《1-6》ガール・ミーツ・ドリーム
「迷子になってんじゃん‼」
まあ、そううまくはいかない。
ここは、シロイルカと、鮫とのふれあいが自慢のそこそこ大きな水族館だ。到着して、最初の方は実に楽しそうに耳をぴこぴこさせながらハリセンボンや、鮭なんかを見ていた。イワシの群れが隊列をなして踊るのを、ぎらぎらとした瞳で追っていたり、ペンギンショーに行っては「可愛い!」と尻尾をあげたりなどしていた。なんだか一緒にいればいるほど普通の女の子に見える。あのお嬢様然とした姿は、無理して作っているのだろうか、なんて考えてしまうほどに、微笑ましい反応だった。
だが、僕がちょっと目を離した隙に消えてしまった。まずい。汗がだらだらと流れ落ちる。誘拐でもされてたらどうしよう、なんて誘拐犯みたいになってしまった僕がいうのもアレなんだけど。
蒼くて暗い、まるで深海のような空間を駆け足で探る。通路に等間隔に設置された無機質なブラックライトの灯りが、白を強調する。
クマノミだとかナンヨウハギだとかももはや何がなんだかわからない。ああ、やっぱり自分じゃどうしようもなかったんだ。僕が変に気を回さずに、家に引きこもっておけばよかった。
ぐるぐるぐるぐると嫌な感情が胸中を支配する。足が、もつれそうだ。
辿り着いた目の前には、突然の明るい青。三階分の大水槽の真上から届く幻想的な光は、その前に佇む白を照らしていた。
ゆらりと揺蕩うように波打つ髪を揺らし、彼女が僕に振り返る。その瞳のマリンブルーは、背後の水槽を透過しているかのような不思議な錯覚を僕に覚えさせた。
「ミーシャ……!」
青だらけの世界の中で、彼女の姿だけが鮮明に見える。
綺麗だった。僕が言葉を尽くしても伝わらないほどに。
僕の声に、頭上の三角がピクリとこちらを探るように動くと同時に駆け寄ってきた。
「ケイゴ‼」
僕の気も知らず、こちらを認識した途端に軽い足取りで横道に逸れていく。咄嗟にそっちを向くと、今の僕には明るすぎるくらいにきらきらとしたアクアリウムショップがあった。
そしてミーシャはその中に入ったと思ったら、呑気にこちらに手を振っていた。
思わず、どっと疲れが下半身に来て、崩れ落ちそうになる。だが、それを頑張って引きずりながら、ニコニコとしているミーシャの許へ向かった。
「どこ、行ってたの……」
「ここ」
どや、と何故か得意げなミーシャ。
「僕の側から離れないでって言ったよね……」
「忘れてたわ。それよりほら、こっちよ!」
そう悪びれもせずに言う彼女が、僕の手首を掴んでぐいぐいと引っ張る。転げないよう気をつけながら、僕は彼女のあとを暫くついていった。
彼女が止まったのは、ゴムやピンなどの髪飾りがいっぱい置いてあるブースだった。魚や貝などの海のものを模した可愛いものが棚に並ぶ。
「……これが?」
「買いなさい」
ミーシャがぱっと取って、僕の手に渡したものは、ヒトデと真珠がちまちまとある、ちいさなピンが数個ある商品だった。お値段およそ800円程度。確かに普段使いも出来るが、完全におみやげ物だ。
「……なんで?」
「アノンが言ってたじゃない。アクセサリーがほしいって」
確かにそんなことを言っていたかもしれない。まあ、財布が薄くなるが、下僕に拒否権はない。
「……別にいいけど、こんな安っぽいので良いの?」
僕がそう聞くと、ミーシャは、少しだけ下を向いた。
「……きっと、もうこの世界には来れないでしょうから」
「…………」
この少女が背負っているものも、見えているものもなにも知らない。だが、こんなお嬢様でも、いや、こんなお嬢様だからこそ、隣世界に軽々しく来ることができない事情があるのだろう。
「……じゃあ、買ってくるよ」
「ええ! 至急ね」
