《1-4》ボーイ・ミーツ・ディスティニー

 一通りの話が終わり、ファミレスを出た僕達が次に向かう先は、安価で丈夫な服が売られているファッションセンターだ。どこかに泊まる必要があるという事は、替えの服も要るだろうという判断からだ。

 一泊くらいいいんじゃ、とちょっと思ってしまったが、「いいとこの女の子に二日も同じ服着せるわけにいかんでしょ」という姉ちゃんの意見が優先された。その辺りの感覚はきっと義兄さんや僕よりも姉ちゃんのほうがミーシャに近いのだろう。ミーシャもふんふんと鼻を鳴らしながら頷いていた。

 道中の車内BGMは、運転手の義兄さんの趣味でしっとりしたクラシックになっていた。ローテンポで美しい旋律のそれを聞きながらアクセルを踏む様子は後部座席に座ることになった僕から見ても洒落ていて、軽自動車を運転しているようにも、目的地がファッションセンターであることも感じさせなかった。

 助手席に座る姉ちゃんはクラシックという高貴な音楽に精神が耐えられなかったのか、瞳を閉じてすうすう寝息を立てている。これでは助手というよりペットだ。ミーシャは相変わらず窓の外を楽しそうに見ては、ひとつひとつに「ケイゴ、あれはなに⁉」と電車やヘリコプターを指さしていた。

「いやあ、まさかリリーホワイト家の御令嬢の運転手になる日が来ようとはね。人生何が起こるかわからないよ」

 右斜めに座る義兄さんが、そう可笑しそうに肩を揺らす。僕としてはこんな出来た人間がガサツで破天荒な姉ちゃんの夫になっていること自体が“人生何が起こるかわからない”事なのだが。

「あぁそうか、俺が“今川”のお嫁さんを娶れたのも並外れた幸運だったね」

 僕の脳内を読んだかのように、義兄さんが呟く。それにミーシャが即座に反応した。

「やっぱりケイゴの家もすごいの?」

「そうさ。亜音さんと継護くんのお父さんは、神主さんのお家の血筋なんだ」

 義兄さんがそう言った瞬間、僕は思わず唇を噛んだ。父さんは魔法生物医なのだが、その適性は、神主の血筋という流れから来ている。人ならざるものとやり取りするのは得意な家系なのだ。

 僕はそれを正直に言うと複雑な気持ちでいる。父親や、母、兄に対しては、好意的な感情を持っている分……。まあ、姉は兎も角として。

 やっぱり、みんなに比べて僕は……。

 僕は無意識に、自分の目を触った。家族の……今川家の皆と同じ赤い色、同じ猛禽類のような形のその瞳は、僕に多大なるコンプレックスを抱かせていた。


――お……あれ? お前、今川調っぽい顔だけど……。あいつに弟なんていたっけ?


――亜音の弟、良い意味で普通っていうか、ね。なんか安心っていうか……あ、別に変な意味じゃないんだよ?


――いやぁ、亜音ちゃんも調くんも優秀で素晴らしいですね。継護くん、君はお姉さんとお兄さんを見習って頑張るんだよ。


 学校の先生、姉ちゃんの友達、父さんの知り合い……そんな人々から言われた言葉が胸中を支配する。

「カンヌシ……えっと、シャーマンみたいなもの?」

 そのミーシャの質問に僕はハッと回想から引きずり戻される。だが、僕じゃなくて義兄さんがそれに答えてくれた。

「あぁ、そう捉えてくれて構わないよ。でも、単なる精霊使役じゃなくて、大精霊と交渉する立場が一番近いかな」

「こうしょう……」

 こちらの世界の神と、クラスィッシェの神の概念はまた違うのかもしれない。少なくとも、ノイエの“神”と呼ばれる存在は、力が強くなりすぎて崇められるようになった魔法生物だったり、肉体を持たない、魔力を取り込んだ四大元素……精霊が大きくなった姿、大精霊だったりする。それらの力を使い、人々に利益をもたらした職が神官で、彼らの職場であり住居が神社なのだ。

 身内からすれば猛獣使いと何ら変わらない。だが、それでも僕は彼等を軽んじる発言は出来なかった。なんせ、自分がなれるかと言われたら、絶対に無理だから。

「じゃあ、ケイゴ達はどうして、その、教会? なのかしら、わかんないけど、そういう場所に住んでないのよ。神主にならないの?」

「此処の世界……というよりこの国の神主がいるのは教会じゃなくて神社ってところ。で、なんで神主じゃないのかは、継護くんのお父さんのお兄さんが、もう神主さんになっているからだよ。継護くんのお父さんは魔法生物医さんなんだ」

「へえ、じゃあ、ケイゴもアノンも、あと、シラベ? も、それなりの魔法は使えそうね」

 ぐさり。なんの意図も孕んでいないはずの言葉の刃が深く、深く突き刺さった。

 義兄さんは僕の様子に気付いたのか否か、少し苦笑して、

「まあ、血筋が発露する魔法の種類に関わるという説は最近否定されているからね。それは、人それぞれの価値観によるんじゃないかな」

 優しい言葉が、刃を更に奥に押し進めてくる。無性に叫びたい。


――俺? 俺の魔法なんて大したことねえよ。ただのエアカッターだって! こんなの、社会に出たらなんも通用しねえからさ!


