《1-3》ボーイ・ミーツ・ディスティニー
「君がどこまで知っているかわからないから、一から十まで説明させてね。君が使った魔法……正しく言うと魔法陣は“隣世界人ランダム召喚魔法”といってね、まあその名の通り、隣世界の住人をひとり、強制的にこちらの世界に来させる魔法なんだ」
その内容はミーシャを召喚したときに本人から聞いた。僕は「し、しってます」とぎこちなく相槌を打った。
「知ってるなら、あれが“例の大戦”前に常用されていたってことも知ってる?」
「それも、ハイ」
ミーシャに聞いた。
「ふむ……じゃあ、どうしてそれが常用されていたかは?」
「え?」
どうして、と言うと、例の大戦前に、あの魔法陣がどういう意図をもって使われていたか、という事だろうか。
僕が考える時間を稼ぐためにゆっくり水を飲むと、義兄さんは苦笑して「知らないみたいだね」といちごパフェの写真に目を落とした。
「『界理的同位相』って現象のことは学校で習ってる?」
「かいりてきどういそう?」
知らない単語だ。だが、なんとなく聞き覚えはある。
「あぁ、こいつ、まだ界理習ってないのよ」
姉ちゃんがチーズに付け合わせのブロッコリーを絡めながら茶々を入れると、義兄さんは手を顎にやって感嘆を吐いた。
「そっか、あれって高校生からだっけ」
「最近中三からになったはずよ」
「ふんふん、俺達の頃より進んでるんだね」
そういう義兄さんの目はいちごパフェを通り越してチョコレートケーキに移った。
「なら……『魔法斉唱』……マギ・ユニゾンという単語ならテレビでも聞いたことあるかな?」
それは明確に聞いたことがあった。というか、ぼんやり知ってる。
「確か……隣世界に行ったら魔法の力が強くなる、みたいなこと……ですよね」
僕の言葉に、義兄さんは「ピンポーン」と明るく正解音を口にした。
「概ねその認識で問題ないよ。魔法斉唱(マギ・ユニゾン)、専門用語でいうところの界理的同位相という現象は、隣世界……ノイエの人から見たらクラスィッシェに行ったときに、ある条件を満たすことで魔法の力が五倍ほどに増大するって現象なんだ」
最近はテレビのバラエティや、国営放送などでその現象を生かした番組がまれに放映されていた。今川家は晩御飯時にテレビを付ける家庭だから、それで流し見していた記憶がある。
例えば、出身世界だと火の玉を一つしか出せない人間がいたとする。それが隣世界に行って、条件をクリアすれば一度に五つ出せるというものだ。
その条件というのが、
「……変身したら、できるってやつ」
「そう。よく知ってるね。そこまで知ってるなら話が早いや」
僕が呟くと、義兄さんは嬉しそうに解説を始めた。
「増幅回路変換(アンプリフィケーション・チェンジ)……要は変身だね。自分の周囲に存在する魔力が変質し、魔力を増幅しやすく、動かしやすい姿かたちになって、人格者……人々の見た目が変わる事。それによって引き起こされるのが魔法斉唱ってわけだ。あの召喚魔法の事を説明するにあたってこれらの理解が一番の問題だったから、事前知識があってくれてて助かった」
どこか楽しそうに話す義兄さんに、姉ちゃんはあーあと言いたげに目をぐるりと回した。
「ちょっと蜜利さん、専門用語使い過ぎよ」
「あはは、ごめんなさい。気を取り直して」
義兄さんは一瞬僕とミーシャの目を見てから、次はクレームブリュレを見詰めた。
「君は“例の大戦”についてはどれくらい知ってる?」
「あぁそれは小学生の時に習いました。えっと、細かい年数は忘れたけど、えっと……四世紀くらい前に起こった、ノイエとクラスィッシェの……すごい戦い、ですよね」
「うん、今はそれで十分。隣世界とあらゆる異種族のことについては、両世界ともに古代より認識していた。いつから交流があるかは、まだ解明されてないけどね」
きっとこの詳しい事は今年か来年くらいに習うんじゃないかな? なんて、言いながら、義兄さんはクレームブリュレとチョコパフェを見比べていた。
「今となってはどちらも一先ず平和な他種族世界だけど、大昔は違った。人間しかいないノイエ、様々な魔族が暮らすクラスィッシェ。文化の違いや各世界の中の情勢、魔法斉唱の事もあって、長らくこの二つの世界はたびたび諍いを起こしていた。そこで、自分たちより遥かに強い……ように見える隣世界の人を召喚して魔法を使わせ、自分たちの欲を満たそうとする人が出てきたんだ」
