7、

 

 祖父の部屋に飾られている祖母の姿絵は、とても美しい。だが祖父いわく、その絵は祖母の美しさをまったく表現できてないらしい。それは父も否定せず、祖母は本当に美しい人だったのだと想像できた。兄が産まれる前に病で亡くなられてしまい、お会いしたことはないけれど。


 その祖母の姿絵によく似た、けれどそれ以上の輝く美しさをもつ姿で、私は立っている。


「ど、どういうことだ……?」

「呪いが解けたんですよ、お父様」


 瞬きすら忘れて私に見入る父に、私は説明してあげる。


「ミリスの魅了魔法は私の光魔法が防いでいたのですが、未熟さゆえそれ以外は防げてなかったのです」

「魅了魔法?」

「そうです」


 私はそう言って頷いた。ピッと人差し指を立てる。


「一つ、ミリスの魅了魔法によって、あなたたちは彼女の虜となっておりました。私には光魔法の防御壁があり、魅了は効かなかった。それに気づいたミリスが、私を虐げるようにあなた達の心を誘導したのです」

「な、なんだと?」

「その証拠に、今私に対して疎ましいといった感情はありますか?」

「それは……」


 言葉に詰まる父。それが答え。もう父の中に、私を疎ましく思う感情は無いはずだ。父や家族にまとわりついていた闇魔法のモヤはとうに消えている。


「二つ、ミリスの容姿は魅了魔法によるまやかし。つまりは偽物だったのです。今見えてる姿が真実の姿」

「え!?」


 驚きミリスを振り返る家族。構わず私は話し続ける。


「三つ、まやかし魔法の延長で、私の容姿もいじられていました。本当の私の姿は今のこれ……祖母によく似た姿。私の魔力の未熟さゆえ、闇魔法を防ぎきれていなかった結果です」

「なんと……」


 言葉を失う父に、私は続けた。


「四つ」

「ま、まだあるのか!?」

「これが最も恐ろしい魔法。命を奪う魔法です」

「なんだと!?」

「ですがこれは、そうと気付けたなら私が解呪できる呪い魔法です」


 そう言って、私は扉のほうを振り返った。

 そこに立っていたのは──


「ベントス殿?」

「メルビアス様!」


 父とミリスの声が重なる。

 そして。


「ち、父上!?」父が叫ぶ。


 ベントス様とメルビアス。その二人に支えられるように立っている人物。

 それは紛れもなく、祖父であった。


「そんな! 父上は亡くなったと──」


 そう、祖父は予定通りに、私が14歳の時に亡くなった。ということにしておいたのだ。


「リリアの光魔法が呪いを解いてくれたおかげで、私はこうして生きている。ただ、それまでに既に蝕まれていた体はなかなか回復せんがな」


 祖父の説明に、言葉を失う家族。父は膝から崩れ落ち、床に手をついた。


「そんな──ミリスが……? 私達に魔法を……呪いを……?」


 信じられないというようにミリスを見るのは、母だ。父も兄も弟も、ゆっくりとミリスを見る。そこにはすっかり元の姿に戻ったミリスがへたり込んでいた。

 みなの視線が集中して、慌てて彼女は手で顔を覆った。「見ないで!」と叫んで。


「いやよ、こんな姿はいや! これは本当の私じゃない! 私は、私は……見ないでえ!」


 泣き叫ぶミリス。

 そこに近付くのはメルビアスだ。ハッと気配を感じて顔を上げたミリスは、バッと彼に駆け寄った。

 そっとメルビアスの胸元に手を当てて、ミリスは彼を見上げる。目に涙を浮かべて。


「お願いですメルビアス様、姉が私に呪いをかけたのです! あの女は悪女、私を陥れようとするとんでもない悪女なのです! どうか、どうか私を助けて……」

「あれに光魔法の使い方を教えたのは俺だ」


 縋るように見上げてくるミリスに、氷のような冷たい目を向けるのはメルビアス。


「え……?」

「あいつがさっき師匠とか言ってだろ? あれは俺だ。お前がこの屋敷に招き入れてくれたおかげで、合間を見て、俺が知りうる限りの光魔法を教えてやった。俺は使えはせずとも知識は膨大にあるからな。そしてあれは見事に使いこなした」

「そんな……嘘でしょう?」

「何も嘘ではない。むしろお前の今までの姿が嘘だ。言っただろう? 俺は今までお前ほどに醜い女を見たことがないと。俺には見えていたんだよ、真実のお前の姿が。醜いお前が」

「嘘よ!」


 叫んでミリスはメルビアスから体を離して、一歩後退して距離をとる。


「嘘よ! 私は美しいの! 誰からも愛される女なのよ! 私が……私だけが……!」


 まるでその言葉が呪いのように、私がと呟き続けるミリス。


「私はねえ、公爵家の後継となるのよ! 美しい夫を手に入れ、優雅な暮らしを満喫するの! 男爵家なんかにおさまる女ではない! 私が、私こそが愛され幸せを手にするのよ!」


 ミリスはかつて男爵家の娘だった。なぜそんな家と祖父が親しかったのか昔は知らなかったが、どうやらミリスの祖父が私の祖父と魔法オタク仲間だったらしいのだ。祖父は認めた相手ならば身分を気にしない人だったから。

