《幕間》相方に捧げる鎮魂曲

 ずっとオレは、センパイに捧げるべきレクイエムを歌えないでいる。


 ある日突然、『MELA』が解散して、オレはひとりぼっちになってしまった。そんなオレを拾って、この三年間使ってくれやがったのはノイエのディソナンス研究対策室だった。

「……っは、これでいいのか?」

 今居るのも、そのディソナンス対策研究室の中の、実験室だ。薄暗い石造りの室内に、何体ものディソナンスが檻に捉えられていて、まるで拷問でもされるかのように、ギロチンのようなもので拘束され、布でぐるぐる巻きにされてもがいている。そんなディソナンスの目の前で、俺は手を向けた。

「“紅刃”」

 そう唱え、魔法でディソナンスから滲み出た血を使って本人を切り裂くと、そのディソナンスからずしゅ、ずしゅという肉体が裂ける音と共に不味そうな臭いの血がどぽどぽと流れ落ちてくる。それをオレは魔法で固め、全てタンクにぶち込んでいった。

 血が少なくなったら、傷口を下にして絞る。それでも無くなりそうなら肉体を絞る。そうやってオレがそろそろ搾り取れないとおもったときに、布の中から黄金の砂がきらきらと空中に舞うのが見えた。死んだのだ。

 何度経験しても胸糞悪い光景だ。だが、これでわかったことがあると研究者連中が嬉しそうにするもんだから、オレはそうかよ、と言うしかないのだ。



「お疲れ、イヴさん」

 自販機の横のベンチで項垂れるオレの首に冷たい感覚がした。そちらを見ると、淡蒼の髪の優男がオレにコーヒーを差し出してきた。青葉である。

「……どーも」

「ありゃ、元気ないねえ」

 彼に返事をする気力もない。オレはかしかしとプルタブをあけようとして、何度も失敗しているうちに開けるのをあきらめた。そんなオレに青葉が優しく声をかけてきた。

「……ルピナスさん、どうしちゃったんだろうね」

 びくりとオレの肩が跳ねる。その名前を聞いた瞬間、いまやらされてるグロい仕事への理不尽も、センパイがいない寂しさも、3年も経ってるのになにも進めてない自分への無力さも襲ってきて、涙腺がじわりと緩むのが分かった。

「……んなの、わかんねえし……」

「あーあ、泣いちゃった、ごめんね?」

 ぽろぽろ落ちていく涙に、青葉がハンカチを差し出してきた。いいやつだ。受け取って雫をグシグシと拭かせてもらう。

「ふたりは仕事で出会ったんでしょう? なのにこんなに思い入れがあるの、不思議だよね」

 それはオレも思っている。

 我楽団で遊び相手が足りなかったオレに、ヤオ団長とリリーホワイト団長が渡してくれたプレゼントだと思っていたくらいだ。

 彼との初任務で調子に乗り過ぎて、敵の危険すぎる挑発に乗りそうになってた俺を、歌の力でクールダウンさせてくれたのは忘れられない。

 ルピちゃんから、ルピナスさんになり、センパイになった。センパイはオレにとって、初めて尊敬したいと思った大人だった。

 なのに。

「オレ……なんか悪いことしたか……?」

「うぅん……」

 青葉は首を傾げ、自分も自販機の前に立つと何かを買って開けた。カシュという音と共に解き放たれた香りは、甘いココアのものだった。

「ルピナスさんにも事情があるんだろうけど……君に心当たりはないの?」

「ねぇよ……あったら、三年間も悩んでねぇっつーか……。……でも……」

 ずっと、今日まで悔やみながら、毎日あの時と、その前のセンパイとの会話を思い出していた。なにか変えられたことがあったか。オレが変なこと言ってなかったか。だが、正直に言うと、

「……あんまり覚えてねーんだ……。一緒にいたらお前のためにならない、みたいな話はされたんだけど……。……まあ……叱られるようなことはいっぱいしたって思う。でも、あんなふうに急に突き放されるなんて、思ってなくて……」

 そう肩を落とす俺の隣に、青葉が座る。

「ふぅん……じゃあ、君はなんにせよ、一度ルピナスさんに戻ってきてほしいんだ」

「そりゃ……!」

 オレはぼろり、と涙を落としながら、青葉に噛み付くように身を乗り出した。

「オレ、センパイとまだまだ仕事したかった! たかが一回の仕事であんなんなるなんて、全然思わなかったし、オレ、全然意味わかんねえし! もっとちゃんと理由教えてほしいってか、解散のときだって、顔もほとんど合わせらんなくて……! オレ、おれぇ……」

 泣きじゃくり、しょぼくれるオレの背中を、青葉が根気強くぽんぽんと軽く叩いてくれる。

「なんだよぉ、死んだ『MELA』へのレクイエムでも歌って見せたらよかったのかぁ……?」

 リュートを弾きながら、オレたちのために歌ってくれていたセンパイがフラッシュバックする。

「たった、五年、たった……八年なんだ」

 涙が止まらない。苦しさが蘇る。

「オレ……もうどうしたらいいのかわかんねぇよ……」

 握りしめてたオレの体温がうつって、冷たかったコーヒーが、手の中でちょっとずつぬるくなるのがわかる。そんなオレに、青葉は「レクイエムだなんて、洒落た言い回しをするね」なんて呟き、こう口にした。

「一度、ふたりで話し合った方がいいよ」

 青葉が、優しくオレにそう言った。だが、オレはいやいやをするように首を横に振る。

「無理だろ……。センパイ、オレを避けてるみたいだし……」

「うーん……君はそう思ってるんだね。でも、それは本人に聞いてみないとわからないことだ」

 オレは思わずパッと顔を上げた。

「でも……! オレはノイエで、センパイは、まだクラスィッシェの第02区域なんだろ……? どう顔合わせんだよ……!」

 ふふふ、と青葉がココアを呷り、オレが苦戦していたコーヒーを取り上げていともたやすく開けてみせた。

「お兄さんにまかせといて?」

 コーヒーが手元に帰ってきた。ずっと勝手にブラックコーヒーだと思ってたそれは、実はカフェオレだった。

「だから、レクイエムは今じゃない」

 そう、全てを見透かすかのような目で。

 オレは、それを聞いて、漸く少しだけ落ち着いた気持ちになった。

「……プルタブ」

「プルタブ?」

 青葉が首を傾げて聞き返す。

「どうあけたんだよ」

 じっとカフェオレを見ていたオレに、青葉はふふ! と笑い声をあげた。

「それはね、コツがあるんだよ。いつか教えてあげる」

 本当だろうか。嘘でもいい。

 オレがくちにしたカフェオレの甘さが本物であれば、それで。

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