8、

 

 思えば家族に贈り物をしたことはなかったな。ふと思う。

 ではこれが初めての贈り物だ。


 美しさを取り戻した私の、綺麗な笑みを家族に向ける。それが一つ目の贈り物。誰だって最期に見る光景は美しいものであって欲しいでしょう?

 二つ目の贈り物は、私の言葉と──魔法。


「みんな死んでください」


 それが合図。魔法発動の合図となる。私の中の時魔法が家族へと向かうのを感じて、微笑んだ。


「な、なにを……!?」


 何が起きてるのか理解してないが、それでも何かヤバイことが起きる気配は感じてるのだろう。キョロキョロと周囲を見回す父、バタバタと手を振って払いのけようとする兄、蒼白な母。だが、何をしたところで意味はない。


「時魔法に抵抗する術はありませんよ」


 言って、ミリスの背から手を離してスッと上に上げる。それもまた合図。


 それまで黙って動きを止めていた民衆が、ワッと声を上げて動きだした。まるで止まっていた時間が動き出すように。……それは比喩表現ではない。チラリとメルビアスを見れば、彼もまた私を見ていた。微笑めばニヤリと不敵な笑みを返される。


 彼の時魔法は、一部の人間の時を止めることが出来るのだ。意図しなければ世界全てが止まるが、意識して使うことによって一部だけを止めることもできる。メルビアスはずっと民衆の時を止めてくれていた。屋敷内に入り込んだ者だけではなく、入りきれなかった屋敷外の、恐ろしいほどの人数の時間を。

 それがどれだけの魔力を要するか、この場で説明する必要はないだろう。


 父や家族の無能さと強欲によって、貧しい生活、苦しい生活を余儀なくされた民衆の怒りが爆発する。

 私は多少動いたが、所詮そんなものは焼け石に水。

 痩せこけた大地を前に、食べ物を得ることが出来ず飢え死にした者は大勢いる。

 薬さえあれば治る病が、けれど厳しい税の取り立てで金がなく、治療できずに亡くなった。その死者の家族の怨嗟が、私の家族に降り注ぐ。

 民の顔は、まるで地獄の鬼のようであろう。


「待ってくれ! やめてくれ! 私は悪くない、なにも悪くない!」父が必死で抵抗するも、多勢に無勢、引きずられるように連れて行かれる。


「いやあああ! わ、私は何もしてない! ちょっと欲しい物を買ったりしただけで、私は、私は……!」何もしないことこそが一番の罪と理解してない公爵夫人……母もまた、連れて行かれる。


「やめろ! 僕はまだ家督を継いでいない、何もしてないんだ!」兄に至っては「あなたももう18歳でしょう? 自分のやったことに責任を負うべきです」と声をかければ、言葉を失った。そのまま抵抗虚しく連れて行かれた。


 弟のガルード、これだけは誰も何も手出ししなかった。15歳の子供な彼の罪は、小さい。ただの愚かな親の犠牲者だ。


 だから「ガルードは私の元でしっかり教育してやる」祖父がギラリと目を光らせる。孫に対してもけして甘くない祖父のことが弟は苦手……というより大嫌いだ。そんな人の元で教育など、きっと地獄だろう。だがまだ子供で無知な彼に、一人で生きていくことはできない。

 青ざめ目に涙を溜めつつも、引かれた腕に抵抗することもなく、項垂れながら祖父の元へと連れられた。そのまま床にうずくまって動かない。


 家族の行く末を見守ってから、私は義妹の背をまたさすった。


「さてミリス、あなたには特別な魔法をかけてあげるわね」

「……え……?」


 私の頬に触れるミリスの頬がどんどん冷たくなる。死期は近い。

 短刀から手を離すも、深々と刺さったままのそれは動かない。それを確認してから、私は右手でミリスの背を撫で、左手でその冷たい頬に触れた。ミリスは抵抗しない。できないというのが正解だろうが。


「特別な、とても特別な魔法。とっても特別でとっても難しい時魔法よ」

「死んだら、戻る、のね……?」


 途切れ途切れに、苦し気に聞いてくる。私は耳元に届く言葉にコクリと頷いた。


「ええ。死んだら戻るわ」

「なら……」


 ゴホリと大きく血を吐いてから、ミリスがグッと私の背を掴んだ。


「なら、絶対次は失敗しないわ!」


 まだこんな力があったのかと感心するくらいの叫びを上げる。


「戻るんでしょう? 時間が戻る……馬鹿ね、そんな魔法かけずに一度の死で満足すればいいものを! 時が戻ったら私は確実にあんたを殺すわ!」


 アハハ、と笑ってまたミリスは血を吐いた。


「殺してやる、何度戻ってもあんたを殺す! 罪人として捕まってもいい、牢に入れられても処刑されても構わない! とにかく殺す、殺してやる! あんたを何度も、何度でもこの手で……!」

 

 殺してやるわ!