 その親友の息子夫婦が亡くなり、残された孫であるミリス。それを引き取ることに迷いは無かったらしい。


 だが……


「そうだな。お前はそうやって、両親を闇魔法で殺し、現在の状況を手に入れた。まんまと公爵家を乗っ取ったのだ。……まあ失敗したがな」


 それに気づいたのは、祖父の呪いを解いた時。祖父がひょっとしてと調べたのだ。そしてミリスの実の両親の死が、実に不自然な謎の病による突然死と分かる。


「お前は……お前だけは許さん」


 年老いたとはいえ、祖父の眼光の鋭さは衰えを知らない。ギロリと睨まれて、「ひっ」とミリスが喉の奥で悲鳴を上げる。


 焦ったようにミリスは周囲を見回した。まるで救いを求めるかのように。

 だが彼女の周囲──屋敷内と外を囲む民衆に、義理の両親兄弟は微動だにしない。静かに動向を見守っている。


 そばに立つメルビアスは、既に視線だけで殺しそうな目をミリスに向けている。

 ベントス様に祖父も言わずもがな。


 ──最後に私を見る。ミリスの目が、私を射抜いた。

 その瞬間、その顔がいびつに歪むのを私はハッキリと見た。


「お前……お前えぇっ! お前のせいだ、全部お前のせい!! お前さえいなければ、光魔法なんてなければ私は……!」


 それは本当に醜い姿だった。かつての美しい面影は微塵もなく、悪鬼のごとき顔の醜い女が一人。

 ミリスがバッと床に手を伸ばす。その先には、誰が落としたのか短刀があった。それを拾い上げるミリス。


「死ねっ!」


 その短刀を手に、私に駆け寄る。その切っ先を私に向けて。

 私を殺すという確固たる意志をもって、恐ろしいほどの殺気をまとって……ミリスは私にその刃を突き出した。


 それは一瞬。一瞬の後に、嫌な音が室内に響き、直後静寂が包む。

 

 ツツ……と血が剣をつたう。ポタリポタリと、つたった血が床に滴り落ちる。

 唇の端から血が垂れたかと思えばゴフッと血を吐く。


 ──この感触は、一生忘れられないな。


 人の体に食い込む刃。それを持つ手の感触に、私は顔をしかめた。

 ゆっくりと顔を上げれば、すぐ目の前にミリスの顔。本当の顔をもつミリス。それが驚愕に目を大きく見張り、私を見つめていた。


「おね、さま……」


 言って、また口から血を吐く。

 彼女が手に持った短刀は、力なく床へと落ちる。カランと無機質な音が部屋に響いた。

 誰も何も言わない。家族も民も。祖父もベントス様もメルビアスも。誰も。


「ようやく……」


 口を開いたのは私。隠し持っていた短刀を、ミリスの胸に深々と刺しながら小さく呟くように言う。


「?」


 ミリスが首を傾げる。その胸元に刀が刺さったままで。


「ようやく、復讐が始まるわ」

「始まる……?」


 苦し気に顔をしかめて、どうにか言葉を吐く。それに私は頷いた。


「そう、これは始まりよミリス」

「どういう……」


 こと? 最後まで言えずに、また血を吐いた。


「一度の死で終わらせると思う?」


 ニコリと残酷に微笑めば、不思議そうな顔をしてから顔を歪ませる。


「この四年間、何もしなかったと思う? そんなわけないわよね。光魔法と同じく、時魔法も修行したのよ」

「時魔法……?」

「そう。知らなかったでしょうけど、私は何度も人生をやり直してるの。何度も何度も、死んで戻ってやり直して、また死んで……そして今、ここに生きて立っている」


 私の話にミリスが息を呑むのが分かった。苦しげに顔を歪めながら。


「何度も死んで何度も戻って、ようやくここまできた。こうしてあなたに刃を突き立てている」

「こ、の……」


 なんとか抵抗をと私に伸ばされる手は、けれど力なくダランと垂れる。


「メルビアスのおかげで、時魔法もそれなりに使いこなせるようになった。光魔法同様に、時魔法を自分だけではなく人にかけることも可能となった」

「……」


 もう話す気力もないのか、虚ろな目が私を見つめる。


「だからみんな、戻るのよ」


 フッと目を両親に、兄弟に向ける。みんな私の話を聞いていても理解できていないのか、ポカンとしている。だが理解しなくていい。これからその身をもって知ることになるだろうから。


「みんな戻るの、死んで戻るの、何度も戻るのよ」

「……なにを言ってるのだ?」


 私の言葉に怪訝な顔をする父。


「よく分からないけど、ねえリリア、もうミリスの呪いとやらは解けてるのでしょう? 私達は反省するから……これからは美しいあなたをちゃんと愛するから。だから、ね?」


 なにが、『ね?』なのか分からないことを母は言う。反省してこれから変わってどうなる。これまでのことが無かったことになどならないのだ。

 私の恨みは、憎しみは消えないのよ。


「そ、そうさ。ミリスがこんな醜いだなんて僕らは知らなかったんだ!」


 兄もまた勝手なことを言う。知らないからなんだ。知らなければ全て許されると? そんなわけないだろうに。


「あなた達の愛は容姿で左右されるのですか?」


 私がそう言えばグッと言葉に詰まって黙り込んだ。


「大丈夫ですよ」


 言って、そっと……密着したミリスの背を撫でる。もう自力で立つのも苦しいのだろう、ミリスは私にもたれるように、抵抗なくその身を預けてきた。

 抱きしめるようにしながら、背を撫で続ける。私のもう片方の手には未だ剣が握られている。ミリスに刺さったままの剣が。


「ぐ、ゴホッ」


 私の肩をミリスの血が汚す。


「私は何度もループして、ついに正解を見つけました。お父様たちも繰り返せば、きっとミリスの魅了魔法に対抗する術を見つけられるでしょう」


 見つけなければ、何度ループしても終わらない。魅力魔法に屈して同じことを繰り返し、同じ死を延々と繰り返すだけのこと。


「何度も繰り返せばいい。何度も失敗すればいい。……何度も死ねばいい」


 苦しめばいい。絶望すればいい。お前たちはそれだけの罪を犯した。


 だからみんな。

 私はニコリと微笑んだ。


「みんな、死んでくださいな」

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