 心を締め付ける友達からの慰めのことばに、思わず目をぎゅっと瞑った。

「……ケイゴ?」

 隣から、小さな声が聞こえる。ちらりとそちらを覗くと、ミーシャがどこか心配そうに僕を見ていた。

「大丈夫なの? 魔力切れ?」

 この子は、すごい。自分を見知らぬ場所に連れてきた犯人の僕が、こうして自分勝手にダメージを受けているところに声を掛けられるんだ。

 何も持ってない僕なんかとは、なにもかもが違うのだろう。

「……だいじょうぶだよ。……ありがとう、リリーホワイトさん」

「…………」

 車内に流れる交響曲が盛り上がりを見せるのと対照的に、僕の心は沈んでいく。ミーシャは、そんな僕を見て、眉間にシワをよせて唇を尖らせた。

「あぁほら、起きて亜音さん。着くよ」

 義兄さんが姉ちゃんを覚醒世界に呼び戻す声につられて外を見る。

 『ファッションセンターむらしま』と書かれた看板が少し遠くに見えた。



「可愛い~ッ!」

 店内のキッズファッションのコーナー、女児向けの服の列に囲まれている中、片隅にある試着室の前で姉ちゃんの歓声がクラッカーのように破裂した。ぎょっとしたこちらの母娘連れがこちらを見ていた。

「ちょっと、声大きいんだけど……」

「だって!」

 目の前には、濃い青のラインが襟とスカートの裾に入った、シンプルな白いセーラーワンピースを着たミーシャが居た。黄色いリボンが胸元で小さく結ばれているのも、多分オシャレなのだろう。

「うにゅ……こんな軽い服、初めて着た……」

 ミーシャはスカートを両手でつまみ、くるりくるりと右に左に回りながら、膝丈のスカートを揺らしていた。

「どう?」

「そ、そうね、これ、気に入ったわ。軽いし、動きやすい、けど……」

 確かに、更衣室の中に吊り下げられたロリータよりずっと布の数は少なく、先ほどまでの印象とは随分違うように見える。くすぐったいような笑みを浮かべて鏡の前で跳ねる様子は、どこか活発そうで、まるで僕たちの世界に普通にいる獣人の女の子みたいだ。

「お母さまに見つかったら、大目玉だわ、なんだか肌着みたいに薄くて……」

 ミーシャは心許なそうにスカートをつまみ、ひらひらとさせながら小さくつぶやいた。

「あー、でもここまで可愛く仕上がっちゃうとアクセとかが無いのが気になっちゃうわねえ」

「アクセ……アクセサリーのこと?」

 姉ちゃんが腕を組み、ううんと唸る。それにつられるように、ミーシャも首を傾げていた。その様子は、どうも僕と姉ちゃんよりもずっと姉妹らしくて変な感覚だ。

「ケイゴ!」

 少女がととと、裸足のまま、ではあるが足自体は肉球と毛皮に覆われた足のままでこちらに向かってくる。

「どう? 似合ってるって言ってもいいのよ」

 犯罪者呼ばわりした人間に対して褒めを要求するとは、この少女、中々愛され慣れている。

「うん、とってもかわいいよ」

「ふふーん!」

 ミーシャは感謝の一言もなく、姉ちゃんの方へてとてと走り寄る。

「アノン、ほかのも見たいわ!」

「そうね、似合いそうな髪飾りかなんかがあれば、それも買おうね。いやーもうお人形さんみたいでかわいい~!」

 あ、と呼び止めようとした。その誉め言葉は、獣人にとっては誉め言葉にならないかもしれないということを、この前道徳の授業で習っていた。

「ふふふふん! もっとかわいがると良いわよ」

 だが、僕の心配は勝手に空回りして、ミーシャとねえちゃんは奥の方、自分達が入れない下着コーナーの方へ歩いていってしまった。

「いや~、ファッションのことは女の子に任せるしかないからねえ。亜音さんがいてくれて助かったよ」

 すっかり荷物持ちになってしまった蜜利義兄さんがきょろきょろと辺りを見回す。

「この一帯も、一年前まではディソナンスのせいで荒地だったんだけどね」

 いやあ、よかったよかった、なんて呑気に構えている。そんな蜜利義兄さんに、ちょっとした素朴な疑問を投げかけた。

「ねえ、お義兄さん、ディソナンスってなんなの? でかいバケモンって以外知らないんだけど」

「うーん……」

 驚いた。てっきり喜び勇んで解説してくれるものかと思っていたのに。蜜利義兄さんは腕を組んで悩ましげに唸った。

「実は俺の本職は、そのディソナンスの正体を掴み、対策するっていう研究をしてるんだけどさ。これがなんなのかさっぱりなんだ! かくいう俺も“でかいバケモン”以外の情報はないと言っていい。強いて言うなら、それなりに意思はあるみたい、ってレベル」

「ふぅん……そんなのと、我楽団は戦ってんだね……特殊部隊の……MELAの人とか、大変なんじゃない? アイドルしながら戦う、みたいなさ」

「へえ、MELA知ってるの? まあ有名だもんねえ。あのふたりは別だよ、愛嬌もあれば、見目もいいし、おまけに二人揃えば並みのディソナンスだったら一度に十体は相手できるって聞くよ」

「やば……」

 そんなに強い人は、一体どんな魔法を使うんだろう。気になると同時に、自分がどれだけ普通かが頭によぎって、胸の奥がぎぢゅぎぢゅと痛んだ。

 俯き、暗い顔をしていると、そんな僕に気付いたのだろう、義兄さんが控えめに僕に声をかける。

「……継護くん、あのさ」

 その言葉は優しくて暖かかったが、僕の傷に染みすぎた。

「どれだけ強い人格を持っていても、どれだけすごい魔法を使えたとしても、人間の価値はそれだけじゃあない。君には君の、唯一無二の力があるんだよ」

――なんかさぁ、今川って、正直、魔力いらなくね?

「……うん」

 記憶の中のどこかで聞いた誰かの声が脳内に浮かんで、はあ、と今日何度目かのため息を吐いて、誰もいない遠くを見た。

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