第20話 タフでなければ生きていけない

 月曜日の朝、私は重たい身体を引きずるようにして登校した。

 お腹と頭が痛い。昨日から予兆があったんだけど、生理が始まってしまった。

 子どもを産めるかどうかわからない私の身体でも、つきのものは毎月律儀にやってくる。

 生きているって実感はあるけど、しんどいことはしんどい。

 にしても、FLOでの身軽な私とは大違いだ。電車じゃなくてアイネに乗って通学できたら楽だろうなと思ってしまう。

 私の身体の事情を斟酌しんしゃくしてくれる私立高校に受かったはいいけど、家から少し遠いのは、こういうときに厳しい。仕事の都合上、両親のどっちかに車を出してもらうのも悪いし。

 

 どうにか学校に到着した私は、平静を装って自分の席に着いた。

 だるい。痛みがひどくなってる気がする。強めの鎮痛剤、飲んだんだけどな。

 机に突っ伏したいけど、それだといかにも具合が悪いですって感じでいやだ。病人扱いはされたくない。


 遡ること約一ヶ月前。高校二年に進級して早々に体調を崩した私は、精密検査を兼ねた入院をすることになり、一週間ほど学校を休む羽目になった。

 そして、それがきっかけで、私はクラスメイト全員からなんとなく気を遣われるようになってしまった。

 強く触ったら、バラバラになってしまう壊れ物を扱うような感じで。


 そんなこんなで五月も中旬にさしかかったが、私に友達ができる気配はない。

 退院して、ようやく登校できた教室ではすでにいくつかのグループが構成されていて、私は完全にあぶれてしまった。

 一年生のときにそこそこ仲がよかったクラスメイトは、クラスが別れたら疎遠になった。自然消滅ってやつだ。

 ……寂しくはないよ、うん。

「おはよう、岩波いわなみさん」

 登校してきて、私の隣の席に座った古址こしくんが言った。

 古址くんの下の名前はいさみ。いつも爽やかで、アイドルみたいな容姿の男子だ。人当たりもよく、男女問わず人気がある。

 ゴールデンウィークの連休明けの席替えでお隣さんになったのをきっかけに、私は彼と話すようになった。

 といっても、挨拶や軽い雑談くらいだ。

「おはよう、古址くん」

 私は挨拶を返す。

「岩波さん、具合でも悪い?」

 古址くんは私の目を見つめて言った。

 なんで私の体調を気にするんだろ。いつもと同じようにしてるのに。

「私は大抵こんなんだよ」

 私は曖昧な笑みを浮かべた。

 体調が悪いのはできるだけ隠したい。人に気遣われると申し訳なくなる。それに、いつもこんなんというのはまるっきりのうそでもない。

 絶好調! っていう状態は、私にとって垂涎すいぜんのレアアイテムと同義だ。熱っぽかったり、身体が重ったるいといった些細な不調は日常茶飯事だから。

「そう? いつにもましてだるそうだけど。何かあった?」

 古址くんの爽やかさがまぶしかった。

 人との会話はエネルギーのやりとりだと思う。申し訳ないけど、いまの私では古址くんのきらきらしたエネルギーを受け止めきれない。

 なにより、クラスの人気者男子と会話を続けるのは危険を伴う。余計なやっかみを引き寄せるのは勘弁だ。

 会話を無理矢理終わらせたくて、私は小声で「……つきのもの」と伝えた。

 途端、罪悪感に襲われた。

 ごめんね古址くん。

 こんな手段を使うのは初めてだけど、男子はこれで大抵引くはずだ。察しのいい古址くんなら、なおさら。

 自虐じぎゃく韜晦とうかいを織り交ぜて煙に巻けたら誰も傷つかないのだろうけど、私にはそんな技量はない。

 ともかく、これで会話も終わるはずだ。

 私は前に向き直ろうとした。しかし――。

「だったら、確かこの中に――あった」

 古址くんは自分のスクールバッグを漁ると、中から未開封の使い捨てカイロを取り出した。

 なにゆえカイロ?

「冬に突っ込んだのが残っててよかった。お腹を温めるといいんだよね。どうぞ」

 古址くんは私に使い捨てカイロを差し出す。

 そういうことか。

 私は素直に「……ありがとう」と礼を言って受け取った。貼るタイプのカイロだ。

 袋を破ってシールを剥がす。制服の中に手を突っ込み、キャミソールの上に貼り付ける。

 すぐにじんわりとお腹が温かくなった。少し楽になる。

「なんか、対応が慣れてるね。彼女?」と返すだけの余裕も生まれた。

「彼女なんていないよ。妹。毎月しんどいって言ってる。機嫌も悪くなるから、びくびくしてるよ」

「そうなんだ」

 妹が兄にそんな話をするのか。古址くんの家は、オープンな家庭なのかな。

 家族でも、父親や男兄弟には言いたくないっていう女子は多いと思う。

 私も、母親ならともかく、父親と弟には言いたくない。

「でさ、妹にせっつかれて、フルダイブ型のアプリで体験したんだ」

 古址くんはお腹をさする。

「え、ほんとに?」

「ほんとほんと。怖いからいやだって抵抗したんだけど、いいから味わってみろって、半分強制でヘッドセットをかぶらされてさ」

「そのアプリ、私も知ってる。実際に使ったっていう男子は初めて見た」

 生理体験アプリという、直球ど真ん中の名前だ。

 フルダイブ型のアプリやゲームは、痛覚を意図的にカットしているものがほとんどだ。アンファイやFLOも、痛覚はない。好き好んで痛い思いをしたい人なんて、そう多くはないだろう。

 だた、中には、古址くんが体験したような痛覚を利用したアプリもある。

「尋常じゃなくきつかったよ。腹だけじゃなくて頭も痛いし。女子って大変だよね。あれを毎月って」

 周囲をさりげなく見渡し、古址くんは声を落とした。気遣いのできる人なんだなと思う。

「人によるんじゃないかな。軽い人もいるし」

 私はいつも具合が悪くなるが、元々の身体の弱さも影響していると思う。

 今日きついのは、寝不足がたたっているからだ。タイミングが悪かった。

 FLOからログアウトした時間はそんなに遅くなかったんだけど、学校の課題を忘れていて、終わらせて寝たのは深夜2時過ぎだったのだ。

「そっか。でも、大変なのに変わりはないと思うよ。――女性は毎月一週間くらいあの状態で学校に行ったり仕事に行ったりするんだよね。すごいよ」

 古址くんのやさしさが胸にじんわり染みる。

「――そうだね」

「昔遊んだRPGのキャラメイクで、女性を選ぶとステータスの生命力にプラス補正がつく、っていうのがあったんだけど、それも納得だよ」

「古址くん、ゲームするんだ」

「そこそこね。岩波さんは?」

「……私もそこそこかな」

「おはよう。岩波さん、古址くん」

 と、私の前の席に座った平瀬ひらせさんが言った。

 古址くんだけでも輝いているのに、更に場が華やいだ。

 教室の中で、ここだけがライブ会場のステージみたいだ。私はさしずめ観客か。

「おはよう」と私たちは挨拶を返す。

 平瀬ひらせ瑞枝みずえさん。良家のお嬢様という言葉を体現したような、品のいい美少女だ。

 わずかに栗色がかった長い髪に、黒真珠みたいな瞳、形のいい唇は桜色と造形に隙がない。しかもスタイルもいいときている。

 本当のエーデって、平瀬さんみたいな子なのかなと思う。

 きっと平瀬さんはケーキを包むフィルムについたクリームや、カップアイスの蓋の裏をなめたりしないのだろう。

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