僕はダッシュでレジに走り、小銭を八枚渡してそのピンを買う。そして小走りでミーシャのところへ戻ってきた。
「つけなさい」
彼女は、おかえりもなしに僕にそう命令する。
「……いいの?」
「どうして?」
ミーシャはなにかおかしなことを言った? と言わんばかりに首を傾げる。それで僕は察した。この子、お嬢様過ぎて、アクセサリーを自分でつけるって発想がないんだ。
僕はちょっとドキドキとしながら、ミーシャの白い髪に真珠やヒトデ、白い貝をつけていく。普通にヘアピンをつけるようにでいいのだろうか。そう思いながら、僕から見て左側のあたりに、それなりにかためてつけてあげた。
「ど……どう……?」
ミーシャは、ショップの鏡をじーっと見つめ、ふわ、ふわと髪を揺らしながら髪留めの輝きを確認する。そして、瞳を大きく見開くと、真夏の太陽のような笑顔を咲かせた。
「怒られる価値はありそうだわ!」
その言葉の意味は……あまりわかりたくなかったが、その美しい笑顔は、僕の人生、これが最上かもな、なんて思わせるには十分なものだった。
と、そのときだった。
低く、重たく、凄まじい破壊音が外から聞こえてきた。
「⁉」
「え⁉ なに、なに⁉」
すぐさま、ウゥ〜! とサイレンが鳴り響く。
『Cクラスディソナンス発生。Cクラスディソナンス発生。住民の皆さんは、近隣の避難所に避難してください』
そんなアナウンスが聞こえる。
「……ディソナンス⁉」
それなりの大きさのディソナンス……怪物が出たという知らせは、水族館の中の人々をパニックに陥れる。わあわあと口々に叫びながら、非常口に人が押し寄せた。
「まずい……僕らも避難しよう‼」
そう、隣を見る。
「え⁉ リリーホワイトさん⁉」
だが、そこには誰も居なかった。
焦ってキョロキョロと白い髪を探すと、遠くの方、皆が向かっていない方の……おそらくその近くにディソナンスがいるであろう出入り口の方に白い影が見えた。
「えええ⁉ ちょっと‼?」
追いかけるにしてもそっちに向かえば、かなりの危険がある。どうしよう、どうしようと考えているうちに白い影はどこにも居なくなっている。ひゅう、ひゅうと息が細くなる。足がすくんで動けなくなってきた。
「君⁉ 危ないからはやく避難して!」
避難誘導をしていたスタッフさんに、僕の肩をぐっと掴まれた。
だが、でも、あの子をおいてはいけない。
「……すみません!」
困惑するスタッフさんを振りほどいて、弾き出されたようにミーシャの方へ向かう。心臓が痛い、だが、あの子から離れたらもっと痛くなる気がした。
鎧がいた。
なにを言っているかわからないと思うが、そこに鎧がいた。
まず状況を説明させてほしい。水族館の近くには海があり、そこの近くに臨海公園がある。そこでどう聞いても何かが暴れている音がした上に、そっちにかけていくミーシャの小さな姿が見えたのだ。脳死でそっちに走っていき、公園に入るために角を曲がったときだった。
体長三メートルほどの、西洋風の甲冑があった。銀色で、分厚くて、いかにもゲームに出てきそうな、そんな。
ガシャン、ガシャンと金属が擦れる音が聞こえ、手には大きな両手剣がある。
そして、足元には、大量の真っ赤な血と、頭がへこんでいるように見える、スーツの成人男性……。
「う、わあああああああああああああああああああああ‼」
喉から勝手に悲鳴が出てきた。後ろにたたらを踏み、べしょりと腰が抜けてしまう。
ぎし。鎧の頭が僕の方を向く。がしゃん、がしゃん、がしゃん、とゆっくり、着実にこちらに向かってくる。
「や、やめて、やめてください‼ た、たすけてえ‼」
そう喚き、命乞いをしたところで聞いてくれるディソナンスではない。彼らは、人格者の敵。命が潰えるか、人格が消えるまで終わらない。
「し、しに、しにた、く、な、あ」