ぐさ、と胸になにかが刺さった感触がした。
「……悪魔、召喚」
「う~ん、そういうことだね。昔、ノイエの人々はクラスィッシェの魔物の事……ひいては魔物全般を“悪魔”と呼んでいたのはこの辺りが深くかかわってくるんだ。でもこの作戦は増幅回路変換の性質上長くは続かなかった。更に言うと」
ヒートアップする義兄さんに、ごっ、と姉ちゃんが肘鉄を食らわせた。それを感じ取ると、義兄さんは少しばつが悪そうに頬を人差し指で掻いた。
「は、話がそれちゃったな。ええっと、それで、そうだ。例の大戦が起こった時、自分たちの戦力を手っ取り早く強化しようとした人々が手を出したのが、その“悪魔召喚”だった。でも、継護くんが引いた魔法陣は手順も式も簡略化されたもので、それこそ君にも使えるものだ。けど、それで隣世界の人が召喚できるのはとても稀なケースか、仙人クラスの魔術師が大量に魔力を込めたかくらいしかないんだよ。だから頻繁に召喚が試みられていた。少しでも成功する確率を上げるためにね」
義兄さんが僕を見て、口角を上げた。
「まあ、つまりだね、君がとんでもない……宝くじの一等を当てた後に飛行機事故に合うくらいの豪運を持っていない限り……彼女がこちらの世界に転移してきたのは、『界理事故』、という事になる」
じこ。僕は思わずオウム返しにそう言った。
「『界理事故』。数年に一回はニュースになっていると思うんだよね。急に時空の裂け目が現れ、人が消えるってやつ。神隠しともされていたけど、最近それはノイエとクラスィッシェを隔てる時空の壁が動くときにまれに起こる自然災害だってことがわかったんだ。だから、誰であっても巻き込まれる可能性がある。君が魔法陣を描いたのは偶然で、ミーシャちゃんは丁度それに巻き込まれ、今川家に放り込まれてしまった。これは君があの魔法陣でミーシャちゃんを召喚できる可能性よりも遥かに高い。無論これも、バスジャックに合う可能性くらいの確率なんだけど」
「え、そんな理屈」
滅茶苦茶だ、通るわけないと言おうとした時だ。
「継護くん」
ぞわ、と肌が泡立った。
指を組みなおし、にこ、と微笑む義兄さんの目が笑っていない。首筋が、指先が、眼球が、怪物の舌に舐められたように冷たい。
「君に自信はあるかな?」
一瞬、呆然として、頭が真っ白になった。義兄さんが言った『自信』という言葉が、何に対して言われているのかわからなかった。
僕はうつむいて黙りこくる。恐怖のあまり、頭の中にぐるぐると思考が渦巻いた。
これは、もしや、怒っているのか?
禁術である魔法陣を自力で発動させたことを隠しとおせる自信。
この状況を一人でどうにかする自信。
十三歳で大犯罪者になったとしても、生きていく自信。
名家の娘を誘拐した責任に家族を巻き込み、平気である自信。
その全てをいっぺんに問われている気がした。
声が、歯が、震えそうだった。
「わ、わか、りません……」
僕には、そういうしか選択肢は無かった。
「わからないなら、考えてみてほしいんだけどね。まあ、取り敢えず俺が言いたいのは、話を聞いてくれるなら、俺達は君達を守るよってことだ」
「にゃ⁉ じゃあケイゴは何の罰も受けないの⁉」
鮭の皮をきこきこ切っていたミーシャが信じられないと言いたげに大声を上げた。しぃ、と人差し指を口元にやりたかったが、姉ちゃんが「んなわけないわ」と言い放って、ハンバーグの最後の一口を飲み込んだ。
「あなたが滞在中、継護を何でもこき使っていいわよ」
姉ちゃんがそう、ニヤりと歯茎を見せた。人権が消えた音がした。
「な⁉」
「なぁに驚いてんのよ。当然でしょ。むしろ罰としては軽すぎるわ。……今回の事、母さんたちに言ってもいいのよ」
喉奥が詰まった。確かに大犯罪者の肩書と比べると少女の下僕は羽のように軽い気がした。そも、この状況の中で既に僕の人権は無いに等しい。どう考えても従う方が賢明だった。
「てなワケだから、ミーシャちゃん。継護の事は使用人とでも思って、死なない程度に使ってやって」
まあるい青い目が僕をねめつけるように見上げた。
「……ふぅん?」
ミーシャは試しとばかりに僕に小さな手のひらを上にして見せた。
「お手」
「……はい」
やわい手に、そっと僕の手を乗せる。僕の体温よりもすこし温かかった。
