4、
「うるさい、そんなことでいちいち叫ぶな。これだから子供は嫌いなんだ」
私の精神は大人です! と反論することもできないし、するつもりもない。
「大人も子供も関係なく驚くでしょう!? もし本当に百年以上生きてるとして、どうしてそんな若い容姿をしているの!?」
ベントス様は相変わらず穏やかな笑みを浮かべておられて、冗談を言ってるとは思えない。
メルビアスは腕を組んで偉そうにふんぞり返っている。見た目だけなら冗談なんて縁のなさそうな外見だけに、真意が分からない。
それとも、二人して真面目な顔して私をからかっているの?
未だ混乱から解放されず、口をあんぐり開けていたら、メルビアスの手が伸びて来て、テーブルに置かれたケーキが攫われた。そこでハッと我に返る。
「ちょ、なにすんのよ!?」
イチゴが無くなってもそれは私のケーキよ!? と取り返そうと手を伸ばす。
だが男は腹の立つことに、ケーキを頭上に掲げたのだ。腹の立つことに!(怒りのあまり二度言う)
子供な私に、長身の男の頭上になど手が届くわけもない。男はフフンと笑って、「イチゴのないケーキなんて要らないんだろ? なら俺が残りも食べてやるから喜べ」と、これまた腹の立つ勝手な発言。
「誰が喜ぶか! そのケーキは私のよ!」
もうこうなったら意地だ、なんとしてもケーキを取り戻してやる!
すっかり年齢の件が頭から抜けた私は、行儀など完全無視してソファの上に立つ。が、フワフワすぎて足元が心もとない。転ぶ前にと急いでジャンプした。──男の頭上めがけて。
「私のケーキぃ!」そう叫んだまさにその瞬間。「ち、めんどくせえな」と男の声が同時に響く。
直後。
結局私の手はケーキに届かず、スカッた私はそのまま床へとすっころぶ。床に着いた手の痛みに「いったあ……」と顔をしかめるのだった。
だがそこに心配の声はかからない。失礼なケーキ泥棒はともかく、ベントス様も何も言わないなんて……と、ちょっと恨みがましくなった私だが、そこでようやく気付く。
世界が異様に静かなことに
「なに……?」
シンと静まり返った私の耳には、自分の息遣いしか聞こえない。
無言になっても、世界が無音になるなんてことは本来有り得ない。窓の外でそよぐ風、小鳥のさえずり、人の生活音。静かな夜でも無音というものは存在しない。
そのはずなのに。
世界が無音に包まれたのだ。正確には、私自身の息遣いや体を動かしての衣擦れの音のみ。
今、私の耳に届く音は私自身が発する音と──
「ふうん、やっぱりお前には効かないか」
「え!?」
私を見下ろす氷の瞳。それが少し楽し気な光を宿しているのを認め、私は驚愕に目を見張った。
メルビアスは楽しそうにニヤニヤしながら私を見下ろしている。頭上には相変わらずケーキ。
だがその横で。メルビアスの横で。
ベントス様が、固まっていたのだ。その手をメルビアスに向けた状態で。
「え……ベ、ベントス様?」
声をかけるが返事はない。その目が私に向くことも、上げられた手が下りることもない。普通なら疲れる体勢なのに、プルプル震えることもない。いや、それどころか……
「息をしていない?」
人は呼吸すれば、それだけで体が揺れる。鼻先に手をやるとかしなくても、充分に分かる、その無呼吸の状態。
生きてるのに、けれどベントス様は息をしていないのだ。
いや、彼だけではない。窓の外に目をやる。全ての動きが止まっていることに気付き、私は目を大きく見開いた。その目線の先、窓の外には。
羽ばたいてる状態で止まっている、空中で完全停止している鳥が目に入った。
世界が止まっている。ようやく事態を理解する。
でも全てではないことも理解する。
私はゆっくり視線を戻した。
この止まった世界で私以外に唯一動いてる存在に。
メルビアスという男に。
「やっぱりお前、時使いだな」
そう言って、私を見る男はニヤリと笑った。
「
「知らんのか、知らないで使うとか器用なやつめ」
なんとなく馬鹿にされてる言い方にムッとなる。
「知らないのだから仕方ないでしょう? 教えて」
素直に教えを請えば、意外だというように目を見張るメルビアス。外見が子供ゆえムキになって突っかかってくるとでも思ったのか。それを理解しながらわざわざ嫌味な言葉遣いをすると。
つまりこの男は、わざと私を煽ってる?
