《1-2》ボーイ・ミーツ・ディスティニー

「……で、つまり? アンタは調が今川の家から借りパクした本を勝手に借りパクして、この子を召喚しちゃったと」

 端的に言えばそうだった。僕と姉ちゃんはダイニングテーブルをはさんで向かい合わせに座っている。気分は超怖い刑事に尋問を受ける犯人だ。テレビの中にしかいないと思っていた犯罪者の気持ちが今ならちょっとわかる。

 彼らは特別おかしな人格者などではなく、僕たちと同じ普通の人格を持っていて、本当になにか些細なきっかけで僕も彼方側になってしまうし、彼らもその衝動さえ訪れなければテレビや新聞に載るようなことにはならなかったのだろう。

 まあ、勿論明確な悪意の結晶だとか、常識や倫理を身につけられなかったという人格もいるとは思うけど。

 何か考えるそぶりをした姉ちゃんは、姉ちゃんはポケットからスマホを取り出して、何回かフリックした後に耳に当てた。鞄には入っていなかったみたいだ。

「……どこに連絡してるの?」

「援軍を呼ぶわ。了承してくれるかはさておきね……あ、もしもし?」

 僕は口の端を噛みながら、姉ちゃんの声と漏れ聞こえてくる音を拾おうと耳を欹てる。一先ず、思ったより悪い状況ではないのかと安堵するが、その瞬間に罪の意識が薄れたことにぞっとした。


 話が付いたのか、姉ちゃんは「ここじゃ母さんたちがいつ帰ってくるかわかんないわ」といって、僕たちの首根っこをつかみ、そのまま表のワンボックスの車に放り込んだ。

 姉ちゃんは運転席に座ると手慣れた様子でエンジンをかけ、車を発進させて流れる景色と現実とを混ぜていた。僕は普段の生活を反芻するように助手席に乗り込む。

 その間のミーシャはというと、耳をぴるぴる、鼻をひくひくとさせながら、窓の外を眺めていたり、流れているBGMが少し大きいなどと文句を言いながらではあるが、暴れることも無く、ちょこんと後部座席に座っていた。


「ねえ、アノン。シラベって誰? あんな恐ろしい魔法陣が書かれた魔導書を持っていたんだもの、凄い魔術師とか?」

 姉ちゃんが少し困ったように、後ろから聞こえるミーシャの問いに答える。

「ううん、調はうちの弟。まだ大学生……になってもいないのかこの時点だと。この春から大学生なんだけど……ちょっとアイツ頭のネジが二、三本抜けててさ……」

 そう、常識や倫理を身につけられなかった人格の筆頭格が僕の兄であり、亜音の弟の調兄ちゃんだった。

 彼は普段は穏やかでぽやぽやっとしているが、本質的なところは知識馬鹿、いや知識狂いだ。それまでは『調と継護の部屋』だったあの部屋が『継護の部屋』になった理由として、同じ部屋を使っていた兄ちゃんが“魔法生物の徹底研究”を掲げ、大学に進学するにあたって一人暮らしを始めたからというものがあるのだが、僕は彼が特別な勉強をしているところを見たことがない。

 毎日毎日塾に行っていたと思ったら、さぼって図書館に入り浸っていて、ウキウキしながら「今日はとても珍しい魔法生物を見付けたんだ」と食卓で話してしまうような人間だった。無論、すぐに母親からぼこぼこにされていた。姉のけんかっ早さはどう考えても母親譲りだった。

 ちなみに、兄ちゃんが進学した先がこの辺りで結構有名な難関校だったこともあって、誰も止めることが出来ずに、彼は悠々と実家を出てしまった。彼の未来がどうなるのかわからない。本当に恐ろしい。変な話、僕は姉よりも兄の方が怖かった。平穏を脅かす存在という意味で。

「十中八九、この魔法陣の本も、学生時代に魔法生物研究の為に盗んで、思ったものと違ってたから忘れてたんでしょうね」

 そうげんなりする姉ちゃんに、ミーシャは首を傾げる。

「あなた達……イマガワ家が、なんで禁書を持っているのかわからないわ。わたしがわからないだけで、あなた達も名家なのかしら」

 姉ちゃんは笑ってそれを否定した。

「うちは普通のお家です! まあ、父さんの実家が結構古いから、変な本とか魔道具とかが残ってるってだけ。あの魔導書も、昔はよくつかわれてた物だったはずだし、そのせいかな」

 姉ちゃんはそう言うが、うちの家族は、なんかすごい。父は魔法生物専門の獣医で、母は魔法陣の組立師……ただの線に魔力を込めたら効果が出るようなプログラムを考え、仕込む人だ。祖父も、祖母も、他の親戚だって実力者しかいない。使える魔法も皆、あまりないものばかり。

