楽しめているようで、よかったよ」

「……うん」

 アンファイをやめた後、私はしばらく沈んでいた。事情は話せなかったけど、家族にも心配をかけてしまった。

「ごめんね。ただでさえ身体のことで迷惑をかけてるのに」

 すぐに熱を出したり、入院したり。定期的な検診はかかせないし、本当、私の身体はぽんこつだ。

「迷惑だなんて絶対に思ってない。僕だけじゃなくて、家族みんなだぞ」

 お父さんは力強く断言した。

 私は黙って水を一口飲む。

「――お父さんはさ、男でよかったとか、逆に男で損したとか思ったこと、ある?」

 ふと気づいたら、私はそんなことを尋ねていた。急にどうしたと不審がられるだろうか。

 が、お父さんは気にした様子もなく、「あるとも」とうなずいた。

 なんだろう。

「あれは中学生だった。体育の授業で股間にサッカーボールが直撃したときは、心底男であることを恨んだよ。間違いなく人生で五本の指に入る痛さだったな」

 身構えていた私は脱力した。もっと深刻な話かと思ったのに。

「そういうんじゃなくて。いや、それも含まれるの……?」

 古址こしくんがフルダイブで生理痛を体験したみたいに、そのうち男性の股間の痛みもフルダイブで再現できるようになったり……しないか。

「まあ、俺は特に意識してないかな。環境に恵まれているんだろう」

「環境か……」

「どうした。父さんでよければ、話を聞くぞ」

「古い喫茶店のマスターみたいだね」

「そうか?」

「うん。行ったことないけど、そんな雰囲気を醸し出してた」

 私はさっきのお父さんの真似をして言った。

「渋いってことだな」

 お父さんはまんざらでもなさそうに笑う。

「かもね」

 私はコップの水を飲み干して、席を立った。

「とにかく、私は大丈夫だから」

「遠慮するなよ。僕に話しづらいなら、母さんに相談してもいい」

 お父さんは真剣な顔で言った。心配をかけたようだ。ミスったな。話題の選択がよくなかった。

「そうだね。――ところでお父さん、お酒って、おいしい?」

 このままだと私のせいでお父さんがさらに眠れなくなりそうなので、話を逸らすことにした。

「おいしいよ。……いや待て、鳴砂が飲むのはまだ早いぞ」

「飲まないよ。――でも、私が二十歳はたちになったら、お父さんと一緒に飲んでもいい?」

 お父さんは一瞬虚を突かれた顔になって、それから、

「――ああ、もちろん」と、笑った。私も微笑みを返す。

「よかった。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 それから私は歯を磨いて、ベッドに入った。

 

 明日はいよいよ王城だ。

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