6、
扉を開けた瞬間、わああ……と民衆がなだれ込む。その手にはスキやクワなどの農具に、狩りに使う短刀に弓などが握られていた。調理用の包丁もある。生活用具が今や危害を加える武器と化した。
それらを手に、飛び込んで来た民衆は……脇目もふらず駆け寄る。そして目当ての人物たちを一斉に囲んだ。
「……え?」
間の抜けた父の声が耳に届く。
「な、なぜ?」
呆けた母の声もまた小さく聞こえる。
私以外の家族が固まるのを、私は見ていた。民衆に囲まれる姿を、私は外側から眺めるのだ。
それはまるで傍観者。当事者であるはずの公爵令嬢な私は、けれど罵声を浴びせる民衆の輪の中にいない。誰も私に見向きもしない。
「お、落ち着け、みな落ち着け!」
我に返った父が、慌てて叫ぶ。当然だがそんなことで静まる民衆ではない。彼らの怒りはその程度で収まるレベルではないから。
「お前たちの怒りは分かる! 公爵家は大事な税を私利私欲に使い、お前たちの要望に一切応えなかった! だが待ってくれ、それは私のせいではないのだ! 私が命じたことを全てことごとく妨害阻止し、己の欲望のためだけに金を使い込んだ首謀者がそこにいる!」
喉が枯れるのではないかと思えるほどの大きな声を張り上げて、父は叫んだ。そこでようやく民衆が少し静かになる。本当に少しだが。だがそれで充分とばかりに、父はより声を大きくして、「罪人はそこに!」と指さした。
私を、指さした。
一斉に私に向けられる視線。私はまた目を細める。
これまでのループであれば、ワッと民衆は私に掴みかかり、捕え、引きずり、そして処刑へとことが進んだ。ループ経験のない、これからのことを何も知らない家族は、それでもそうなると確信する。
私一人の犠牲で、自分達が助かると信じてやまない。
だが。
「お生憎様、今回のループは違うのよ」私は呟くように言う。言って微笑む。
違うのよ、これまでとはまったく違うの。同じような状況で、けれど違う。ここから先は──
「さあ、復讐の時よ」
目を細めたまま、私は笑う。家族が青ざめるほどに冷酷な笑みを浮かべながら、スッと手を上げ指を差す。そこには意味がわからないといったふうに間抜けに口を開け、恐怖し、青ざめ、震える家族。
彼らに向けて、私はよく通る凛とした声で告げた。
「罪人を
その言葉を合図にワッと民衆は私から視線をはずして、家族へと向き直る。そして群がり、あっという間に──
「な、なぜだ!? どうしてリリアの命令なんかに──」
「当然よ。私は民の心に寄り添ってきたのだから」
公爵令嬢としての私は何もしなかった。まともな執務をしない父を放置し、動くことはなかった。
──ただし、イチ個人としては違う。
私は私個人ができる範囲で動いた。農作物の不作に悩む村では、街で得た情報をもとに肥料作成をした。農作業もやった。汗水流して泥まみれになりながら。
川の氾濫で悩む地域には、やはり得た治水の知識を披露し、作業を手伝った。作業中に川に落ちて溺れかけたこともある。
何をするにも先立つものが……となれば、私財を投げ打った。元から蓄えは無かったが、こっそり公爵邸の無駄な装飾を売り払った。
そうして令嬢としてではなく私個人として民との交流をはかった。そしてその狙いは当たった。今や民は私を害することはない。
以上のことを話し終える頃には、父の顔は真っ青だ。そして無言で逃げ出そうとして、即座に民に捕まる。
「や、やめろ! 私に触るな! うげ、痛い、やめろ、やめてくれええ!」
「大丈夫、殺しはしない」
痛みに叫ぶ父に、私は静かに言う。聞こえてるのかどうかなんて関係ない。
私の言葉通りに、民は家族を殴る蹴るの暴行を加えるも、殺しはしなかった。ギリギリのところで、それをしない。私がさせない。
「やめなさいよ、ちょっと! 私にそんなことしていいと思ってるの!?」
髪を引っ張られながら、痛みで目に涙を浮かべながら、叫ぶミリス。
直後、彼女の体から黒いモヤが大量に飛び出した。
「まあミリス、命の危険を感じて魔力が増大したのね」
「え?」
私が大きな声でそう言えば、ギョッとした顔で見るミリス。そんな彼女にニコリと笑みを向けてやる。
「でも残念。もうあなたの魔法は効かない。私だけじゃなく、誰にも効かない」
「……え?」
ミリスが怪訝な目を私に向けたまさにその瞬間。
彼女と私の耳だけに届く、パンッという音。黒いモヤが弾け消えるのはそれと同時。
「な、なんで……!?」