 僕なんかと違って。

 ミーシャはフゥンとちいさく口をすぼめて俯く。僕の憂いには気付かず、姉ちゃんが背を預ける座席をふんふんと嗅いでいた。

「それは良いのよ。どうやってわたしをクラスィッシェに帰してくれるの?」

「……それなんだけどねえ」

 姉ちゃんがとんとんとハンドルを指で軽く叩く。

「うちの我楽団でなんとかするつもりなんだけど、あたしだけの根回しじゃどうにもならないところがあるのよ」

なんだかすごい事を言い始めた気がする。

「それって……ぼ、俺の犯行をもみ消すってこと……?」

「は? 人聞きの悪い事言わないで、あの状況でアンタがこの子を召喚できたのだっておかしなことなんだから」

 どういう意味なのかはわからなかったが、どうも犯罪者となってしまった身内にするような処置ではないことだけは理解できた。

「……気分悪くなったりしてない?」

 僕がそう訊ねると、ミーシャは僕の方を一切見ずに、

「この乗り物のせいじゃないわ」

と言い放った。手厳しい。

 首を縮めて言葉に迷っていると、ミーシャが感心しているようにぼそりと呟いた。

「……銀色ばかりね、この世界は」

 僕はつられてガラスの向こうを見る。僕達家族が暮らす町は、この国の首都の中でも郊外の方の住宅街だ。中心部に比べればビルも鉄塔も少ないが、彼女が暮らすクラスィッシェと比べると、木造建築やレンガの色よりも銀色の方が目に付くのだろう。鼻をぴとっと窓につけて、外を観察している。

「アノン、わたしをどこに連れて行くつもり?」

「ファミレス……大衆食堂みたいなとこよ。わかる?」

 そう答えて、サングラスをかけた姉ちゃんが窓を開けると、ミーシャはバックミラー越しに顔を顰めた。

「わたしを誰だと思ってるの?」

 そう言えば、僕は彼女の素性について何も知らない。小声で、僕は姉ちゃんに問いかけてみた。

「ね、姉ちゃん」

「なによ」

「“リリーホワイト”って何の話?」

 ミーシャの耳がぴくりと立った。

「まあ、継護は知らないわよね」

 赤信号で車を止めた姉ちゃんは、甘ったるい匂いを放つコーラを飲み干して息を吐いた。

「ノイエの中にある、白猫の獣人ばかりが産まれる名家よ。クラスィッシェのエリートと言えばって感じの知名度で、政府公認我楽団の幹部になる人も多いわ。流石気品あるお嬢様って感じよねぇ」

 それってつまり。

「……だ、だいぶ有名人だったりする?」

「特に、彼女のお母様はね」

 ふふん、と気取った声が後方から聞こえた。眩暈がしそうだ。

「……やばくない?」

「ヤバいわよ。まともに犯罪者として扱われたら、アンタ、外歩けなくなるわよ」

「気分悪くなってきた」

「良かったわね、もうすぐ着くわよ。ついでに何か食べなさい。奢ったげる」

 窓を開けようと外を見たら、確かに家の近くのファミレスが見えていた。そこで僕の運命が決まってしまうのかと思うと、食欲の欠片も湧かなかったけど。


 日曜日の昼三時。人が居ないとは言えないが、誰もこちらに見向きもしていない喧噪の中で、僕達三人は色とりどりのメニューを見ながらいかにも美味しそうな光沢を放つ画像を眺めていた。

「……綺麗な絵ね。“写真”っていうんでしょ。知ってるわよ」

 僕はしばらく隣に座るミーシャの方を気にしていたが、なんだか僕が想像する九歳の少女よりもずっと落ち着いているというか、堂に入っているように見える。別世界に強制的に転移させられているのに、ファミレスの料理を選ぶ余裕があるらしい。

 僕が彼女の立場かつ、同じ年齢だったとしたら、きっと泣くしかできなくて、食事も喉を通らず、見る者すべてが敵に見えていたかもしれない。

「あぁ、魔力が使われていない画像は珍しいか。ま、好きな物頼んでいいからね」

 姉ちゃんがスマホを弄りながらミーシャに微笑みかけると、ミーシャは「当然よ」とキラキラした目でサバの味噌煮を見詰めていた。

「……それにするの?」

「“サバ”って、あのサバよね。魚の」

「他にどのサバがあるのさ……」

「じゃあ違うのにするわ」

 ミーシャは神妙な顔でひとつひとつ品目を見比べている。僕はそれを横目に見ながら、何か食べないとという義務感だけでシーザーサラダに目星をつけた。

「良かった、もう来るみたいよ」

 姉ちゃんがそう言って、ようやくスマホから顔を上げた。

「誰と待ち合わせしてるの?」

「旦那よ」

 あ、っと思い当るものがあった。義兄は姉ちゃんの職場である青葉我楽団の団員……というか結構上の立場の人間で、人々を襲う怪物であるディソナンスや、隣世界の研究をしているとうっすら聞いたことがある。