震えた声しか出てこない、ずりずりと後ろに下がっていくが、相手の方がはやい。
僕に、影が落ちる。ぶん、と大きな剣が僕の頭上に振りかざされた。
「いやだあああああああああああああああああああああああ‼」
「“咲き誇れ、白百合! 増幅回路変換(アンプリフィケーション・チェンジ)”‼」
まるで落雷のような衝撃が聞こえ、眩い光が目を焼いた。
そして、ドゴッ‼ と、光が収まるまえに鈍い音が目の前からした。
「……っ、な、なんだ……⁉」
数秒後、やっと視界が回復した。その瞬間、目を奪われた。
そこにいたのは、虎のように大きな、神々しい白い毛をたっぷりとたたえた、二本脚で立つ猫と、ばたりと倒れた甲冑だった。
よく見ると、頭の辺りには髪の毛のように長い毛もあり、僕がさっきミーシャにつけてあげた髪飾りもついている。
「り、リリーホワイト、さん……⁉」
うるにゃあ! と、その獣は鳴く。
「にゃんで来たのよ、馬鹿ね‼」
その口からは、可愛らしい女の子の声がした。間違いない、この大猫は、ミーシャ・リリーホワイトなのだ。
「こ、この姿って」
僕が戸惑っていると、ミーシャが短く説明した。
「増幅装備(アンプリファイア・フォルム)。変身したのよ」
その言葉に、昨日の義兄さんの解説が蘇る。
――魔法斉唱(マギ・ユニゾン)、専門用語でいうところの界理的同位相という現象は、隣世界……ノイエの人から見たらクラスィッシェに行ったときに、ある条件を満たすことで魔法の力が五倍ほどに増大するって現象なんだ。
――増幅回路変換(アンプリフィケーション・チェンジ)……要は変身だね。自分の周囲に存在する魔力が変質し、魔力を増幅しやすく、動かしやすい姿かたちになって、人格者……人々の見た目が変わる事。それによって引き起こされるのが魔法斉唱(マギ・ユニゾン)ってわけだ。
つまりこれが、ミーシャが本気を出すために変身した姿らしい。なんだか変身という言葉で想像するような姿とは少し違うが……。
「……かっこいい……!」
僕には、そのすべてがどんなテレビの中のヒーローよりも勇敢に見えた。
ギシギシギシ……!
「……! ケイゴ、下がって‼」
ミーシャによって転ばされたのであろう動く鎧が起き上がりだす。僕は頷いて、邪魔にならないように見守れるくらいの遠くに逃げた。
「……すごい!」
ミーシャと鎧は目にも止まらぬ速さで闘っていた。僕からしたら何が起こってるのかうまく理解できないくらいだ。
ミーシャが拳を撃ち込んだと思ったら、返す刃で鎧が彼女の胴を穿とうとする。だがそれすらも刀身に飛び乗る形で避け、にゃあ! と鳴いた瞬間に鎧の肩のあたりを引っ掻いた。一見、ミーシャの拳はただの暴力にしか見えないが、バチッと走る電流と、素早すぎる身体を見ると、なにがどうなっているのかはわからないが、体中に電気魔法を流し、拳の威力とスピードを上げているようだった。
三メートルの怪物と、その半分のサイズの白猫が戦ってる。それだけで信じられないのだが、彼らの力量は素人目に見ても互角、いや、わずかにミーシャの方が上回っているように思えた。
「……これが、変身……」
魔法の威力が、本当に五倍違う。これを見てしまったら、信じざるを得なかった。
「これなら……勝てるかも……‼」
きっと誰かが通報してくれていて、近くの我楽団も向かってきてくれているはずだ。これで持ちこたえられる、そう思ったときだった。
ドン‼
「えっ」
突如、世界がスローモーションになった。
無音の世界の中で、僕が遠くに居るせいで手のひらほどの大きさにしか見えないミーシャの身体から血が吹き出しているのが、変に小さく見えた。
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