第37話 たとえ設定だとわかっていても
私は両手で斧を拾い上げた。ずしりと重く、持つだけで精一杯だ。母親がネット通販で買った激痩せダンベルセット(トレーニングDVD付き)でもここまで重くなかった。
「その斧はユーリさんたちが持って行ってください」
イシダさんが言った。
「いいんですか?」
「ええ。私は、報酬としてアイネさんをもふらせてもらいますから」
「約束だからね。好きにするといいさ」
アイネはちょこんと前足を揃えてお座りする。
「では、遠慮なく!」
イシダさんはアイネの身体に倒れ込むようにして顔を埋めた。
「ううむ。素晴らしい。絹のようになめらかながら、しっとりと吸い付くような感触。唯一無二です!」
なんか食レポみたいなのが始まったぞ。
「ああ、幸せだなぁ……」
「肉球はいいのかい」
「ぜひぜひ!」
肉球をもみつつ、イシダさんは至福の表情を浮かべている。しばらくそっとしておこう。
私はインベントリに『ミノタウロスの斧』を収納した。
一気に重量が増える。重量制限ぎりぎりだ。これ以上アイテムを収納すると移動速度が落ちる。
力と体力が増えれば持てる重量も増加するんだけど、私の場合はなかなか難しい。
「ねえ、ユーリさん、あれ」
トーラスさんが大広間の奥の壁を指さした。
見れば、壁の一部が崩れている。近づいて確認すると、塞がれていた跡があった。
壁の向こうには空間が広がっている。壁で複雑に区切られた、これは迷路だろうか。
「――ラビュリントス」
トーラスさんが呟く。聞き覚えがある。
「それって、ギリシア神話でミノタウロスが閉じ込められていた迷宮のこと?」
「そうだね。クレタ島のミノス王がダイダロスに命じて作らせたんだ。そして、閉じ込めたミノタウロスをなだめるために、王は定期的に生贄を送り込んだ」
トーラスさんはかがみ込むと、床の一部をさする。
「これ、見ようによってはお皿に見えない?」
円形の模様が刻まれている。ちょうど子ども一人が乗るくらいの大きさだ。
「見えるかも。……ってことは」
「うん。ここでも、かつて生贄が捧げられていたのかもしれない」
「…………」
ゲームとはいえ、ぞっとしない。たとえ『設定』だとわかっていても。
トーラスさんは続ける。
「そしていつしかミノタウロスは神格化された、とか」
「ああ、だから神殿なのか」
「ミノタウロスを完全に封印するっていう目的もあったのかもね。迷宮の上にさらに神殿を作ってさ」
「だとしたら、どうして封印が解けたの?」
私は崩れた壁に目を向ける。ミノタウロスが力任せに壊したようには見えない。自然に崩れたって感じがするけど――。
「経年劣化っぽいけど、違うと思う。ファンタジーなんだから、魔法の封印が何かの弾みで解けたのかも。あるいは、誰かが意図的に解いたのか」
壁を見つめながらトーラスさんが呟く。
「誰かって――」
ふと、オープニングで戦った魔族の姿が思い浮かんだ。
「魔族出現と関係があってもおかしくないね」
私の思考を読んだかのように、トーラスさんが小声で言った。
やっぱり、メインクエスト絡みか?
「この先って、新しいダンジョンだったりするんですかね」
不意に、後ろから声がして私は飛び上がりそうになった。
イシダさんだ。
私たち越しに、崩れた壁の向こうを興味深そうに眺めている。アイネはと見れば、疲れた顔で香箱を作っていた。
イシダさんにもふり倒されたのだろう。お疲れさま。
猫用おやつの『ぢゅ~る』がこっちでも売っていたら買ってあげたい。
岩波家では猫は飼ってないけど、食いつきがいいと愛猫家である平瀬さんが言っていた。
「イシダさんが前に来たときには、当然崩れてなかったんですよね」
私が言うと、イシダさんはうなずいた。
「ええ。お二人が受けたっていうクエストがフラグだったんでしょうね。この遺跡からモンスターが消えて、ミノタウロスが出現するっていう」
おそらく、そうなのだろう。私たちがフルーメさんの話を聞いたことにより、メインクエストが進行したのだ。
「中を探索してみますか?」
深く突っ込まれないうちに、私は話題を変えた。イシダさんはかぶりを振る。
「いまはやめておきましょう。探索するなら万全の態勢で臨みたいです。私はともかく、お二人は大分消耗していますよね」
「そうですね」
「僕もあまりMPが残ってないです」
攻撃のたびに魔力操作を使っていたせいで、私のMPは半分以下だ。
MP回復アイテムは『飴』を除いてNPCの店では売っていない貴重品で、私もいまは飴以外持っていない。その飴にしたって、回復量は雀の涙だ。
現時点でのMP回復アイテムの入手手段は主に二つ。『調薬』スキルを使って自分で作るか、他のプレイヤーが作ったのを売ってもらうかだ。特定のモンスターが落とすこともあるけど、確率は低い。
プレイヤーが経営するお店があれば買いやすくなるんだけど、サービス開始早々にお店を開くのはまず無理だ。莫大なお金が必要だと聞いたことがある。
「ひとまず外に出ましょう」
私は言った。
「ですね」
自然回復は時間がかかるので、ここで全回復を待つくらいなら街に帰って宿に泊まった方が早いだろう。何かを食べてもいい。
そういえば、シューレの下町にある食堂のオムレツ、ふわとろでおいしいんだよね。お腹が減ってきたかも。
「と、その前に、写真を撮っておきます」
イシダさんは写真機を取り出し、崩れた壁にレンズを向けてシャッターを切った。満足そうにうなずく。
「これは特ダネの予感がしますねえ。ボスも倒せたし、シューレに戻ったら打ち上げでもしますか」
「賛成」
トーラスさんが手を上げた。
妙な偶然もあるなあと思う。今日はリアルでも打ち上げをしたばかりだ。
「だったら、私がおごっちゃいますよ」
ボス撃破の高揚感もあってか、私は強気に言った。
「お、うれしいですね。よ、お
イシダさんがはやし立てる。
「あれ、でも、ユーリさん。ここに来る前の買い物でお金ほとんど使ったんじゃ……」
盛り上がった気分が一瞬で冷えた。
「……あ。いやでも待って。ミノタウロス倒したし」
私は慌ててメニューを開いた。所持金を確認する。
「全然増えてない……」
このゲーム、人型のエネミー以外は倒してもお金を落とさないのだ。ボスも例外ではない。
そして、ミノタウロスはモンスター寄りだったらしい。まあ、そうか……。
「ドロップアイテムも、斧以外はないみたいですね」
お金の代わりに、モンスターは素材などのアイテムを落とす。中には高額で売れる物もあるのだが、今回の斧は売るわけにはいかない。星炎石の指輪の悲劇はもう繰り返さないぞ。
「割り勘にしましょう」
イシダさんが微笑んで言った。やさしさが染みる。
「
どうにも締まらない。
私は肩を落として遺跡を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます