4、

 

 そこに立っていたのは、温和な顔立ちが印象的な、祖父の親友ベントス様。


「これはベントス殿……なにか御用で?」


 祖父の親友ということで、さすがに無下にはできないと判断したのか、父が対応する。しかしベントス様は父を見ることなく、私に目を向けた。


「私は一体なにごとだと聞いたんだ。キミが自身の娘を突き飛ばしたように見えたが?」


 私を心配そうに見つめてから、不快そうな目を父に向ける。その視線に一瞬動揺するも、苦笑を浮かべ「なに、ただの躾ですよ」と父は誤魔化した。──まったく誤魔化せていないけれど。


「屋敷の重鎮達を解雇するとも聞こえたが?」

「まあ……私には不要の存在ですので」

「ろくな引き継ぎもなしで突然家督を継ぎ、一人でまともな施策ができるのか?」

「……あなたには関係ないことでしょう?」


 祖父の親友とはいえ、相手は格下の侯爵。父が徐々に苛立ち始めてるのが見て取れた。


「これは我が家の問題です、お引き取りを。父でしたら療養所へと移しましたから、会いたければ勝手にどうぞ」


 父の、『帰れ』という言葉にまた不快そうに顔をしかめて、ベントス様は何も言わずに父に背を向けた。チラリと私を見る目が心配を物語っている。ニコリと笑みを向ければ、コクリと頷いてベントス様は出て行った。その時、ベントス様がそばにいた人物の肩をポンと叩く。

 そこで初めて気が付いた。ベントス様と共に、メルビアスが来ていたことを。


「メルビアス……?」

「我が家の問題、ね。娘に手を出すような輩なぞまったくもって信用できんな」


 我慢ならんといった顔で、父を睨むメルビアス。


「なんだ貴様は、ベントス殿の知り合いか? 私はもうすぐ公爵となるのだぞ、無礼者め」


 その気迫にタジタジしつつも、精一杯の虚勢をはる父に、対してメルビアスはフンと鼻を鳴らす。


「おい」

「え?」


 父を無視してかけられた声。それは紛れもなく私に対してだった。


「大丈夫か?」

「……ええ」


 助けてと言うのは簡単。そうすればきっとベントス様もメルビアスも助けてくれる。それは予想でも希望でもない、確信。けれど私は言わない。助けてくれとはけして言わない。


──だって私は復讐したいから。


 家族への復讐こそが、私の望み。それがどんなに闇落ちだろうが、地獄への道だろうが、関係ない。私はとうに地獄を経験している。今更なにを恐れよう。


 目で全てを語れたとは思えない。けれど伝わったと信じたい。

 睨むようにお互い無言で見つめ合い、ややあってメルビアスがフッと剣呑さが宿る目の光をゆるめた。


「そうか」

「まあ、素敵なおかた!」


 ならいい、とメルビアスが言いかけたその時。彼に駆け寄り、その腕に絡ませる手が見えた。

 ミリスだ。


「ミリス!? おい、どこの輩かも分からぬ者に、そのように不用意に近付くのは……」

「あらお兄様、大丈夫ですわよ。こんなに綺麗な男性、私は見たことありませんわ。さぞや高貴な出であらせられるのでしょう」

「俺に爵位はないぞ」


 ミリスの言葉を即座に否定するメルビアス。

 その言葉に嘘はない。異国の元王子ではあるけれど、現在は死亡扱いのメルビアス。平民どころかこの世に存在しない彼に身分はない。収入もない彼が一体どうやって生活してるのかは謎だが、おそらくベントス様とか他の魔法オタクが援助してるのだろう。

 爵位が無いと聞かされて一瞬目を見開くミリスだが、すぐにニコッと笑う。


「そんなもの関係ありません。見ての通り、私は公爵家が令嬢。あなた様が家督を継げずに爵位が無いとおっしゃるのなら、私の夫となればよろしいのよ」


 どうやらメルビアスが貴族の次男だかなんだかで、後継者ではないと勝手な解釈をしたのだろう。だがそこでなぜ、ミリスの夫となったらいいのかが分からない。


「なぜ俺がお前の夫にならねばならない。そしてお前の夫になったところでどうなる。お前には兄がおり、後継は兄だろうが」

「うふふ、それは大丈夫ですわよ」


 そう言って、未だ絡ませたままの腕に力を込め、ギュッとメルビアスに抱きつく。……その光景をなんだか見ていたくなくて目を逸らした。逸らした先で絶望に青ざめる兄の顔が目に入って、ちょっと笑える。


 大丈夫だろうかとちょっと心配になる。おそらくミリスはメルビアスに魅了魔法をかけようとしてるのだろう。そして彼には私のような光魔法の防御壁は無い。ミリスの魅了にかからなければいいのだけれど。

 ところが危惧した事態にはならず、メルビアスは不快気に顔をしかめてバッとミリスの腕を振り払った。


「なにが大丈夫だと?」


 不快そうに聞けば、ちょっと驚いた顔をした後、ウフフとまた笑うミリス。


「ねえお兄様、私のために爵位を譲ってくださいますよね?」

「え?」


 ミリスの突然の提案に、さすがに兄が驚いた顔をする。


「ですから、この公爵家の後継はわたしに譲ってくださいと言ってるのです。そしたら私の夫となるあの方が公爵になれます。ほら、これで問題ないわ」


 いや何を言ってるのだろう、この娘は。ループして精神年齢は大人な私と違って、ミリスは紛れもなく12歳。だというのにこの発想が出るとは驚きだ。


「え? いや、それは……」


 魅了の力をもってしても、直ぐに『いいよ』と頷けないのだろう。動揺する兄。それを見て、ミリスが不快気に眉をひそめた。そしてグッと兄に顔を近づける。それはもう悲しみに染まっている。


「駄目ですの? 私の……ミリスのお願い、聞いてくださいませんの、お兄様?」

「あ……」


 その瞬間、私はハッキリと見た。ミリスの体から漏れ出る黒いモヤを。それを兄が包み込むのを。

 闇魔法が発動するのを、私はハッキリと見たのである。

 

「……いいよ。ミリスのためなら、どんなお願いでも聞いてあげる」


 どこか目がうつろな兄。抗えぬ魅了に、兄の意思は綺麗に消え去った。そこに立つのは操り人形な兄。


「わあ、嬉しい! 大好き、お兄様!」

「へ、へへ……」


 ミリスに抱きつかれて、だらしない顔で笑う兄。なるほどなあ、こうやってミリスはずっと家族をいいように操っていたわけか。


「というわけで問題解決ですわ。ねえ、私の婚約者になっていただけません? あなたのような美しい方は、美しい私にこそ相応しいと思うんですの」


 ミリスの黒いモヤは、収まらなかった。それは続けてメルビアスに向けて放たれる。


「メルビア……」


 光魔法を自在に操れるでもない私に一体何ができるのか分からない。ただイヤだと思った。思ったら勝手に体が動いた。考えるより先に手を伸ばし、ミリスから出る黒いモヤをつかみ取ろうとした。

 だがそれより早く──


パンッ


「え?」


 黒いモヤが弾かれるのが見えた。メルビアスに届かんとするまさにその瞬間、黒いモヤが霧散したのである。


「え?」


 私の驚きの声と同時に、ミリスが驚きの声を上げる。私もミリスも何が起こったのか分からないという顔をする。

 それに対し、メルビアスが見たのは──私。「ふんっ」と鼻で笑って、ニヤリと私に笑みを向けてきた。


「なにが……」

「俺を誰だと思ってる、どれだけの時を生きてきたと思ってるんだ。この程度の魔法を阻止するすべくらいとうに会得している」


 そう言って、メルビアスはミリスに背を向けた。


「あ、待って……!」


 ハッと我に返ったミリスがメルビアスに手を伸ばす。

 だがパンッと、今度は誰もがその音を耳にする。メルビアスがミリスの手を叩き落したのだ。


「え……」

「触るなけがらわしい。お前が美しいだと? どこが? 俺はお前ほどに醜い女を見たことがない」

「え!?」


 呆然とした驚きから、今度は息を呑み目を見開いて驚くミリス。その様を一瞥してから、今度こそメルビアスは出て行った。部屋を出る瞬間、一瞬だけ私をチラリと見て。私は慌てて彼の姿を追いかけた。放心状態のミリスと家族を置いて。


「待ってメルビアス!」


 声をかければ、すぐに彼は立ち止まって私を振り返った。


「なんだ」

「あなた……大丈夫なの?」

「見ていただろう? 俺にはあいつの魅了魔法は効かん」

「そうみたいね」


 まさか私の他に彼女の魅了魔法が効かない者がいるとは。驚く私に、メルビアスは「あの魅了魔法は大したことない」と言ってのけた。


「まず範囲が狭い。せいぜい家族にかけるだけで精一杯だろうな。その証拠に、この屋敷の使用人は魅了されてないのだろう?」

「たしかに……」


 私を虐げるのは、あくまで家族だけ。もしミリスがもっと大きな魔力の持ち主だったならば、使用人すらもかけれていたはず。なのに使用人達は平等に、私のことをあくまでこの家の令嬢として扱ってくれている。そういえば、そのことに疑問をもったこと無かったな。


「ああやって兄貴にやったように、強化することはできても多人数は難しいみたいだな。俺にもかけようとしたが、そんな弱い魔法は俺には通用せん」

「そっか。あなた凄いのね」

「当然のことを言われても嬉しくないな」


 本来ならその傲慢さに苦笑ものなのだろうが、嫌味のないストレートさに素直に笑ってしまった。

 スッと私の頬をメルビアスの大きな手が包む。ドキンと心臓が高鳴った。


「メルビアス」


 だが何も言わない彼を見上げて声をかければ、「大丈夫か?」と問いが返って来た。


「え?」

「これから起こること……お前が話したこの先の未来、かなり苦しい日々なんだろう? なのに、お前はそれを甘んじて受けるという。俺達に助けるなと言った。それで本当に大丈夫なのか?」


 それは事前に話していたこと。これから先何があろうと手出し無用、助けないでほしいと言ってあったのだ。手伝ってもらうことはあっても。


「ええ。私は……復讐したいから」

「家族は魅了魔法をかけられているだけだろ?」

「だからって、やっていいことと悪いことの判別もつかないなんて……そんなことで許せる範囲を超えたことをされたから。もう、私は家族を許せないのよ。復讐しなければ私の心は救われない」

「……」

「そんな私を軽蔑する?」

「まさか」


 言っておきながら、メルビアスが私を見る目がどうなるか不安になる。不安で問いかければ、即答で否定された。その瞬間、安堵が胸を満たす。


「だが俺もベントスもいることを忘れるな。もう無理だと思った時は、必ず俺達を呼べ。俺達に救いを求めろ。いいな?」

「ええ」


 その言葉だけで十分とニコリと微笑めば、フッと笑ってメルビアスは去って行った。ベントス様と共に。

 馬車に乗り込み二人が完全に居なくなるまで見送って、そして私は屋敷を振り返った。


「……さあ、始めましょうか」


 始めよう、復讐を。

 終わりを迎えるために。

 全ての終わりを始めよう。

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