《1-5》ガール・ミーツ・ドリーム
結局、ミーシャは僕の家に泊まることになった。ベッドは僕のものを使い、僕はリビングのソファで眠ることになった。
別に、それに対してなにか不満があるわけではないが、両親ともにミーシャのことを可愛がり、ミーシャもなんだかんだ楽しそうにしていたのが、変に自分のしでかしたことの大きさを際立たせていた。姉ちゃんと義兄さんがいなかったらどうなっていたことか、想像もつかない。
明日は平日だ。両親はふたりとも仕事に行くから、僕がミーシャの面倒をみないといけない。転送の準備が整うのは夕方らしいが、それまでは姉ちゃんも義兄さんもいない状態で、あのおてんばお嬢様のもとについていないといけないのだ。
「大丈夫かな……」
僕は全員が寝静まったリビングで、心を落ち着けるためにテレビで無音でどこかの水族館の水槽が映っている動画を見ながらぼやく。
「にゃにが?」
少女の声が暗がりから聞こえた。
「うわっ⁉」
驚いてそちらに目を向けると、パジャマ姿のミーシャがいた。
「な、なんで?」
「猫の獣人は基本夜行性なのよ……後でちゃんと寝るから」
そして、ミーシャは僕が座るソファにぽすんと座り、泳ぐ鯨を見ていた。
「……中々楽しませてもらってるわよ」
「え?」
隣を見ると、ミーシャは何の無理もしてないような余裕の表情で鼻を鳴らした。
「元々ノイエには来てみたかったの。お母さまもお父さまも厳しいから、隣世界に来たことが無くて」
「そう、だったんだ」
ノイエとクラスィッシェは次元の壁を挟んで隣にある世界……故に隣世界と呼ばれている。だが、それをトーンである、自力で次元の壁を通れない人格者が通ろうとすると、莫大な魔力が必要になり、手間もかかれば、時には体調も悪くなると聞く。
「……リリーホワイトの家って、どんな感じ?」
そう聞いてみると、ミーシャは蒼い瞳を画面に映し、更に青くさせた。
「静かなところよ。兄弟はいっぱいいるけど、ほとんどがお嫁やお婿にいってて、今はわたし一人だけみたいなものね。毎日先生がやってきて、魔法の勉強をするの。一日中」
なんだか想像もつかないような、教育ママの子供によくあるような、なんとも言えない不思議な感覚だ。
「そんなに勉強してるってことは、魔法とかも家のみんな強いの?」
「強いわ。でも、強くないの」
ミーシャの言葉は、僕にすこしの混乱をもたらした。
「白猫の獣人のポテンシャル自体は、強くないわ。でも、クラスィッシェでは、白猫の獣人は幸運の象徴なの。だから、昔から危険な場所に連れていかれることが多くって。自ずと生き残った白猫の獣人は強くなったわ」
そう、誇り高く胸を張る。
「わたしは、わたしのため、他人の為に生きてる。リリーホワイト家の白猫は、そうあるべきだから」
にっこりと、その言葉に偽りがないのを証明するように、ミーシャは僕に笑いかけた。
「……いいな」
その意思の強さに、僕はぽろっとそう言ってしまう。それに、ミーシャは目を丸くする。
「僕は、なにもないんだ。誇れるものも、こうありたいって目標も……どうせ、僕なんて誰かのおまけっていうか、他人がいなきゃ、なんにもできないんだ。だから、魔法もしょぼいしさ……」
身体の半分が暗がりになっているミーシャに、僕はへらっと、ミーシャの笑みとは全く違う笑みを向けた。
「……君が羨ましいよ」
蒼い眼の少女は、僕をじーっと見て、怪訝そうな顔をする。
「貴方は、どんな魔法をもってるの? 教えなさいよ」
ああ、気分が悪い。こんなにすごい子に僕のしょうもない魔法を見せるなんて。そう思いながら、僕は手のひらを上に向けて、ミーシャの目の前に差し出す。
ぼう、っと、柔らかく、頼りない握りこぶし大の炎が、僕の手の上で生まれる。それはじんわりとした温かさと、読書には向かない程度の明るさだけを僕らにもたらした。
「……"触ってもやけどしない炎”。僕の魔法だよ」
その炎は、ミーシャのつややかな髪を鮮やかに彩り、光の輪をつくっているようだった。
「僕はこの魔法を……"人格”を変えたくて、君を呼び出したんだ」
白猫が僕をじぃっと見る。
魔法……己の中にある魔力を消費し、強い意思をコントロールすることにより発現する超常現象。それは、術者本人の『人格』、つまり性格に依存する。自我が強い人格者は魔法の力が強く、自我の弱い人格者は弱いのだ。
「……僕は、普通だから。こんなすごい人たちばかり生まれた家に、神主さんが先祖の家の子に生まれたのに、途轍もなく普通だからさ……どうにかして、僕も強くなりたかったんだ」
だから、悪魔召喚、なんてものに頼ってしまって、あわや大犯罪者だ。へらへら、と自嘲の笑みが漏れた。
そんな僕に、ミーシャは首を傾げる。
「たかが性格を変えたいだけで魔法陣を部屋に書くような馬鹿が、普通とは思わないけどね」
ぐさっと心臓に刺さるような一言だ。だが、その言葉の刃はじんわりと僕を温める。それは流した血の暖かさかもしれないが。
彼女は立ち上がりとことこと僕の部屋に戻っていく。その最後の瞬間、くるっと振り返り、にっこりと微笑んだ。
「他人を傷付けない魔法、わたし、嫌いじゃないわよ」
その一言だけを置いて、彼女の姿は扉にさえぎられてしまった。
鯨が、僕の横を通り過ぎていく。
■
皆が座っている教室で、僕は立たされている。時間割が告げているのは『魔法演習』。
隣の友達がかまいたちで遠くにある空き缶を切り裂き、皆から拍手をもらった。そうだ、今日はテストなんだ。自分がどれだけ魔法が使えるか、その、自我の強さの。
「次、出席番号4番、今川継護」
僕は、震える手で炎を生み出し、それを、温度計に、近付けて……。
――マジで素朴すぎてさ、あいつの魔法何回見ても忘れるわ。
ひゅ、と喉が鳴る。幻聴だ、そう思っていても耳鳴りがやまない。
――お姉さんって私設我楽団のコンダクターなんでしょ? なんで弟はあんな地味なの?