 ミリスの血を吐くような──実際吐いているが──叫びが部屋にこだまする。もう民衆も、両親に兄も去り、残ったのは私に祖父に弟とベントス様。そしてメルビアス。

 全員がミリスの叫びを耳にする。聞いて、そして何も言わない。


 シンと静まりかえった室内に、次に響いたのは「はあ……」という、私の溜め息だった。


「それは壮大な計画ね、ミリス」


 壮大で矮小。ちっぽけな、くだらない野望。それを一笑に付す。クスリと笑えば、ギリと私の背中にミリスの爪が食い込んだ。まだこんな力があるなんて、大したものだわ。


「覚悟しなさいよ……!」

「いいえ」


 いいえ、覚悟するのはあなたよ。

 言外にそう言って、私はスッと体を離した。ミリスと向かい合う。もう彼女の顔色は紙のようだ。いつ死んでもおかしくない、気力でなんとか意識を保っていると言えるだろう。


「言ったでしょう? 特別な、とっても難しい時魔法だって」

「?」

「両親や兄様にかけた時魔法は、私自身のとあまり変わらないから簡単なんだけどね……ミリスにかけるのは難しいやつなの。習得するのに苦労したのよ?」


 だから存分に楽しんでね。

 そう言って、私は彼女のオデコをツンと突いた。それでおしまい。ミリスへの魔法はこれでおしまい。


「なにを……」

「この特別な時魔法は、戻る時間を指定できるのよ」

「え?」


 意味が分からないと、死にかけの頭を必死で動かそうとするミリスに、私はニコリと微笑んで説明してあげる。


「戻る時間を指定できる、つまり何年前のいついつの時間に戻る、と指定できるの。これ本当に難しいのよ、魔力ほとんど使っちゃうから、この後私、しばらく動けなくなっちゃうかも」

「時間を指定……?」

「そう。あなたが死んだら戻る時間を、指定したのよ」

「い、いつに……?」

「そんなの分かるでしょ?」


 もう一度ニコッと微笑めば、不安そうなミリスの目が飛び込んで来た。ああ、その目が見たかったのよ。


「いい目ね、不安と恐怖に染まる色をしているわ。ミリス、本当のあなたをみんなは醜いと言うけれど、私はそうは思わない。だってほら、恐怖に染まったあなたの顔はとっても美しいもの」


 きっと私はウットリ恍惚とした顔をしてるだろう。ミリスの瞳に映る私が見える。

 ツツ……とミリスの頬を撫でればバシッと払いのけられてしまった。


「いいから答えなさいよ! いつよ、いつの時間に私を……」


 戻すつもりなの!? 叫ぼうとして、喉にせり上がった血が阻む。大量の血を吐いて、ミリスは足元から崩れ落ちた。

 仰向けに横たわる彼女の顔の横に跪き、その顔を覗き込む。ギロリと睨んでくるが、もう手足は動かせないようだ。


「だから分かるでしょう?」


 言って、ツンと刺さったままの短刀を突いた。


「まさか……」

「ええ、そのまさかよ。あなたを刺した瞬間、あなたの死が確定するその瞬間を指定したの」

「な……」


 本来の時魔法ならば、私のように人生の分岐点に戻る。これは予想だが、私が生まれる前には戻らないようなので、両親が時戻りをして私という子供を作らない、ということは出来ない。

 あくまで私が存在する世界……彼らに時魔法をかけた私の居る過去の世界へと戻る。

 そして無数の並行世界を彼らは生きるのだ。


 だが、ミリスには時間を指定した。それは彼女の死が確定するその瞬間。


「良かったわねえミリス、時が戻ったら既に剣があなたの胸に刺さってるの。何度も何度も、戻っては延々と死の瞬間を味わえる」

「ま、待って……」


 動かぬ義妹の手をギュッと握る。もうその手は氷のように冷たく、なんら反応はない。構わず私は握りしめた。


「戻っても戻っても、あなたは運命に抗えない。死という運命を変えることはできない。死が確定した瞬間に戻り、そして死んで、また死の直前に戻る。何度も何度も……永遠に。永遠の死のループを味わいなさい」


 チャンスなど与えない。生きる希望は欠片も与えない。


「私のこと、悪女と言ったわよね?」


 徐々に光を失う目。ミリスの耳元に唇を近づけて、囁くように私は言う。


「それは正解よ、ミリス。私はあなたと同じ悪女。最悪の魔法使い……魔女。あなたを地獄に叩き落とすために産まれたの」


 だから、ね?

 姉から妹へ贈る最後の言葉。

 受け取って頂戴。


 虚ろな目が私を見る。

 ニコリと優しく微笑んで、私は耳元に囁いた。


「苦しめ」


 

 私の言葉が彼女の耳に届いたのかは分からない。だが直後、その目は光を失い、命の灯は消えた。ミリスは死んで、その魂は死のループへと飛んだのだ。

 それと同時に、屋敷の外で絶叫が響いた。瞬間、弟が弾けるように顔を上げて、真っ青な顔でキョロキョロ周囲を見回す。こんなところから何も見えるわけないというのに。けれど、見えなくて良かったのかもしれない。

 絶叫は、父の声だった。母の悲鳴だった。兄の声なき叫びだった。

 三人は、おそらく民の手によって処刑されたのだろう。


「さあ、時戻りの始まりよ……」


 その言葉もまた、家族に届くはずもない。それでも口にせずにはいられなかった。


「終わらない無限の死に、絶望すればいいわ」


 言わずにはいられなかった。


 ギリと噛みしめた唇から、血の味がする。離したミリスの手は引力に逆らうことなくパタリと落ちて、もう二度と動くことはない。


 落ちる静寂。誰も何も言わなくて、私も言わない。ミリスの遺体の前で俯いたまま。


 不意に、ポンと頭に大きな手が置かれる。私の横に同じように屈みこんだメルビアスが、視界の端に見てとれた。


「お疲れさん」


 言われてゆっくり顔を上げる。恐る恐る横を見れば、いつもと変わらぬ彼がそこにいる。私を蔑むことなく、優しい目で私を見つめる彼がそこにいた。


「今は好きなだけ泣けばいい」

「──泣いてないわよ」


 どこを見ているのだ。そう言って睨めば、フッと笑われた。


「まあいいさ、そういうことにしといてやる」

「だから泣いてないってば!」


 言って、メルビアスの胸元を軽く叩く。

 目から流れ落ちた雫がポトリと落ちて、彼の胸を濡らした。

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