「そっか、蜜利(みつとし)義兄さんなら……」

 どうにかしてくれるかもしれない、と思った矢先にミーシャに袖を引かれた。

「ケイゴ! これはなに?」

「あぁそれはね」

 テーブルに影が差した。


「鮭のムニエルさ」


 僕とは別の声が、ミーシャが指すメニューを答えた。

 驚き、声の出所を見上げると、そこには淡い青髪を小奇麗に整えたカジュアルフォーマルの男性が僕らが座るテーブルの傍にいた。ニコニコと笑う顔は穏やかで、今まで何かで腹を立てたことがあるのか怪しいとさえ思わせる男だった。

「貴方がリリーホワイト司令官の、末の娘さんのミーシャちゃん?」

 輝く水色の瞳がミーシャの姿を反射すると、白い耳の彼女はびく、と肩を震わせた。

「え、ええ。わたしはミーシャ・リリーホワイト。あなたは……」

 男性はふ、と力を抜くように表情を崩し、向かいの姉ちゃんの隣に座って指を組んだ。

「私設青葉我楽団、団長代理兼ディソナンス対策システム研究室特別顧問。そして、この素敵なコンダクターである亜音さんの旦那さんで、継護くんのお義兄さん」

 ひたすらフラットに、彼は彼を紹介する。

「青葉 蜜利です。どうぞよろしく、ミーシャちゃん」

 ミーシャのマリンブルーの瞳が、義兄さんの指を捉えていた。



「お待たせいたしました、鮭のムニエルと……シーザーサラダ。チーズインハンバーグです」

 バターと魚と肉の焼けた香りが僕らの鼻孔を刺激する。ミーシャの耳がぴくりと動いた。スタッフであるハーピーのお姉さんが品目を言いながら、手を挙げた人の前にそれらを置く。隣のムニエルはレモンを傍らにきらきらとした輝きを放っている。姉ちゃんの前のハンバーグは焦げ目が美しく、まだじゅわじゅわと音を立てているような気配さえしていた。

 そして僕が頼んだシーザーサラダもおいしそうだ。たっぷりレタスの緑と良く焼けたベーコンの赤、温泉卵の白に粉チーズと黒コショウがかかったらもう優勝だ。食欲が一気にわいて来て、中学一年生という食べ盛りの生体がどれほど単純かを思い知った。いや、これはきっと全生命体がそうなのだ。腹が減っては戦は出来ぬともいうし。

 だが、蜜利義兄さんの前には何も置かれていない。注文する様子も無かった。

「……義兄さんはご飯食べないんですか?」

 そう聞く僕に、義兄さんは首を振った。

「俺はもうお昼食べちゃったから。でも、あとで皆がデザート食べる時に俺も頼もうかなって」

「デザート!」

 ミーシャの尻尾が上がった。その様子に、義兄さんと姉ちゃんははふふと顔を綻ばせる。

「あとでミーシャちゃんも頼んでいいよ」

「その前に食べきって貰うけどね」

 どういう事だろう、彼等も非常に呑気というか、僕に詰め寄ったりもしていない。まあこんな場所で尋問されては色々おしまいだから助かるといえばそうなのだが。

 僕らが「いただきます」と声を合わせると、ミーシャはきょとんとした。

「ケイゴ、今の言葉は何?」

 ミーシャの暮らす文化には“いただきます”という言葉はないのだろうか。

「えっと……なにか食べる前に、食材や作ってくれた人に感謝する言葉、かな」

「へえ……」

 そう彼女は納得したように頷き、僕らがやっていたのを真似るように「イタダキマス」と唱えて、ナイフとフォークを取ってやたらとお行儀良くムニエルを食べ始めた。

 僕もサラダを口に運ぶ。シャキシャキしたレタスの感触とシーザードレッシングの独特な味が口の中に広がった。

「さて、継護くん、話は聞かせてもらっているよ」

 食べていると、義兄さんは微笑みを崩さずに僕に話しかけた。いよいよ本題か。

「今回の一件について、君もすごく不安だと思うけど、まあまず結論から言うと、俺達のアシスト通りに動けば、君が罪に問われることはない」

 ただし。彼はそっと笑みを深め、声をひそめる。

「少しでも話を外部に漏らすと、君は極悪非道な特殊誘拐犯だ」

 ごくり、と生唾と一緒に噛み砕いたベーコンを飲み込んだ。

「そうならない為に、今日と、それから明日は俺達の言う事を聞いて、出来るだけ従ってほしい」

 言われずともここまできて逆らうような根性は無い。僕はとんでもなく普通の一般男子中学生なのだ。我楽団の人が言う事よりも優れた案なんて出るはずなかった。

 僕がこくこくと頷くのを見て、義兄さんは「良い子だ」と言いながらメニュー表のデザートページを開いた。

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