――今川継護? 知らないな、今川って調と亜音だけじゃなかったっけ?
――おい、今川調の論文見たか⁉ 高校生とはおもえねーレベル! え? お前だれ?
「ケイゴ‼」
「はっ⁉」
がばっと起きた。節々が痛む身体が、先ほどの光景が夢であったことを教えてくれた。
僕の目前にいたのは、ミーシャ・リリーホワイト。僕が拉致してきてしまった少女だ。時計を見ると、もう午前十一時だ。
「お、おはよう、リリーホワイトさん……」
「ふん」
ミーシャはくるりと踵を返し、僕が起き上がったことで出来た、まだ体温が残るソファに座ってテレビをつけた。昨日、動画を見たまま寝落ちしたからか、昨日見ていたものとは違う水族館の映像が映っていた。
僕は深々とため息を吐いて、立ち上がり、顔を洗って歯を磨いてくる。ダイニングテーブルの上には、ラップがかかったゆで卵がふたつ、小皿にのってぽつんとあった。
「パンを焼いて食べなさい、ですって。あんたのお母さまからの伝言よ」
「どうも……」
ミーシャから言われた通りにパンをトースターで焼き、マーガリンを塗って食べる。その間も、ずっとミーシャは画面の青を眺めていた。
少し気まずい沈黙を破ったのは、ミーシャの方だった。
「ケイゴ、ここに連れていきなさい」
そう、彼女は泳ぐ鮫を指さした。
「ここって、水族館?」
「そうよ。こんなに大きな魚が生きてるのは見たことないもの」
「…………」
義兄さんからの指令は、『目立たないように』だった。外に出るなとは言われていない。
「……ぼ、俺の側から離れないって約束してくれる?」
「勿論よ、わたしを誰だと思っているの?」
ミーシャはそう、ふふんと腰に手を当てた。こんなに大人しく、ちゃんとした子なのだ。迷子になんてならないだろう。
「……わかった、いいよ。東鏡駅から乗り換えて行ける水族館なら、ここから近いし」
僕がそう言うと、ミーシャはにっこりと嬉しそうに笑って、尻尾を大きくゆうらりと揺らした
*
僕らは朝御飯を食べたら家を出て、東鏡駅に向かって歩き始めた。
だが、やっぱり目立つ。僕はそれなりに後悔しながら、ミーシャから目を離さないように見張りつつ歩いていた。
ミーシャはミーシャでのんびりと散歩でもするように歩いていた。やはりこの世界にいるのが少し楽しいといった雰囲気だ。ミーシャの家のことを抜きにしても、トーンの人格者が隣世界に飛ぶには、手間も時間も、金もかかる。それは、まだ民間技術が安定していないからだと聞いたことがあった。
だが、ここですごく嫌な顔に出会った。
「お、今川じゃねえか」
クラスで派手な立ち位置の少年が三人だ。どこかに行く途中だろうか。
「や、やあ……」
少年のひとりがミーシャをじろじろと下品な目で見る。
「なんだよ、デート? かわいい~」
「マジ、今川には勿体なくね?」
まあ、それは僕も思っているから突っ込まないでほしい。ミーシャはみるみる不機嫌な顔をして僕の袖を引っ張った。
「いきましょ、ケイゴ」
「あ? いいじゃん、今川なんてほっといて、俺たちと遊ぼうぜ?」
リーダー格の少年がミーシャの肩を無理矢理組む。
「あ、おい! やめろよ!」
僕がそう引き剝がそうとした。その瞬間。
ぼこおっ!
そう、凄まじい威力で、少年の腹にミーシャの拳がめり込む。
「ぐっがあ……!」
少年が倒れ伏し、ミーシャがぱん、ぱんと自分の手を叩いて払った。少年はよろよろと起き上がり、ミーシャのことを睨みつけた。
「くっ、この猫畜生が!」
「一昨日来なさい、猿」
残りのふたりが、どっとリーダーの少年を笑う。そのふたりに「笑うなよ」と言って、三人はどこかへ行ってしまった。
「……すごいね、リリーホワイトさん……」
ミーシャは僕のことをじいっと見詰める。
「どうして」
「ん?」
僕が聞き返すと、ミーシャは呆れたように溜息を吐いた。
「どうして、自分が割り込もうとしたの? 獣人の方が、人間よりも力が強いのは常識でしょう?」
「そんなの、小さな女の子が絡まれてるんだから、当たり前じゃない……?」
僕がそう反射的に言うと、ミーシャはますます白けたような目で僕を見る。
「……でも、あんたがいたから助かったわ。ありがとう」
「……え?」
あまりにも僕がしたことは皆無だった。だが、ミーシャはすごい理由で、本気で僕に助けられたと思っていた。
「だって、あんたがいなかったら、あの子たちを殺してたわ。頭に血が昇らなくてよかった」
「……あ、はは……」
どうしよう、思ったよりこの子、短気かも。
どうか、どうかミーシャがはぐれませんように。そして、変な事件とか起こしませんように。僕は本気でそう願った。
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