第31話 お礼を言うのは私の方なんだよ

 今日の授業がすべて終わり、放課後になった。

 教科書やノート、タブレットをスクールバッグに入れて、帰ろうと立ち上がった私を、隣の席の古址こしくんが「岩波いわなみさん、ちょっといいかな」と呼び止めた。

「ん? なに?」

「お願いがあるんだ」

 改まった古址くんの顔に、一体何事かと私は身を固くした。なんだろう。見当もつかない。

「俺に、勉強を教えてほしい」

 そう言って、古址くんは頭を下げた。

「――は? え? 勉強?」

 予想外のお願いに、私は意味もなく左右を見渡した。

「そう。ほら、中間テストが近いでしょ」

 顔を上げた古址くんは言う。

「そうだね」

 だから私もFLOをちょっと我慢して勉強する予定なのだ。

「で、俺は勉強が苦手。岩波さんは勉強が得意。そこから導き出される結論は一つ」

 いやそんな、名探偵みたいな顔をされても。

「……得意ってほどではないけど、古址くんが言いたいことはわかったよ」

 古址くんの人脈だったら、私より適任がたくさんいそうだけど。なんで私なんだろう。

 ふと教室を見ると、残っている生徒たちがそれとなくこちらの様子をうかがっていた。

 ひょっとして、これは古址くんに気を遣われているのかな。クラスに溶け込めるようにって。

 クラスの中心人物の一人である古址くんと仲良くなれば、必然的にクラスメイトとの接点も増える。

 でも、古址くんってそういう打算的な人じゃない気がする。彼は、決して押しつけがましくないから。

「だったら、私も教えてほしい」

 どう答えるべきか困っていると、前の席の平瀬ひらせさんが言った。またもや予想外だ。

「え。平瀬さん、勉強得意でしょ」

 廊下に貼り出される定期テストや模試の順位表では、平瀬さんはいつも上位に名前がある。

「……国語が苦手なの。岩波さん、国語の成績いいから。一年のとき、テストで現国の先生に褒められてたし。あの、教科書に載ってた小説の続きを考えろっていうの。芥川龍之介の『羅生門』」

「――あー。あったね、そういえば」

 よく覚えてるなあと感心する。平瀬さんに言われるまで、私は忘れていた。

 芥川龍之介の『羅生門』。物語の最後で消えた下人がその後どうなったか考えろという問題だった。

 私は、下人が盗賊の親分になって好き勝手するという話をこしらえた。よく考えなくても芥川に失礼なのだが、先生の受けはよかった。

「え、マジ? それ、俺も読んでみたい。俺、小説も好きなんだよね」

 古址くんが食いついた。

「どっかにやっちゃったから、もうないよ」

 仮にあったとしても、見せるのは絶対恥ずかしい。

「そっか。それは残念」

「古址くんはどんな小説が好きなの?」

「時代小説。親の影響だね。俺の名前は、新選組の近藤こんどういさみからなんだ」

「そうなんだ」

「俺は土方ひじかた歳三としぞうが推しなんだけどね」

「私は沖田おきた総司そうじだね」

「あー。わかるわ。かっこいいもんね。三段突き」

 古址くんはうなずく。

「そうそう!」

 病気なのに強いって、すごいなって思う。きっと精神力も強かったのだろう。見習いたい。

「――それで岩波さん、勉強の件なんだけど」

 平瀬さんが若干寂しそうに言った。

 置き去りにしてしまっていたようだ。

 どうしたものかと私はお腹をさする。

 古址くんには昨日のカイロの恩がある。平瀬さんは……古址くんと私が一緒に勉強をするのがいやなのかもしれない。

 気を利かせて、だったら平瀬さんが古址くんに勉強を教えたらと提案すべきか?

 いや、うーん。そこまでしたら大きなお世話か。平瀬さんは国語って言ってるし。

「――わかった」

 少し悩んだ末に、私は言った。

「じゃあ、三人一緒にテスト勉強しよう。わからないところがあったら、私にできる範囲で教える。どう?」

「よかった」「ありがとう」

 古址くんと平瀬さんは素敵な笑顔を見せてくれた。まばゆくて浄化されそうだ。引き受けたのはいいけど、最後までもつかな、私。



「ユーリさん、何かいいことでもあった?」

 その夜、FLOにログインして雑木林でキノコを狩っていると、トーラスさんが言った。

「? どうして」

「なんか、動きのキレがいいから」

 言われてみれば、今日の狩りは順調だ。30分で韋駄天いだてんキノコを二体(二本?)仕留めた。

 フルダイブ中によく動くためにはイメージが重要と言われる。我知らず、リアルの精神状態がこっちに作用していたのかもしれない。

「だとしたら、あれかも。学校でクラスメイトに頼られた? のが嬉しかったのかな」

 隠すこともない気がして、私ははっきり学校と口にした。

「疑問形?」

「もしかしたら、気を遣われたのかもしれないから」

 状況をうまく説明できず、必然的に言葉足らずになった。

「――学校でのユーリさんがどんなかは知らないけど、そのクラスメイトは本気で頼ったんだと思うよ」

 まるで確信のあるような言い方だった。

 どうしてそう言えるんだろうと不思議に思っていると、トーラスさんはにこりと笑って続けた。

「だって、ユーリさんは面倒見がいいから。僕のことも放り出さなかったし」

「……あ」

 そういうことね。

 私は思わず目をそらした。真っ正面から言われると、照れてしまう。

「三体目、見つかったよ」

 ちょうどいいタイミングでアイネから声がかかった。

「いま行く!」

「僕も、ユーリさんには感謝してるんだ」

 ぽつりと、私の背中にトーラスさんが声をかける。

「……それを言うなら、私だって」

 私は小声で呟いた。

「え?」

「なんでもない。さ、行こう」

 いままでの私は、自分のことばかりだった。ソロ重視で、パーティプレイでの連携なんてろくに考えもしなかった。

 だって、ひとりの方が楽だから。

 ゲームは楽しみたいけど、余計な人間関係は抱えたくなかった。そういうのはアンファイで懲りたから。

 だったら一人用ゲームでもやってろよと言われたらそれまでなのだが、FLOは遊んでみたかった。

 FLOを始めたのも、エーデを操作するって決めたことも、正しかったかどうかはわからない。

 でも、楽しい。それは揺るぎのない事実だった。

 一人のときでも楽しかったけど、他の誰かと冒険するFLOの世界は一層魅力的だ。

 そして、その魅力に気づかせてくれたのは、トーラスさんだ。

 だから、と私は思う。

 お礼を言うのは私の方なんだよ。トーラスさん。

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