驚愕に目を見張る彼女の目の前で、黒いモヤは綺麗さっぱり消えて無くなった。
家族に四六時中まとわりついていたそれは。常に私を害しようとしていたそれは。
今、完全に消えたのだ。
「さすがお師匠様、教え方が上手ね。光魔法、自分以外に対してもうまく使えたわ」
私の魔力によって、今、ミリスの魔法は効力を失ったのである。
「な、なんだ、今なにが……ミリス大丈夫か? ……え……ミ、ミリス……?」
何かは分からないまでも、自身の体に変化が生じたのを感じたらしい。父はキョロキョロと周囲を見回してから、慌ててミリスを見て……直後、ギョッとした顔で言葉を失う。
「父上? なにが……え!?」
頭を庇うようにして民からの暴力に耐えていた兄が、同じくミリスを見て言葉を失う。母も、弟も。皆がボロボロになりながら向けた視線の先。そこには同じく体を抱えるようにして、義妹が床にへたり込んでいた。
「だ、誰だお前は!?」
しかしかけられる言葉は、気遣うものではない。
「……え? 何を言ってるの、お兄様?」
顔を上げる義妹。声は確かにミリスそのもの。
けれど。
美しかった金髪は見る影もなく、灰色に変化していた。黒味がかったダークグレー。
変化はそれだけではなかった。美しい目も鼻も唇も、顔の輪郭さえも……そして体型も。全てが変化している。
「お兄様だと? 僕にはお前のような醜い妹は居ない!」
「ええ!?」
兄の悲鳴のような叫びに驚いてミリスは兄を見た。兄を見て、それから両親や弟を見る。
「醜いですって? どうして? 私よ、ミリスよ。髪を引っ張られたりしてボサボサになっちゃったし、そりゃちょっとは見苦しくはなってるでしょうけど……みんなが愛してくれる、美しい私よ!」
訴えかけるも、誰もがシンと水を打ったように静まり返る。それは民衆も同じ。全員がポカンとした顔で動きを止めていた。
「ミリス、だと……?」
父の震える声だけが聞こえる。「お父様?」ミリスが怪訝な顔で問いかける。
「黙れ、私を父と呼ぶな! お前のどこがミリスだというんだ!? お前のような醜い娘は知らん!」
「な、なんですって!? お父様もお兄様も一体どうしちゃったの!? ねえお母様、ガルード、何か言ってちょうだい!」
父や兄に醜いと言われてショックを受けるミリス。慌てて母と弟を振り返るも、やはり二人とも青い顔で呆然としている。母はショックでフラフラと床に座り込んだ。
「みんな一体……」
「ミリス」
何が起きてるのか分からないと、焦って周囲を落ち着きなく見回すミリス。そんな義妹に、私は手鏡を渡した。こうなることを予期して用意しておいたのだ。
「え? な、なによ……」
「これで自分の顔を見てごらんなさい」
「は? 鏡なんか見なくても私は……」
美しいわ。
そう続くはずだった言葉は、けれどミリスの口から出ることはなかった。
「な、なによこれ! 誰よこれは!?」
代わりに出たのは、手鏡を持つ手を震わせての絶叫。
「こんな、こんな醜いのは……」
「紛れもなくミリス、それがあなたの顔」
「え!?」
私の言葉に目を見開くミリス。私はニコリと微笑んだ。
そんな私を見たミリスは、ますます目をこぼれんばかりに見開く。驚きの連続なのだろう、もう目が飛び出してしまいそうだ。
ミリスは震える手を上げて私の顔を指さした。
「待って、ちょっと待ってよ……なんなの、その顔。お姉様の顔が……なんで……どうして……」
驚きのあまり体全体を震わせて、ミリスは私を見る。
私はといえば、予期し分かっていたこととはいえ、それを見るのは初めてだからと自分の手足をマジマジと見る。
「ふうん、そっか。本当の私はこうだったのね」
言ってミリスから手鏡を奪って自分の顔を見る。
「……へえ……」
思わず自分の頬を撫でた。
呆然とミリスを見ていた家族が、そこでようやく一斉に私のほうを向く。
「え!?」
そう叫んだのは全員。家族全員。
驚愕に目を見張る家族の前に立つ私は……明らかに変化していた。
美しく輝く金の髪をパサリと払い、怪しげで妖艶さを兼ね備えた紫の瞳を細める。
形の良い、紅をささなくても赤く綺麗な唇で弧を描く。
醜くなったミリスに対し、美しくなった(自分で言うのもなんだけど)私。
悠然と微笑み立つ私に、家族は言葉を失った。その目は見惚れてるとも言える。
そんな中で、父が呆然としながら小声で呟いた。
「母様……」
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