「かまってちゃんかな」
「なんだそれは」
思わずポロッと口にして、慌てて手で口元を押さえる。目はあさっての方向へ。なんのことやら? と、とぼけるポーズだ。
「……まあいい。時使いってのはそのまんま、時間を操る魔法使いのことだ」
「時間を操る……」
それはつまりアレのことだろうか。ずっと、不思議に思っていたこと。
──なぜ、死ぬと時間が戻るのか。
その理由が今目の前にある。
「どういった魔法が発動するかは個々で異なる。俺の場合は見ての通り、時間を止める」
「……悪いことし放題ね」
こんな風に時を止めれてしまうのなら、一体どれだけの悪事を働いて来たのか。だって見るからに悪そうな顔してるもの。
だが男は意外にも「そんなことするわけないだろ」と笑って否定した。
「時を止めて悪事をするなら、時間を止めてケーキを盗む事もできたんだぞ。だが俺はちゃんと金を払って購入した」
「私から奪うという悪事を働いてますが」
「お前に生きる厳しさを教えてやったんだ」
「ケーキで人生教えられるとか……!」
思わず脱力するわ。
「本当に、今まで悪事したことないの?」
「あるわけないだろ。そもそも俺は常に自分の体の成長を止めてるんだ、魔力は同時発動できん。今現在は世界の時間を止めることに使ってるが、これを乱用すると俺の時間が進むから困るんだ。老ける」
ちなみにとメルビアスは話し続ける。
「俺が魔力を理解しこの魔法を行使できるようになったのが、10歳の時。基本は自分の体の時間を止めているが、たまにこうやって世界の時間を止める。そのたびに成長して……今こうなってるというわけだ。およそ20歳くらいの肉体年齢だな」
「なるほど。それだけの時間を止めて、何やってたんですか?」
やっぱり悪事でしょ? と暗に問えば、ニヤリと笑うだけで無言が返って来た。なんとなく聞きたくない、聞いたらヤバイ気がするので聞かないことにしよう。今はどうでもいいことだ。
「ただ、俺と同じ時使いの魔法使いには、俺の魔法は効かん。お前を見た時、身にまとう時間がおかしな気配を漂わせていたから、ひょっとしてと思ったが……やっぱりだったな」
「身にまとう時間?」
「細かいことは気にするな。百年以上生きてる俺だからこそ分かることだ」
「そう……」
難しい事はいい。とにかく私は知らないうちに魔法を使えてたと。そういうことなのだろう。
「で?」
「え?」
考え込んでいたら、頭上から声がかかる。顔を上げたら思ってたより男の顔が近くて、思わずのけぞった。
「お前、本当は何歳なんだ?」
「え? ええっと……13歳」
「嘘つけ」
「本当よ」
これまでのループで17歳まで生きた事はあるが、現在は紛れもなく13歳なのだ。嘘は言ってない。
「ただし、精神年齢はもっと上。ちなみにこれまで最長で17歳まで生き、10歳に戻ったことがある。今回は14歳で死んで13歳に戻ったけど」
「お前時を戻す魔法が使えるのか」
「意識してはできない」
「死んだら勝手に発動すると?」
ズバッと聞いてくるなと思うが、むしろその方が良い。回りくどい言い方は好きじゃないから。
「そうだよ」
「ふうん」
反応は予想以上に淡々としたものだった。男の眉はピクリとも動かず、わずかに目が細められただけ。
「死んだら時が戻る、ねえ。へたすりゃ俺より長生きできそうだな。まあ同じ時間をずっとなんて、飽きちまいそうだがな」
「飽きるなんてことないわ」
思わず反論すれば、細められた目が逆に大きく開かれた。少し驚いたように。
「何度同じ人生繰り返しても、楽しいって?」
「そうじゃない」
逆だ。辛くて苦しくて悲しくて寂しくて……憎くて。
「何度ループしても、私は17歳かそれ以前に死ぬ。家族に殺されるから。どんなに足掻いても、人生を変えても、結果は変わらない。そんなのが楽しいと思う?」
「そりゃ大変だな」
同情するでもない。笑い飛ばすでもない。
その抑揚のない返答が、なぜだか嬉しかった。
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