そしてすぐに離され、輪切りにしたレモンが口に突っ込まれた。
「ヴ」
……これは下僕というより玩具かもしれない。
「へぇ~、ま、そこまで言うなら許してあげなくもないわ!」
溢れる唾液を飲み込みながらもぐもぐと酸味と苦みをすり潰す僕を見て、きゃらきゃらと笑う少女に、僕は時に幼さは悪意よりも残酷だと悟った。
それは良かった、と義兄さんは僕に憐れむような微笑みを見せて水を勧めてくる。さっきまでの冷たい笑みは消え失せ、そこには僕の義兄の蜜利義兄さんしかいなかった。
「よし、これで次の話ができるね」
義兄さんはそう言って呼び出しのチャイムを鳴らし、リザードマンの店員さんを呼ぶと「ジャンボチョコパフェとプリンアラモード」と注文した。店員さんはかしこまりましたとマニュアル通りに言って、姉ちゃんが食べたハンバーグの皿を長い尻尾で回収した。
「次の話ってなあに?」
コーンのバターソテーをスプーンで掬うミーシャが義兄さんに問う。
「ミーシャちゃん、君が“界理事故”でこちらに来たのなら、その申請をすれば滞在費は政府持ちになるという制度は知ってるかな?」
僕は知らなかった。
「当然でしょ。わたしを誰だと思ってるの?」
そうドヤ顔で胸をそらすミーシャに、義兄さんは「だろうね」と笑いかけた。
「えっと、それって……」
僕が控えめに聞くと、義兄さんの目が輝いた。もしかしたらこの人、我楽団員より教師になった方が良かったんじゃないか?
「数年に一回起こる自然災害、当然被害者は何も悪くないけど、着の身着のままでこちらの世界にやってきてしまったら最悪野垂れ死にだよね」
「そう、ですよね……見ず知らずの人を拾うような優しい人がいるかは、わからないし……」
「うんうん! それを利用することを前提に、俺達はミーシャちゃんを一旦保護しようと思うんだ。彼女を帰すための手続きもこちらで済ませておくけど、書類が処理されるまでの間はミーシャちゃんも継護くんも、目立たないようにお願いね」
義兄さんはミーシャの目を見ながらそう言った。
「実はね、一番最初は、そんな困った人たちを元の世界に戻すために、“我楽団”という組織はできたんだ。ま、事故に合ったひとより、元の世界に戻れなくなった『コード』の人たちを帰すって方が断然多いけど」
この世界には、自分が産まれた世界から自力では隣に行けない『トーン』、どちらの世界にも自由に移動できる『オクターブ』という体質の他に、『コード』、つまり、“自分の世界から隣の世界に行くことは出来るが、自力では戻ってこれない人々”がいるという。
トーンと比べてかなり数が少ないが、オクターブよりは多いため、転移防止用の魔法が確立されていなかった昔は大変だったらしい。丁度、その辺りの歴史はついこの間習ったばかりだったし、クラスに数人、コードの子はいた。余談だが、オクターブは僕の学年にはいなかったはずだ。
とはいえ。
「我楽団って……ディソナンスを倒すだけじゃなかったんだ……」
そう言った瞬間、隣から馬鹿にするような目を向けられた。しょうがないじゃないか、知らなかったんだから。
「あはは、よく知らないとそう思うよね。ディソナンス退治は、本来片手間……って言い方は良くないね。通常業務の手が空いたらって感じで、基本は警察や消防の仕事だったんだ。でも、ここ半世紀で急にディソナンスの数が増えた」
義兄さんがウキウキと息を吸い込んだ瞬間、「お待たせしました」と店員さんがお盆を片手にやってきた。
でかい。ジャンボの名の通り、持ってこられたチョコレートパフェの全長は義兄さんの顔くらいはあった。さらに横にあるプリンアラモードもそこそこ大きく、しっかりとご飯を食べた後に胃袋に詰めるものではなかった。
先程のリザードマンの店員さんはジャンボチョコパフェを義兄さんの前に、プリンアラモードを姉ちゃんの前に置こうとしたとき、義兄さんが手を控えめに上げた。
「あ、それも俺のです」
義兄さんの言葉に、店員さんは爬虫類独特の長くて大きな口を一瞬開けて「……大変失礼いたしました」と静かにプリンアラモードを義兄さんの前に置きなおした。店員さん、あなたは悪くない。
「……あたしのじゃなかったんかい」
「まだ食べ終わってなかったじゃない」
