2、

 

「ベントスから返事があった。いつでも良いと言ってるぞ」


 祖父にお願いしたのが昨日。私の願いをちゃんと聞いてくれたようで、翌日である今日の午後、早々に訪問の許可がおりた。ホッと息をついて「では今から」と立ち上がった。


「今から? さすがに急では……」

「いつでもとのことでしょう?」


 私の行動の早さに目を見張る祖父。私の返答に目を細め、「リリア、お前なにか変わったな」と呟くように言った。


「私はなにも変わっておりません。ただ、お祖父様とお話しすることが増えたからでございましょう」

「……そうか」


 家族と最低限の関わりしかもたなかった自覚はあるのだろう。本心から納得したのか知らないが、祖父は頷いてそれ以上は言わない。


「ワシは今日は公務で忙しい。お前一人で大丈夫か?」

「ええ」


 むしろそのほうが好都合。お祖父様が一緒では、突っ込んだことまで聞けない。それに私を差し置いて、また二人で話し込まれる可能性もある。それでは意味がない。


「では馬車の手配をさせよう」

「お願いします」


 こういうとき、祖父の動きは早い。そうと決めたら行動する人だから。そしてそれは、公務よりむしろ魔法が関連してる時のほうが早くなるのだ。


 待つことなく馬車の用意が出来たと知らせがあり、私はお祖父様に行ってまいりますと告げて外に出た。屋敷を出ればすぐに馬車が待機している。乗ろうと足を一歩前に踏み出そうとしたその時。


「出かけるのか」


 声がかかり、足の動きを止める。

 今出たばかりの扉が開いた気配を感じて、背後を振り返った。


「あら、アルサン兄様ではありませんか。なにか?」

「出かけるのかと聞いている」

「見ての通りで」


 この状況を見て、あなたは一体何を思うのか。暗に言えば、兄の顔が歪んだ。


「ふん、そんな見すぼらしい姿で……お前は自分が公爵令嬢である自覚あるのか?」

「自覚なくとも公爵令嬢ですわ」


 見すぼらしい格好なのは、ミリスのせいで服がほとんど着られなくなったから。出かけるとメイドに告げたら、慌ててどこからか用意してくれた服。古くなって仕舞われていた私の服だろう。昨日の一件の直後、慌てて出してきて小さいからと直してくれたのだ。

 元から地味な服しか与えられていない上に、古い服をリフォームしたもの。嫌でも見すぼらしくなる。それでも私は用意してくれたメイドに感謝して、袖を通した。服など着れればなんでもいい。今そんな些末なことを気にしている暇はない。


 それ以上話すだけ時間の無駄と、馬車へと足を向けた。ガッと腕を掴まれたのはその瞬間。


「なにを──」

「リリア、お前は俺の妹だ」

「は?」


 突然何を言い出すのか。あまりに唐突すぎて、反応に困って言葉に詰まる。


「お前は……」

「お兄様?」


 なんだろう、兄の顔が苦し気に歪んでいる。


「体調がお悪いのでしたら、横になられたほうがいいですよ」


 心配などしたくないが、それでも人としてつい出てしまう言葉。それに兄は軽く目を見張り。ややあって、私を掴む手は離された。


「そうだな」

「?」

「ミリスの顔を見てから、寝るとしよう」


 心配して損した。そう思うようなことを言って、兄は屋敷内へと戻って行った。


「なんなのよ」


 馬車に乗り、街へと向かう。ガタガタと揺られながら脳裏にこびりつくのは、戸惑いと苦しみをはらんだ、兄の歪んだ顔。


* * *

 

 ガラガラと街中を馬車がゆっくり走る。ふと目の端に止まったそれに、私は慌てて御者に声をかけた。


「買いたい物があるから、少し待っててくれる?」


 そう言って馬車を降りた。公爵家の子供が共も連れずに軽率かと考えたが、兄の言うところの見すぼらしい格好の自分を誰が令嬢と思うだろう。使用人が主人の命で買い物に行ってると、誰もが思うだろう。

 そう気楽に考えて、私は店に入った。途端に鼻をくすぐるのは甘い香り。


「ああいい匂い。お腹を刺激するわね」


 そう言って店内を見回せば、大勢の客でにぎわっていた。ほとんどが女性というこの店は、甘いお菓子を販売している。白いクリームたっぷりにフルーツがふんだんに使われたケーキが目に留まる。ただ、それは最後の一個だった。


「これは屋敷に帰ってから食べようかな。お土産はあっちの在庫がたくさんあるやつにして……。あの、この……」


 店員に声をかけ、このケーキをください。そう言おうとしたのだが、


「すまんが、この残り一つのケーキをくれないか」


 横からズイと黒い影が並び、ドンと私の体を押しやる。


「へ?」


 突然のことによろけていたら、まさかの狙っていたケーキを注文。それはないでしょう!?


「ちょっと、それは私が狙っていたのよ!?」


 思わず抗議の声を上げる。私の邪魔をするのは誰だ!? と声の主を見て……言葉を失ってしまった。


 それはこの店には珍しい、男性だったのだ。真っ青な髪と瞳という、この国では珍しい色彩をもった男性。おそらくは誰もが見惚れる綺麗な容姿をした男性は、真っ黒ながら豪奢な刺繍が施された服を着ている。

 ただ、確かに美形なのだが近寄りがたいものを感じさせるのは、その瞳が冷たい光を宿しているから。

 青い瞳は、空というより氷だ。


 思わず見入っていたら、男がようやく私に気付いたように目を向けて……いや、ギロッと睨んで来た。


「なんだ? 子供が一人でこのような場所に来るんじゃない」

「お、お言葉ですがねえ、そのラスイチケーキは私が狙っていたのよ! 突然割り込むなんて酷いわ!」


 負けじと綺麗な顔を睨み返せば、ズイと男が顔を近づけてきた。突然のことに、ビクッと体が震えて動けない。マジマジと綺麗な顔と見つめ合う。だがそれも一瞬。


「なるほど」


 と男は頷いて、無言で店員が差し出したケーキの箱を受け取った。って、なぜ店員も男にアッサリ渡すの!?


「いつもご贔屓にありがとうございます」


 駄目だこりゃ。常連だかなんだか知らないが、男に対してウットリした顔で目にハートを浮かべる女店員に、私は見えてない。男の虜になってる店員相手にクレームは届かないだろう。


「く! ちょっと美形だからって……子供相手に最低!」


 とか言いつつ、精神が大人でありながら子供という立場を利用しようとした発言は、大人げないのだろうな。と思っていたら。


「子供? どこがだ」

「え」


 言われたことに理解が追い付かない。ポカンとしてるうちに、男は店を出て行ってしまった。


 え、どういうこと?

 ひょっとして、私の正体に気付いてる?


「まさか、ね……」


 妙な男の言葉に、思わず否定を口にする。

 もう二度と会うことはないだろう、というか会いたくない。

 だがその言葉の真意は聞いてみたい。

 矛盾する思いを抱えながら、残ったケーキから選択を済ませた私は、ケーキを手に店を後にする。


 再び馬車に乗り込んで数分。

 すぐに目的地へと到着した。

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