姉ちゃんの小さな我儘を、義兄さんは軽く笑い飛ばす。なんでこの二人が結婚したのかを、僕はよく知らない。多分姉ちゃんがなにか弱みを握って脅したんだと、僕は半ば本気でそう思っている。
姉ちゃんは去ろうとする店員さんに「済みません、ミルフィーユひとつ」と注文し、義兄さんのプリンアラモードについていたチェリーを勝手に取って口に入れた。
「そう、そうそう、その話をするなら増幅回路変換の話も生きてくるね! 未確認敵対魔法生物、いわゆる“ディソナンス”が増え始め、両世界はほとほと困っちゃった。生態も未知数、知能があるかと思えば、そうでもないものもいる。共通しているのは、俺達人格者を攻撃し、殺害、もしくは廃人化させようとしてるってこと。それがねー、まーあ強いのよ‼ 普通の警察じゃ歯が立たないくらい‼」
義兄さんはこの話ができることを心待ちにしていたかのように興奮しながらチョコレートアイスを口に放り込んだ。姉ちゃんはチェリーの種をぺ、と吐き出していた。
隣から袖がちょいちょいと引かれ、ミーシャが耳打ちしてくる。
「……この人いつもこんなんなの?」
「……いや、こんなにエキサイトしてるのは初めて見た」
「……まともかと思ってたけど、ヘンタイの人なの……?」
「…………」
僕は上手に否定できなかった。
「でね、そうなったらもう増幅回路変換の力を借りるしかないわけ。だって威力五倍だからね! 下手に最新の戦闘機や手練れの戦士を引っ張り出すより、そこそこ鍛えられた魔術師を隣世界から送ってもらった方がどう考えても効率がいいんだよ。で、どうせ対策するなら統率取れてた方がいいよね、皆で助け合った方がいいよねってことで、ディソナンスと戦う人たちの事を“演者(クンスター)”と呼んで、すぐ隣世界に飛べるように我楽団に集めたわけだ! まあ無関係の人を入れるわけにはいかないから、演者は特殊団員として扱われることになり、こうして我楽団イコールディソナンスと戦う人という構図が出来上がって……」
「ケイゴ、給仕を呼びなさい。わたしもデザートが欲しいわ」
「わ、わかった」
知らなかったこともあったし、僕は一応義兄さんの話を聞いていたが、ミーシャはそれより甘いものの方が食べたいようだった。というか、こんなに小さいのによく食べるな。やはり獣人と人間では代謝が違うのだろう。
「ね、ねえ義兄さん」
「ん? なにかな? わからないことがあったかな?」
義兄さんはニコニコニコ! と今まで見たことない笑顔だ。マシンガントークを止めるために水を差そうとしたが、頼みの綱の姉ちゃんは咎められないのを良い事に、つぎはオレンジに手を出していた。やめなさい。
「えっと……あ、そうだ。素朴な疑問なんだけどさ、そんなに強い魔法が使えるんだったら、皆移住しちゃわないんですか? 変身するだけで五倍って……すごくない?」
「良い質問だねえ、継護くん‼」
あ、逆に炎を煽ってしまったかもしれない。隣の視線が痛い。
「隣世界で増幅回路変換し、魔力を使うと、普通の手段では回復しないんだ」
「魔力が回復、しない……?」
魔力が回復しない、ということは、身体を動かすエネルギーを止められるのと同じようなものだ。体力で例えるなら、変身すると五倍の速さで走れるとして、いくら寝ても疲労が回復しないのと同等の深刻さと言える。
普通なら魔力は精神の疲れを取るのと同じ要領で回復することができる。それが出来ず、失意に沈み続けるということは。
「え……困るじゃん」
「まあ、困るね。でもご心配なく! なんで我楽団って組織に演者が集まっているかの説明にも通じるんだけど、魔力を回復させる手段があるんだ。それはね」
ピンポーンという音が義兄さんの話を止めた。ミーシャが耳をペタンとさせながら、身を低くし、つんと呼び出しボタンを押していたのだ。
そして、目線だけを僕の方に向けてこういった。
「隣世界の人格者から魔力供給を受ける。もしくは元居た世界に戻って休む。変身した後の魔力回復には、それしか方法はないわ」
驚く僕たちを放っておいて、ミーシャはやってきた店員さんに写真を見せる。
「この、なにかしら、つやつやした黒いの」
彼女の指の先が指したのは、コーヒーゼリーだった。僕は慌てて隣のパンケーキを頼み、ミーシャが泣くことの無いように先回りしたのだった。
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